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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第13回(6)

◎本当の意味での「喜」の世界

 はい。で、このようなものを――ここから次の二番目の話に移行しますが――このような心を皆さんが育てると、いいですか?――本当の意味での「喜」の世界に入っていきます。で、この本当の意味での「喜」の世界って何を言っているのかっていうと、つまりそのような修行を進んでなかった者が進んだ喜びではなくて、そもそも自分の上にいらっしゃる――まあ例えば師であるとか、聖者、仏陀や如来方の、本当の素晴らしさが分かってきます。つまり自分の中の、比較における些末な嫉妬とかの壁がガッと崩れることによって、今まで実は――まあ変な話だけどね、皆さんはそう思っていないだろうけど、この嫉妬やあるいは比較の心があると……たぶん皆さんは自分では気付いていないだろうけど、自分の師にも、あるいは聖者にも、仏陀にも嫉妬しています。つまり壁ができているんです。で、これが完全にパッと外れたときに、本当の意味でその素晴らしさが分かってくる。あ、わたしは今までもバガヴァーンや仏陀を尊敬していたけども、それは本当に視野が狭かったと。本当のその無限なる素晴らしさが、本当の意味でやっと理解できたと。こういう世界に入ってくるんですね。で、理解できると当然、絆っていうかな、パイプも太くなるから、その上からの恩恵もドワーッてやってくる。
 この辺はだから、いつも言っているように――ちょっとこういう言い方するとさ、また打算的になっちゃうんだけど、実際には打算じゃなくて――「負けるが勝ち」みたいなもんです(笑)。負けるが勝ちって言っちゃうと、勝ちたいから負けるみたいな変な話になっちゃうんだけど(笑)。でもそれは自分の智慧のレベルで考えてほしいんですけど。つまりエゴが願っている勝ちは、実は勝ちじゃないんだってことですね。分かると思うけどね。そうじゃなくて、エゴの損得勘定を捨てて、菩薩道といわれるところに身を任せたときに、実際には多くのものを得るっていうかね。
 今の話をちょっと、分かりやすくもう一回言いますよ。自分はみんなの踏み台でいいと。ただただ、みんなのために修行したいと。それで、多くの者が自分を追い越してもかまわないと。それはそれで最高の喜びだっていうふうに心が本当に確定されたときに、パッと壁が外れ、逆に上から多くの恩恵を得ます。あるいは多くの上の素晴らしさが分かり――上っていうか、聖者方や菩薩方や如来方の素晴らしさが分かり、自分の視野というかな、世界がガーッと広がります。――っていうことは、自分が一番修行が進むってことになるね、変な話ね。うん。
 それはだから今のようなことを――まあそうだな、自分のエゴに言い聞かせるようなかたちで論理的に考えてもいいし。あるいはそうじゃなくて、まあもうちょっと率直な感じで「ああそうだな」って思って、日々そういう心の修習に励んでもいいね。
 はい。よってこの――もう一回言うよ――みんなが幸福であってほしいと。そして、みんな苦しんでほしくないと。そのために具体的に自分も修行を進めて、自分でできる範囲で、みんなをこの道――まあみんなを救うっていうのは、別の言い方をすると、もうベクトルは決まっているわけですね。ベクトル。で、このベクトルの上向の流れに乗せるっていうことです。その流れ自体の位置はそれぞれカルマがあるから、表面的にはもちろんいろいろあってかまわないんですよ。でも少なくとも、ベクトルを下じゃなくて上に向けてあげるってことです。ベクトルをできるだけ――できるだけっていうか、まあ結局上か下しかないからね。上か下かしかないので、上に向けてあげる。そのために皆さんは――ちょっと今日はいつもとは違う言い方になりますけども――救済者になんなきゃいけない。救済者。
 つまり菩薩っていうのは救済者だから。菩薩っていうのは、いつも言っているけど、ただ優しい心を持っているのが菩薩ではない。救済者なんです、本当に。つまり、みんなのために自分が役に立たなきゃいけないんです。情緒的な世界じゃなくてね。現実的に役に立たなきゃいけない。で、何度も言うけども、役にまだ立てないんだったら、立つ自分になんなきゃいけない。そのためにこの人生を使わなきゃいけないってことですね。
 そのために徹底的に修行し、で、そうだな――ちょっとあんまり話が広がらないようにするけども、やはりいつも言うように最初の発願、あるいは決意、あるいは熱意っていうのは大事ですね。さっきのサマンタバドラの話にもあったように、もうこの、なんていうかな、原子ほどにある浄土、仏陀の浄土をすべて極め尽すくらいの熱意で頑張ろうと。
 で、その強い決意と、それから――いつも言うようにね、やっぱり六波羅蜜にもある「忍辱」ね。忍辱はやっぱりすごく大事です。つまり耐えると。自分の最初の発願、自分の決意を貫くと。何があっても貫くと。どんな苦しいことがあっても貫くと。あるいはどんな自分のエゴを揺さぶられることがあっても、最初の理想を貫くと。
 この決意と忍辱ね。この決意と忍辱を一つの武器として、今言った慈愛、慈悲、そして喜びの修行を徹底的に行なうと。

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