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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第四回(2)

 はい。で、ここに書いてあることはそれだけではありません。何重かの意味があります。ちょっと読んでいきましょうね。
 「三千大千世界にいるすべての衆生を杖で打ったり、刀剣で切りつけたり、すべての財産を奪うことよりも、たった一人の菩薩に対して軽蔑し、怒り、悪心や不愉快な心を生じさせることの方が、はるかにその罪は重い」と。
 はい、この言葉のまず前半を見てみましょう。前半っていうか、二行目まで……あたりを見ると、これは今言った話で分かりやすいよね。つまりその、すべての衆生を、ですよ――三千大千世界っていうのはこの全宇宙のことをいうんだけど、全宇宙の衆生を――まあ実際は不可能だけどね。一応、例えとしてね。全宇宙の衆生を杖で打ったり、刀で切ったり、財産を奪ったりする。もう、大悪業ですよね。全宇宙だからね(笑)。地球人類だけでも七十億いるわけだけど、そんなもんじゃない。この大宇宙のいろんな星に住んでる全生命体を痛めつけ、財産を奪うと。こういう大悪業を犯すよりも、たった一人の菩薩に対して――まずね、「軽蔑し、怒り、あるいは悪心や」――あ、これはちょっとあれだね、二つっていうか一つの意味で言いますね。「軽蔑し、怒り、悪心や不愉快な心を生じさせることの方が、はるかにその罪は重い」と。
 ここをね、ちょっと考えてみますよ。皆さん、悪業ってなんだと思いますか? 悪業。悪業っていうのは、いいですか――これはね、仏典、原始仏典にもはっきり書かれてるんですが、結果的に自分および周りをね――まあ、特に自分です。自分を不幸にする、あるいは苦しめる行為を悪業っていうんです。
 だから、ここでは精神的なことが書かれてるわけですが、例えばね、さっき五逆の罪で言ったように、例えばですよ。解脱者を殺したり、仏陀をガーッて血を流したりした場合にね、当然、その見返りによって自分が地獄に落ちるよね。これは当然、そのような暴力や殺生によって地獄に落ちるわけだから、ここでいう暴力や殺生は悪業ですよと。これは分かりやすいね。そうじゃなくて、例えばここで挙げられてる話っていうのは、菩薩に対して軽蔑し、怒り、悪心や不愉快な心を生じさせるって書いてある。つまり、菩薩がいたとして、菩薩のことを軽蔑すると。菩薩のことを怒ると。「お前ふざけんな」って怒ると。あるいはその、悪心、悪い思いを生じさせたり、菩薩に対してね、ちょっと「あいつ不愉快だな」って思ったりすると。これはね、今言った、例えば菩薩を傷付けてないよ、別に。だから、それが返ってくるっていうものではないですよね。だから、これはちょっとまた違う角度で考えてください。
 どういうことかっていうと――簡単に言いますよ。聖なるものに対して否定する、あるいは反発するベクトルの心の習性を作っちゃったっていうことです。つまり、これによって何が生じるかっていうと、その人は徐々にか、または一瞬にか分からないけども、真理から離される。あるいは真理とは逆の魔的な道に引っ張り込まれるわけだね。つまりこれこそまさに、のちに結果として苦しみや不幸を生む行為でしょ? 心の行為だけどね。
 だから、そういうふうになんていうかな、ちょっと微細に読まなきゃいけないんだね。悪業っていうのは、なんかやったから返って来た、「ああ、悪業だ」――それだけじゃない。皆さんが心に思ったことも悪業になるっていうのはそういう意味です。つまり、結果的にそれが、相手に影響を与えてなくても全く問題はない。つまり、与えてるとか与えてないとか関係がない。そのような心を持ったことによる不利益っていうかな、これを言ってるんだね。
 で、もう一回言うけど、普通、例えば対象がいなかった場合、あるいは対象が普通の人だった場合も当然駄目なんですよ。例えば隣のね、普通の人に対してカッと怒って、ちょっとこう軽蔑したり、悪い心を生じさせた場合も、当然その心の働きっていうのは自分を不幸にする方向に向かうわけだよね。だから誰に対してももちろん批判したり、怒ったりしたらいけないわけだけど。しかし菩薩に対しては、それが非常に聖なるものであって、そして光が強いものであるが故に、それに対する軽蔑や、悪心や、不愉快な心を生じさせることっていうのは、大変な暗闇、大変な真理とのズレをこっち側に生じさせるわけですね。だからそれは非常に恐ろしい。
 よって、――いいですか?――まあそうだな、皆さんが「ああ、この人は菩薩だ」、あるいは「この人は聖者だ」って思ってる人に対しては当然、そういう不愉快な思いとか、悪い思いを生じさせない。それは当り前ですよ。しかしここで考えなきゃいけないのは、自分が無智な場合、目の前にいる人が菩薩だと気付けない場合がある。ね。よって、結局のところは誰に対しても悪心は抱かない方がいい。ね。自分が無智だから気付かないだけで、本当は目の前にいる人が偉大な菩薩の場合もある。その場合、その人のことを悪く思ったりすると、大変なダメージが自分のカルマにあるわけですね。だから、ねえ、人を見くびらない方がいい。どこに菩薩がいるか分かんないよ。だから誰に対しても悪しき思いは持たない方がいいね。
 で、もちろん、もう一回言うけど、ね、自分が「ああ、この人は菩薩だ」とか「聖者だ」と思ってる人に対しては、もちろん当たり前ですよ。その人に対しては悪心を抱かないっていうのは当たり前のことです。

 はい、で、二番目。二番目はもうさっき言ったことと同じね。「多くの小乗の解脱者の命を奪うことよりも、菩薩に対して軽蔑したり、怒ったり、悪口を言ったり、危険にさらしたりすることの方が、はるかにその罪は重い」、大きいと。ね。つまりその、解脱者は殺すことによって無間地獄なわけだけど、それよりも、殺さなくても――もう一回言うけども、仏陀はちょっと血を流しただけで駄目なんだけど。まあここには書いてないけど、おそらく菩薩はそこまではいってないのかもしれない。そこまではいってないけども、菩薩に対して軽蔑したり、怒ったり、悪口を言ったり、危険にさらしたりすることの方が罪は多いですよ、その解脱者を殺すことよりもね。

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