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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第八回(1)

20110917

解説『スートラ・サムッチャヤ』第八回

◎一番大事な念正智

 もう一回簡単に説明すると、この『スートラ・サムッチャヤ』というのは、有名なね、『入菩提行論』を書いたシャーンティデーヴァの三部作ですね。で、『入菩提行論』は、いつも言うようにシャーンティデーヴァの書き下ろしですが、この『スートラ・サムッチャヤ』、そしてもう一つ『シクシャー・サムッチャヤ』っていうのは、それまであったね、いろんな仏教の経典の引用というかたちでシャーンティデーヴァが菩薩道をまとめてる経典ですね。で、そのうちコンパクトにまとめたのが、この『スートラ・サムッチャヤ』。そして膨大にっていうかな、長い経典としてまとめたのが、『シクシャー・サムッチャヤ』ですね。
 はい。で、その『スートラ・サムッチャヤ』の続きで、まあこの辺は魔事に関することが、ちょっと前の方からずっと続いてるわけだね。
 で、魔事っていうのは、まあよく魔境とかいう言葉もありますけども、まあつまり魔に完全にやられて、その魔の世界にこうちょっと引きずりこまれちゃってる状態、これを魔境っていうわけですけども。魔事っていうのは――まあ魔境も含めてね、魔の世界に引きずりこもうとする働きとか、まあつまりもうちょっと大きな意味ですね。大きな意味で、魔事っていうのが使われます。で、魔境とかいっても、別にあの――まあよくあるね、例えば霊的な魔境っていうのはよくありますね。つまり、なんか変な世界に突っ込んじゃって、まあ何かが見えるとか、あるいは、まあいろんなね、自分の正しくないインスピレーションを信じてしまうとか。あるいはなんか変な魔的な世界から声が聞こえて、それを神聖な声と勘違いしてしまうとか。まあそういう霊的な魔境っていうのはよくあるわけですが、そういうのだけじゃない、魔境っていうのは。つまり、まあ例えばある人はプライド、ある人は性欲、まあある人は、そうだな、貪りとかね。まあいろんなその自分のウィークポイント、煩悩をくすぐられて、そこからまあ簡単に言うと、真理が分からない状態にされてしまう。頭おかしくなってしまうと。その人がどんなに素質があり、神との縁が強く、本当は智慧の目を持ってても、魔の世界に巻き込まれてしまうと、もうその――例えばプライドだったら、もうプライドを守ることで頭いっぱいになってしまって、それまでの自分が持っていた聖なる心とか、どこかにすっ飛んでしまう。これが例えばプライドの魔境っていうやつですね。
 だから魔境っていうのは、もう一回言うけども、霊的なものだけではない。その人が持ってるウィークポイントに悪魔が忍びこんでくる。これはまさにわれわれと悪魔との戦いみたいなところがある。つまり、われわれはまだ完全に完成するまでは、弱点をいろいろ持ってるわけですね。で、悪魔はその弱点を巧みに突いてくるんだね。まさにこれは「巧みに」なんです。巧みにっていうのは、正面攻撃っていうよりは巧みにやってくるんです。正面からやってくるふりして、ちょっとこう裏の方から弱点を突いてきたりするんだね。だからわれわれはそれを、まあいわゆる念正智して、日々自分の心の働きをチェックして、「さあ、わたしは魔にやられてないかな?」と。あるいは、魔にやられそうな罠にはまりつつあるんじゃないかな、とかね。もう本当に厳しく自分を見つめないと、まあ、すぐにわれわれは魔に引きずり込まれてしまうんだね。
 本当にだからいつも言うように、『入菩提行論』に説かれるような、念正智ね。これがやっぱり一番大事なんだね。つまりどういうことかっていうと、自己の心のチェック。もう一回言いますよ――まあだから、その前に理想が必要ですね。いつも最近こういう話してるけども。自分の理想っていうのを掲げて、で、「さあ、わたしは――まあ百パーセントと言えないまでも――理想の道を歩んでいるかな?」「わたしの心は、わたしが掲げた理想からずれてないかな?」――これを年中チェックしてください。年中ね。もちろん理想的には二十四時間です。つまり、一瞬一瞬チェックする。あるいはそこまでいかなくても、例えば一時間に一回とかね。あるいは三十分に一回とか、小刻みに、「さあ、どうかな?」と。「さあ、今のわたしの心は、わたしの理想どおりいってるだろうか?」と。ね。例えば、「わたしの心は神で満たされているだろうか?」と。ね。あるいは、「わたしの心は――まあ自分がイメージした、こうなりたいっていう思いからずれてないだろうか?」と。どうしてもまだまだ心が弱くてずれちゃった――これはしょうがないです。じゃなくて、本当はできるのに、魔にやられて、全然その、違う心の状態になってしまってると。これは全然駄目なわけですね。だから念正智して、常にこう自分を戻す作業をしてれば、魔にやられる確率は少なくなるし、で、やられかかってても分かるからね。うん。それでチェックすると、「あ、理想からずれてる」と。「わたし、おかしくなってる」と。そうなると、またバッと戻せるようになるから。だからこれはすごくその、大事なんだね、念正智っていうのはね。
 で、念正智はやっぱり、いつも言うように工夫が必要だと思うね。工夫っていうのは、もちろん、小刻みに自分を振り返る――これはいいんだけども、例えばこれも本当に真剣に、例えば一時間に一回って決めたとしたらね、真剣に一時間に一回自分をチェックできればいいけど、単純にそのルーチンワークっていうか、ただの習慣みたいになっちゃうと、あまり心がこもらない場合がある。だからその場合、例えばいろんな方法で自分を鼓舞し、心を引き戻すことをやるといいと思う。まあ加行もらってる人は、もちろんその加行どおりまずそれをベースとしてやればいいわけだけど、まあそれプラスアルファ自分でやるといいと思うね。
 まあいつも言うように、例えば自分の心に――それぞれ違うからね――心に響く言葉を自分の部屋にいつも貼っておくとかね。うん。あるいはまあ可能な人は例えばトイレとかいつも行くところに貼っておくとかね。あるいは自分の心に響く、まあ今日歌ったみたいな歌であるとか、まああるいは本でもいいけども。あるいは本の一節でもいい。
 まあいつも言うようにさ、例えば、「いや、先生、わたしはこの本のこの一節でとても目が覚めました」っていうのがもしあるとしたら、それはね、宝物なんです、その人にとって。だって普通の本読んでも、例えば「ああ、いいなあ」とは思うけども、ハッと目は覚めない。で、目が覚めるポイントがあるとしたら、それはその人にとっては大発見なんです。ね。だからそれを活かさない手はない。ね。毎日読めばいいです。ね。あるいは歌もそうですよ。例えばある歌を歌って、ハッと目が覚めたと。それはもう宝物です。だったら毎日一時間に一回ずつ歌えばいい。ね。こういうなんか工夫が必要なんだね。こういう工夫をして、いろんなかたちで――あるいはムドラーとかでもいいんですよ。ムドラーをやったらハッと心が戻ったとかね。あるいは礼拝をしたらハッと心が戻ったとかね。本当にそれぞれ違うから。自分の合うものっていうかな。自分の心を常に理想に戻してくれる、あるいは魔から目覚めさせてくれるものを発見して、で、準備しといて、それを頻繁にっていうかな、一日のうちに何回もやると。で、それプラス、さっき言った、念正智っていうか、しっかりと自分の心をチェックして、おかしくなってないかなっていう念正智を行なうと。こういうのをやってたら、まあ、魔に引きずり込まれにくくなるし、引きずり込まれつつあったとしても、ハッとこう、魔との絆を切ることができる。だからこれはまあすごく大事なことなんだね。
 はい。で、その魔のさまざまな細かい誘惑について、前の方からずーっときてるんだね。まあ、ちょっと続きなんで途中からになっちゃいますが。はい。じゃあ読んでみましょうね。

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