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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第五回(2)

 だからわれわれは、いつも言うけども――この話っていうのは何回かしているわけですけども、もう一度その原則的なことを言うとね――いいですか?――われわれは、「調子がいいとき」っていうのがある。調子がいいときっていうのは、人生において調子がいい、もしくは修行において調子がいいとき。調子がいいときっていうのはどんどん修行もできるし、どんどん教えを実践し、で、なんか修行がどんどん進んでるような感覚がある。それはもちろん進んでるんだけどね。でも、必ず試練がやってくる。で、「ああ! 調子良かったのに試練やってきちゃった!」――じゃないんです。まさにこの試練こそが本番なんです。ね。これが――つまり調子が良かった時期っていうのはまさにトレーニングみたいな感じで、自分のポテンシャルを上げてた時期なんだね。もちろんその段階でも修行は進んでるんだけど、そうじゃなくて本格的に「じゃあ、本当に進めましょうか」と。「本当にあなたの自己改革に入りますよ」っていうときには、いろんなかたちで障害とか、あるいは苦しみとか、あるいは逆に魔の誘惑の場合もある。いろんなかたちでガーッてやってくるんですね。で、「あ! 来ましたね」と。つまりその前までに蓄えていたポテンシャルを使って、その本番ともいえる苦悩や試練や、あるいはある場合は精神的な錯乱かもしれない。もういろんなものと戦わなきゃいけないんだね。で、それを乗り越えたときにまた――つまり嵐がやんで、再び静かな平穏な日々がやってきます。でもその平穏な日々っていうのは、前よりもものすごく進んでるわけですね。その嵐を乗り越えたことによって。だからそういう価値観を皆さんはまず持ってこなきゃいけない。つまり試練こそが本番なんだと。
 で、そうじゃないとね、そうじゃないと、ふわふわした甘い心で修行したり修行しなかったりしてると。で、試練が来たら逃げると。こうなるとこの羊車行の菩薩のように、まあ悪くするとね、なってしまいますよと。
 だから必ず皆さんが修行進めるときっていうのは、皆さんのカルマに応じて試練がやってきます。で、それ――あの、最悪ですよ、最悪、試練を乗り越えられなかったとしても――これ、いつも言うけども、打ちのめされてもすぐ立ち上がってください。ね。すぐ立ち上がるのが一番いいです。で、すぐ立ち上がれなかったもしても、できるだけ早く立ち上がると。で、早く立ち上がれなかったとしてもですよ――つまり立ち上がるのに時間がかかってしまったとしても、後退はしないでください。このあとに出てくるけども、後退ではなくて少なくとも現状維持で立ち止まると。ね。
 われわれはだからちょっと卑屈さがあるから、なんかつまづいてしまうと、なぜか、別に後退する必要ないのに勝手に後退する人がよくいるんだね。うん。自分で自分を後退させてるっていうか。「いや、どうせわたしはあれ乗り越えられませんでしたから」と。あるいはね、恐怖の場合もあるね。もう一回あれが来たらもう耐えられないだろうから、っていうその恐怖によって自分をあえてちょっと低いところにおいてしまったりする。これも駄目です。
 だから本当に修行者っていうのは、やっぱり勇者じゃなきゃいけないんだね。ここでいう勇者っていうのは、単純に強いっていう意味じゃなくて、あきらめないってことです。あきらめないし、なんていうかな、ちょっと無鉄砲ぐらいがちょうどいい。つまり、すごい弱い人がね、弱い人が、すごいでかいプロレスラーみたいな人に、あるいはヤクザみたいな人に打ちのめされてね、普通はそこで恐怖心が芽生えるよね。実際に例えばスポーツ――ボクシングとか、あるいはほかの格闘技とかでもそうだろうけども、めちゃくちゃにやられるとちょっと恐怖心が出てしまって、次に立ち向かう気持ちがちょっとそがれてしまうっていうかな。そういうことってよくあると思うんだね。例えばこれは一つの例だけども、すごく弱い人がすごい強い人と戦って、めちゃくちゃにされて――もうそれは例えば、例えばだけどね、骨も何本も折られて、で、内臓もぐちゃにぐちゃにするぐらいの重傷を負わされたとするよ。普通は、弱い人だったらね、「もういいや」って思うでしょ? 「もう、あの人に近寄りたくない」と。でもそうじゃなくて菩薩は、そこでも――もちろん怪我は治さなきゃいけないんだけど、怪我が治ったら、また無鉄砲に「お願いします」(笑)。ね。「次は勝つぞ」って行かなきゃいけないんだね。いかにそれが周りから見て馬鹿みたいに思えたとしても、立ち向かわなきゃいけない。で、それによって――もちろん何も準備なしに立ち向かっちゃいけないんだけど、しっかりと日々の修行や教学で自分の準備をして、また「さあ、どんな奴でも来い」と。「またわたしは以前自分が打ちのめされたような、あのような大きな試練が来ても全くおれはかまわない」と。
 これはね、もう一回言うけども、無鉄砲でいいです。無鉄砲というか、また別の言い方をすれば、やせ我慢でもいいです。つまりハッタリみたいな感じでもいいです。つまり決して自分の心を折っちゃいけないってことだね。あるいは自分の心を臆病な状態に置いてはいけない。「さあ、次こそは!」と。ね。それがどんなに苦しい思い出が心に残っていたとしても、「次は行くぞ!」と。「次は頑張るぞ!」と。あるいは逆にいうと、それをしっかりと成り立たせるために、次に来たときには絶対乗り越えられるようにっていう気持ちで、日々の修行をまたしっかり頑張ると。これができるならば、皆さんは羊車行の菩薩にはならない。
 そうじゃなくて心構えが最初からあんまりできていなくて、で、当たり前だけども、障害にぶつかったらドーンと駄目になってしまうと。で、駄目になっただけじゃなくて、どんどん自分を卑下して、「いや、わたしはどうせ駄目なんですから」と。「いや、もうわたしはあんなのこりごりです」と。「ああいうのが来るんだったらわたし修行しなくていいです」とかね。こういうふうになってしまうと、それは以前よりもちょっと駄目になってしまうっていうことだから。これは決してその過ちには乗っちゃいけないってことですね。はい、それが一つね。

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