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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第一回(10)

 はい。「カルマの法則を信じること」――これは、カルマの法則っていうものが、われわれにとってはまず第一の、お釈迦様やヨーガの聖者が言ってらっしゃる基本的な教えだから、まずはこれを信じなきゃいけない。
 これもね、だからちょっとこう現代的な、ちょっと知性ぶった本とかはあまり読まずに、純粋にお釈迦様や過去の聖者の教えをまず信じようという気持ちを持たなきゃいけない。で、それをもって修行してると――そうですね、まず皆さんの心が本当に浄化されてくると、この、さっきも言った、この世における法則性、つまりカルマの法則っていうものになんとなく気付いてくるんです。
 これはこの間合宿のときにも言ったけども、わたしは小っちゃいころから信じてたから。つまりそれはおそらく前生からの記憶なんだけども。
 あのね、カルマの法則っていうと硬く感じるかもしれないけど、簡単に言うとね、いいことやればいいことが起きると。悪いことやれば悪いこと起きると。あるいはさ、皆さんも少しはこういうこと思ってたでしょ? 例えばいいことやった人は天国に行くんだとか、悪いことやった人は地獄に堕ちちゃうんだっていうことっていうのは、なんとなく小さいころに教わったり、考えたりしたことあると思うんだね。つまりやっぱり善をなさなきゃいけないと。善をなす者は報われるんだと。あるいは悪をなすものは悪によって報われると。で、こういう考えっていうのは、社会でももちろんなんとなく心に持ってる人はいっぱいいる。でも持ってない人もいるよね? やっぱり合理的に自分を抑えこんじゃって、「いや、そうじゃないんだ」と。「目の前のそれが悪であろうがなんであろうが、人に迷惑かけようが、今の利益だけ追い求めればいいんだ」っていう考えで凝り固まってしまう人もいる。でもそうじゃなくて、われわれの心がそういった表面的なね、合理性やエゴから解放されると、やっぱりわれわれの深い心はね、なんとなくそれを分かってるんです。なんでかっていうと、何度も輪廻してきてるから。ね(笑)。われわれの魂は本当は知ってるんです。「あんときあんなことやっちゃったから地獄に堕ちちゃったな」と。ね。あるいは、「あんとき結構頑張った生は天界に行ったな」と。頭での記憶はなくなってるけど、魂の記憶はあるんだね。だから魂は知ってるんです、カルマの法則。だからわれわれの心が無垢であればあるほど、カルマの法則には信が出るんです。
 でもわれわれは、まずはそこまではきれいじゃない場合は、まずは、お釈迦様が言ったんだからと。あるいはうちの師匠が言ってるからとか、いろんな聖者が言ってるからっていう理由でまずは信じる。そしてわれわれの心が浄化されてくると、そういうことではなくて、本当に当たり前のように、「え? それ当たり前でしょう」と。「いいことやっていいこと返るのはそれは当たり前じゃないですか」と。そういう感じでそれが信じれるようになってくるんだね。

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