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「解説『ただ今日なすべきことを』」第一回(8)

【本文】

年齢について

 人は年齢によって自分や他人を観念的に捉えてしまいがちですが、いわゆる何回太陽や四季がまわったかという年齢によって、自分や他人を限定的に捉えてしまうのは意味がないことですよね。
 肉体面を見た場合、たとえば三十代で老人のような肉体の人もいれば、逆にいつまでも非常に若々しい肉体を保っている人もいますね。
 ヨーガ的に考えると、肉体の老いとはナーディ(気道)の詰まりに他ならないので、ヨーガ等で気道が通りだすと、逆に若返りますし、まあ、いつまでも全く老いないということはないでしょうが、少なくとも老いのスピードは弱まりますね。
 特に女性は、見た目からすごく若返りますね。わたしが知っているヨーギニーの多くは、実年齢より十歳は若く見られていて、よく『詐欺だ』と言われたりしています(笑)。

 精神における年齢は、もっと、時間的な年齢では測れないことです。なぜなら輪廻転生を前提とするなら、どれだけ魂の進化に時間を費やしてきたか、人それぞれ違うからです。

 だから、何歳になったとか、もうすぐ何歳だとか、そういうことを考えるのはあんまり意味がないですね。

 もし肉体面の老化を気にするなら、ぜひヨーガをやられてください。

 精神面について言うならば、上記のようなことを考えると、相手の年齢がどうであろうと、あるいは見た目や社会の評価がどうであろうと、決して人を見下したり、見くびってはいけません。その人が実はどれだけ偉大な精神性を育んでいるか、外からはわからない場合も多いからです。

 まあ年齢の話は別にしても、一般に人と接するときは、その人の長所を探すような癖をつけた方がいいでしょうね。それが結果的に自分の見識や、心の柔軟性を高めてくれるでしょう。

 そして人の欠点を探すのをやめ、自分の長所を伸ばすことと、自分の欠点を克服することに、時間を費やすことです。人生は短いからね。

 はい。これは、特に説明することはないんだけど、まあ読んだとおりのことですね。まあ肉体的にも精神的にも年齢っていうのは、その、観念であってあまり関係ないですよと。
 まあ日本人っていうか、日本人だけじゃないけど、人間ってやっぱり年齢で、いろんなものをこう、まあ見てしまう傾向があるからね。学生のときなんて、まさにそうだよね。理不尽だよね。今、考えるとね。その、一年先に生まれてる人……部活とかもそうだよね。ちょっと神のように崇めたりしてる(笑)。あの、わたしもさ、運動部っていうか柔道部だったから、あの、もう上級生は神なわけです。まあ神っていうか、まあ二年生はもう偉大な存在であって、もう三年は神であると、ね(笑)。そういうなんかこう感じがあるわけだけど、あの、それはあんまり意味がないと。うん。あるいはその、社会においてね、もちろん、なんていうかな、あの、老人は敬わなきゃいけないとか、もちろんそういうのはあるけども、あの、一般的にはやっぱり関係がない。それはここに書いてあるとおりですね。それは魂の、なんていうか、魂の成熟度で評価するのはもちろん正しい。それは、「この魂は偉大な修行をこれだけしてきて、偉大な悟りを得ている」と。これはもちろん評価に値する。でもそうじゃなくて、今生の、何十年肉体を存続させたか――これはあまり意味がない。うん。その人が何十年間も、ただ愚痴だけ言って過ごしてきたのかもしれないし。あと前生、輪廻転生まで考えると、まさに意味がないよね。だって、輪廻転生で前生において自分の先輩だった人が、今生、後輩っていう場合もあるわけだから。だからそこら辺には実体がないんだね。

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