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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「ガンガーの岸辺での苦行」(1)

「私が見たアドブターナンダ」より抜粋

「ガンガーの岸辺での苦行」

 師が亡くなった1897年からの12年間のラトゥ・マハラージの生活の出来事については、ほんのわずかしか知られていない。
 しかし、それらのわずかな出来事が、彼がその間に行なった激しい苦行を示唆している。
 これは彼のグルバイ(兄弟弟子)たち皆が認めていることである。
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダは晩年にこう仰っていた。

「ラトゥが生まれた環境とわれわれが生まれた環境、そしてまたラトゥの霊性の成就とわれわれのものを比べると、われわれは、ラトゥはわれわれを遥かに凌駕していると認めざるを得ないのだ。
 われわれは皆、立派な家系に生まれ、十分に教育を受け、鋭い知性を持って師のもとへ来た。
 ラトゥはというと、全くの無学であった。最初にラーム・バーブのもとへと行き、それから少年召使いとして師のもとへと行ったのだ。
 瞑想と祈りに飽きると、われわれは勉強をして退屈をしのいだ。――しかしラトゥには、そのような選択肢はなかった。ラトゥは全生涯を通してたった一つの支柱しか持たなかった。
 彼があらゆる逆境に対して冷静さを保ち、最高の霊性の悟りを得ることができたという事実は、彼の人格の内なる強さ、そして彼に降り注いでいた師の無限の恩寵を示している。」

 実際にラトゥ・マハラージは、シュリー・ラーマクリシュナ以外に他の拠り所を持つことはなかった。
 師だけにすがりながら、ラトゥは全生涯を送ったのだった。
 ああ! シュリー・ラーマクリシュナは彼のすべてのすべてであった――口には出さなかったが、師は彼の行為のすべてであり、インスピレーションのすべてであり、憧れのすべてであり、人生の達成のすべてであったのだ。
 師がこの世に生きておられる間、ラトゥは師の要求に盲目的に従った。
 師がこの世を去った後も同様に、彼の態度が変わることはなかった。
 師は、人生の指針を彼に残してくださったのだ。――ラトゥは一瞬たりとも、導き手として師以外の人を受け入れることは決してしなかった。
 師の没後、ラトゥがいかにして彼の導きを理解していたのかは、われわれの理解を超えている。しかし、彼自身が何度も、われわれにこう語ってくれた――「私を導いていたのは彼ただ一人だった」と。

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