「解説『ただ今日なすべきことを』」第一回(5)
はい、ここまで何か質問とかありますか?
(U)先生、正法のデータがちゃんと入ってて、例えば、そういう世俗で家庭を持って、例えば子供を育て、仕事をして、で、働こう、働いていくっていうような人がいたとして、例えばその子供が重い病気にかかったとか、例えばリストラされてまだ小さな子供を抱えてて、わたしは大変なことになってしまったっていう客観的な状態とか、そういうことに陥ったときにも、その人がどれだけそういう、なんていうんだろう、不動心があるかどうか次第で、その心の平安を保つことができるっていうことが、そういうことができるんですよね?
もちろん(笑)。だからそれはちょっと、これのあとの方にもそんなのが出てきたけど、あの、結局ね、幸せか不幸せか、もしくは心が平安かどうか、これは外的条件は一切関係ないんです。すべては内的条件なんです。だから、ちょっとこのあとの方でも出てくるけど、絶対的な、外的客観的な幸福の条件って存在しないんです。つまりこうなったら幸福っていうのはあり得ないんです。例えば今の例で言うとね、子供が病気になりましたと。これ不幸なんですか、幸福なんですか?――誰にも分かりません。それで家族が一致団結して、ものすごい愛に満ち溢れた家庭になるかもしれない。逆に、みんな「ああ」って泣いてばかりいて、不幸な家庭になるかもしれない。でもこの子供が病気になったっていう現象自体には善悪はないし、幸不幸はないんです。そこでそれをどうとらえるか、そこでどのような心を発するかだね。だからこの、どのような心を発するかが修行なんです。修行とか正法なんだね。で、それを教えてるのが、教えなんです。だからすべてはこっち側の問題なんだね。だから、こうなったら幸福です、こうなったら不幸ですっていうのは、一〇〇%あり得ないんです。その絶対的な定義はね。
(U)そうか……。
そう(笑)。
(U)わかりました。で、今、先生の話聞いてて、例えばぼくが将来、自分の子供を育てて、その子供が暴走族に入ったり、なんかおかしな方向にいったり病気になったりとか、そういうことを想像してたら、困ったー……
(一同笑)
(U)すごい困った。
それはね、妄想(笑)。その前に結婚できるかどうか分かんない(笑)。それはなんだっけ、チベットの逸話にあるさ、あの……
(U)ああ。
(K)ダワタクパ?
ダワタクパか。なんかあるよね。大麦を手に入れて、おれはこれでお金持ちになって、嫁を手に入れて、子供の名前は何にしようかとか考えてたら、大麦が落ちてきて死んじゃったっていう(笑)。だから、「おれの息子暴走族になったらどうしよう」とか思ってたら、なんか落ちてきて死んじゃうかもしれない。うん。それは妄想だね(笑)。
だからさ、なんていうかな、あの、わたしが好きな話で、ビンビサーラ王の話ってあるよね、有名な。ビンビサーラっていうのはお釈迦様の王様の一番弟子で、で、すごいまあ徳の高いっていうか、まあ多分ある程度のステージに達してた人だったと思うんだけど、で、このビンビサーラ王っていうのは、最後自分の息子に殺されるんです。で、それは息子が――まあ息子はそのデーヴァダッタっていうお釈迦様の悪い弟子がそそのかして、息子のアジャータサットゥっていう王子様は、王様――まあつまり自分が王様になるために父親のビンビサーラ王を、牢に閉じ込めて、で、餓死させるんだね。
で、これは一見、「あれっ?」って思う。なんでかっていうと、だってビンビーサーラってお釈迦様の、まあ王様の中では最高の弟子だった。王様の弟子っていっぱいいたんだけど、その中でも最高の弟子だった。で、すごく徳も積んでて、で、帰依もあって、しっかり修行してた。それほどの、つまりお釈迦様にそれほど帰依して修行してた人が、最後息子に殺されて餓死ですかと。仏教って、なんのメリットもないじゃないですか、っていうふうに現世的には思う。でもビンビーサーラ王の最後がどうだったかというと、そのような息子に殺されるという状況によっても、逆に息子が哀れでしょうがなくて、つまり父親をそんなふうに殺すような息子が哀れでしょうがなくて、で、どうか息子がお釈迦様と出会って、お釈迦様の弟子になってくれますように、ということを祈りながら死んでいったんだね。つまりビンビサーラ王が仏教の修行によって得たメリットっていうのは、自分が殺される状況であっても、自分を殺す者の幸福を願えるほどの心の状態になってたんです。これが仏教なんです。だから殺されないようになるのが仏教じゃないんです(笑)。どんな状況でも相手の幸せを願えたり、心の平安を保てるのが仏教なんです。もちろんヨーガもそうだけどね。だからその辺の錯覚が現代の精神世界とか宗教ではあるんだね。うん。修行したからすべてがうまくいかなきゃおかしいっていうのは錯覚なんです。いいですか?
(U)……よくよく考えればそうですよね。
そうだよ(笑)。
(一同笑)
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