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「聖者の生涯 ナーロー」⑧(11)

◎マハームドラー

【本文】
 ティローはまた一年間、黙って瞑想し続けました。ナーローはティローの周りを敬意を持って回り、教えを懇願しました。
 するとティローは、「教えがほしいなら、お前の恋人をよこしなさい!」と言いました。ナーローは彼女をティローに渡しましたが、彼女はティローのことを嫌い、ナーローの方を見て微笑みました。ティローは、「私のことが好きではないんだな!」と言って、彼女のことを打ちました。
 このようなことをされても、ナーローのティローに対する信は、全く揺らぐことがありませんでした。
 ティローはナーローに、「幸せか?」と尋ねました。ナーローは、幸せだと答えました。
 ティローはナーローに、マハームドラーの教えを伝授しました。

 これも表面的にだけ見ると「なんじゃこりゃ?」っていうくらい(笑)、わけの分かんない世界だけども、これも前からの前ふりがきいてるわけだね。つまりさっきも言ったように、徹底的にまずナーローは、この奥さんにある意味人間的な執着をするように仕向けられてるわけです。つまりいいこともあったり悪いこともあったりしてね、いろんな嫌いな部分もあるけども、執着を完全にしてしまうような感じに――まあ表面上だけどね――こうもってかれてると。つまりこれは完全に人間界のカルマを経験させられたわけだね。で、そこで――つまり一年経ってたわけだけど、一年間徹底的に夫婦的な感情を持ってしまった相手を、ティローがやってきて、「よこせ」と。これはもう究極の布施だね。もちろんこれはティローは本当にその奥さんが欲しかったわけじゃない。でもまあ「よこせ」って言うわけですね。これはだから人間界――人間界っていうのはいつも言うように、人間界の一番の執着っていうのは異性だから。特に純粋な人間の場合は、ただ一人の異性に対する執着っていうのが人間界のカルマになります。われわれはそれによって生まれ変わってきてるからね。
 もちろん異性っていってもさ、夫婦っていってもさ、四十年五十年一緒にいたら「もういいや」って感じになるかもしれないけど(笑)、まだ一年ぐらいだからね。本当にある意味新婚で、執着と嫌悪がありつつ、ちょっと離れられなくなってる状態。その状態をわざと作らされて、「それをよこせ」って言われるわけです。最大の執着の対象をよこせと。
 もちろん人によっていろいろね、一番執着してしまうものって違うだろうけどね。ある人はもうお金を布施することもできない人もいるかもしれない。ある人は例えば自分の大事にしてる車とかは布施できないとかね。あるいは自分の地位とかそういうものは捧げられないっていう人もいるかもしれない。でも一応人間の世界でいうと、人間の世界の一番の執着の対象は――もちろん恋人とか夫婦とかいない人は別だけども、いる場合、しかも執着してる場合は、それを捧げるっていうのは一番の大変なことになるわけですね。でもそれをティローは要求し、で、普通にナーローもそれを差し出すわけですね。
 でもこのナーローの奥さんになった人っていうのは、別にそんな偉大な修行者なわけじゃないから、普通にティローのことを嫌い、ナーローの方を見てほほえむと。そうしたらティローが、「『私のことが好きではないんだな!』と言って、彼女のことを打ちました」と。ね。
 つまり構図として言うとね、最も執着してしまった――つまりグルによってさせられたわけだけど。グルに従ったおかげで執着してしまった彼女を、「よこせ!」と言われて、言う通りによこしたら、今度はその自分が執着してる女性を自分の師匠が、自分のこと好きじゃないからっていじめだすわけだね(笑)。ね。こういう状況に置かれて、ティローはナーローに「幸せか?」って聞くんだね(笑)。なんじゃこりゃって感じだけど(笑)、そこでナーローは「幸せです」って答える。これもだから表面だけ見るとなんじゃこりゃなんだけど、こういった極端なっていうかな、現実的な現象を使って、どんどんナーローの心の最後のひっかかりみたいなものを落としていってるんですね。
 じゃあどういう方向に向けて落としてるのかっていうと――これは最後の答えになるわけだけど――特にこのマハームドラーの世界におけるゴールは、グルとの合一です。グルとの合一。つまりこの場合はティローとの合一です。ね。マハームドラー系統はそうなんです。こういうこと言うと、プライドの高い人は「え?」って思う人いるもしれない。「え? 師匠のことは尊敬するけど、別に師匠との合一は目指してない」っていう人はいるかもしれない(笑)。でもここで前提となってるのは、その師匠がいわゆるダルマカーヤ――つまりこの宇宙の本質を悟っているっていうのが前提です。宇宙の本質を悟っている師匠がもしいるとしたら、その師匠と合一することは、宇宙の本質と合一することになるんだね。で、それが最も近道だっていう話なんです。
 つまり本人が一人で宇宙の本質を悟るっていうのは、あまりにも手さぐり過ぎてよく分からない。あるいは師匠が導いて「こっちだよ、こっちだよ」ってやるのも、あまりにもよく分からない。しかし、合一してしまえばいいじゃんっていう話なんだね。
 これはね、一つの例えとして言いますよ。一つの例えとしていうと、ある大会社の社長がいるとしてね、そのある大会社の社長が――そうだな、この例えは女性じゃないと駄目だけども――女性のある弟子がいるとしてね。その女性の弟子に対して、おれみたいな大社長になるための方法を教えようと。一からいろんなビジネス哲学を教え込んだとするよ。まあそれはそれでいいかもしれない。それでその女性が一生懸命がんばれば、将来的には同じような大社長になれるかもしれないよね。でもそうじゃなくてこのマハームドラーの道っていうのは、「社長と結婚すればいいじゃん」っていう話なんだね(笑)。結婚すればその社長が持ってる財産、あるいは地位、名誉、すべて一つになるっていうかな。まあこれは一つの例えですけどね。
 つまり方向性として――もう一回言いますよ――ちょっとどこにあるか分からない、手さぐりで行くしかない宇宙の本質に、なんとか辿り着きましょう。その方法を教えますよ――これはまあ一般の修行なわけだけど、マハームドラーの場合は、師匠はもうそれを得てますからと。得てるからこっちに来いと。ね。わたしと合一しなさいと。しかし、ここで問題があるのが、その合一することがまずはできないんです。なぜかというと、あまりにも弟子の心と師の心が違い過ぎるから。違い過ぎるから合一がまだできないので、その合一できるための準備作りを延々とやるんだね。延々とやって、まだ一人で悟るほどの力はないんだが、でも師と合一できるだけの帰依心とか、師への集中を高めさせるんだね。で、師匠にバッとこう、心を完全に向けさせると。で、合一させると。で、師匠がもし完全な境地、ダルマカーヤを得てるとしたならば、その師と心を完全に合わせた瞬間に、弟子もダルマカーヤを悟ると。これが一つのマハームドラー系の教えなんだね。だからこれを延々とナーローはティローにやられたといってもいいね。
 もうちょっとで終わるけど、かなり時間もなくなってきたので、ここで一旦今日は読むのは終わりにして、最後にもし質問があったら質問を聞いて終わりにしましょう。まあ今日の話と関係があってもなくてもいいので、何か質問ある人いますか? じゃあ特になかったら終わりにしましょう。

(一同)ありがとうございました。

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