「私を超えるものは何一つ存在しない」
◎私を超えるものは何一つ存在しない
【本文】
私から分かれ出たプラクリティは、地と水と火と風と空、
それに心と知性と我執、この八つに分かれている。
物質にかかわる低位のエネルギーのほかに、私がさらに高位のエネルギーを持っていることを知るがいい。
これこそが、あらゆる生物の生命源であり、宇宙万有を支えている力なのだ。
これら二つのエネルギーが、宇宙のすべてのものを生み出していることを知りなさい。
実に私こそが、宇宙万有を創造する原因であり、かつ破壊の原因でもあるのだ。
私を超えるものは何一つ存在しない。ダナンジャヤよ!
真珠が糸を通してつながっているように、すべての者は私を通してつながり支えられているのだ。
はい。まず「私から分かれ出たプラクリティ」。このプラクリティっていうのは――この宇宙に原初から存在するのは、一つは真我といってもいいし、あるいはブラフマンといってもいいし。つまり絶対的なわれわれの本質みたいなものがありますと。それとは別にプラクリティっていうがありますと。これは日本語で「自性」とかいわれますが。
これはまた別の言い方をすれば、われわれの心の本性である真我とかあるいはブラフマンといわれるものっていうのは、完全なる寂静というか。完璧な、何の動きもない存在なんだね。でもこのプラクリティっていうのはそうじゃなくて、動きの発動の可能性を秘めているといってもいいね。つまり、エネルギーの発動の可能性を秘めたものというか。
このプラクリティがばーっとエネルギーの発生によってこの宇宙を作り出すんだね。そのプラクリティから作り出されたこの宇宙を、本来全く関係ない真我であるわれわれが、自分だと思い込んで錯覚して、「うわー、おれは苦しいー」とか言ってるのが、今のわれわれです(笑)。ね。
例えば、ちょっと冗談みたいな話だけど、例えばここにコップがあると。ずーっとこのコップを見ていたら、このコップが自分だと思い込んじゃったと。こういう状態なんだね。で、このコップにお茶が注がれたら、「熱い!」と思う(笑)。本当は関係ないんだけど、熱いって思っちゃうんだね。このコップが割られようものならば、「ああ、おれはもうばらばらになった」と。錯覚するっていうかな。これが今のわれわれの状態。
だからカルマも含めてそうなんだけど、今われわれがカルマの流れに巻き込まれて、自意識を持ってね、そして「私はこう考えているんですよ」と。あるいは、馬鹿にされて、「馬鹿にされて僕は悔しい」と。あるいは体を殴られて、「痛い!」と。これは今言った、コップが単にそうやられてるだけなのを、全然関係ない傍観者に過ぎない自分が、思い込んじゃっているんだね。「おれはこれだ」と。これが真我とプラクリティの関係。プラクリティのみが動いて、この宇宙を作り出す。真我は一切関係がない。
ここに書いてあるのは、しかしそのバガヴァーン――つまりクリシュナっていう存在っていうのは、そのプラクリティも含めて、全部を包含した存在なんだよと。だから「分かれ出た」っていう表現をしているわけですね。その完全なるバガヴァーンから分かれ出たプラクリティが、この宇宙に現われ出て、で、ここに書いてある、地・水・火・風・空そして心と知性と我執に分かれると。これがさっき言った、相対的な段階的な真理だね。
地・水・火・風・空っていうのは、さっきも言った、地――これは固体。水――液体ね。火っていうのは熱だね。風――これはプラーナとか、ヴァーユとかいうけども、生命力ですね。生命エネルギー。そして空っていうのは、空間といってもいいし。空っていろんな表現がされるんだね。空はただの空間ってとる人もいるし、あるいは生命力よりももう一段高い宇宙エネルギーととる人もいるし。あるいはそうじゃなくて、空っていうのは意識、つまり心の世界のことととる人もいる。
そして心と知性と我執と。心っていうのは、われわれが普通に心って呼んでいる、「私はこう感じるんですよ」っていう、そういう心だね。
知性――ここでいう知性っていうのは、理性というかな。論理的思考をしたりとかする働きですね。
そして我執――我執っていうのは、読んで字のごとく「われのとらわれ」。つまり「私」っていう思い。「私が」っていうこの感覚ね。みんなそれぞれ持っていると思うけど、「私は」とか「私が」――これを我執といいます。
これは全部仮のものなんだね。これらによってわれわれは成り立ってる。つまり、「私が」っていう思いがあって、いろんな苦楽を感じる心があって、論理的分析する知性があって、で、この物理的世界の物質現象がありますと。これがプラクリティから生まれた八つの要素ですよと。
はい、そして、これらわれわれの世界を作り上げている粗雑なエネルギーの他に、もうちょっと高い世界――解脱ではないんだが、純粋な世界を作り上げている高位のエネルギーもありますと。これらは宇宙万有、宇宙のすべてを生み出し、かつ維持し、そして破壊するものなんですよと。このプラクリティの壮大なる創造、そしてその中のさまざまな要素。これらすべてを生み出しているもの――生み出しているものといってもいいし、それはすべてそのものといってもいいけども、それが、その正体はこのバガヴァーン――クリシュナなんだよと。
ここでは「真珠が糸を通してつながっているように、すべての者は私を通してつながり支えられている」って書いてあるけども、まあこれは一つのたとえだね。これがこれで納得いく人はそうだなって考えてもいい。ラーマクリシュナはまた別の面白いたとえをつかってて。例えばここに粘土があって、粘土を使ってこねて、こねこねして、それを分けて、それぞれでいろんなものを作りましょうと。例えばキリンを作ったと。あるいは人間の形を作ったと。あるいはこっちの粘土では車を作ったと。いろいろ作って、まあ色塗ったりして、はい、いろいろできましたと。でも全部粘土でしょと(笑)――そういう感覚だね。つまりこの粘土っていうのがバガヴァーンっていうかな。クリシュナというか。すべては唯一なるものに過ぎない。しかしいろんな形に分けられているように、いろんな個性を持っているように、この現象っていうのは見えるんだね。そのわれわれが「これはこうですね」「あれはああですね」っていろいろ分析している、多様に見えるいろんなものの背後に潜む唯一なるもの――これがバガヴァーンなんだよと。至高者なんだよ、ということだね。
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