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「浄化の意味」

◎浄化の意味

(S)浄化されるというのは、その傾向が弱まるということなんですか、それとも強まる、ということなんですか。今のお話だと、その、女性は左側が強くて、男性は右側が強いという傾向があると。で、女性のほうが左から浄化が始まる傾向が強いと。で、それが始まって浄化され終わると、そういう女性っぽいといわれている特徴がなくなるってことなんですか?

 それはいい質問ですね。プロセスを言うと、まあ、これは何でもそうなんだけど、まず強まります。なぜかというと、まず弱いんだね、みんなね、本当は。まず強まる。エネルギーが強まらなきゃいけないんです。強まって、そのレベルが上がっていくんです。それはちょっとこれから話そうとしていたんだけど、例えば無智っていってもレベルがあるんだね。あるいは怒りといってもレベルがある。それはだんだん上がっていくんだね。上がっていって上がりきった段階で抜けるんです。
 だから変な話、いつも怒ってて全く終わらないと。それは怒りのレベルが低いんです。だからそれをガーッと上げちゃうんだね。これは非常に密教的な考え方です。これはかなり秘儀的な話だけども、よく仏教とかでも煩悩即菩提と言ったりする。煩悩即悟りみたいな考え方があって、これは色々な考えがあって、密教的にそれをいうと、決して煩悩を肯定しているわけじゃないんです。煩悩のエネルギーというものが純粋化された時、まず完全に強まって、それが昇華された時、悟りに変わるんだね。
 それは、何度も言うけども、煩悩を肯定しているわけではない。つまり我々が煩悩と言っているものは、ちょっと逆の言い方をすると、本来は純粋なエネルギーがちょっとレベルダウンして汚れたものを、煩悩と言っているんです。それそのものは悟りじゃないんだけど、こいつをもっと純粋化させて昇華させてしまえば悟りですよと。
 しかし一般的に原始仏教とかの考えでは、あまりそういうことは言わない。でなくて静めさせるんだね。静めましょうと。静めて静めて静めて静めて、悟ろうと。で、密教とかヨーガの考えではそうではなくて、強めて純粋化させればいいじゃないかと。そうすればこれは元の強烈なエネルギーを伴った悟りの世界に入りますよと。だから密教とかクンダリニー・ヨーガの悟りっていうのは、もう本当に静まって、「ああ、無だ」とか、「空だ」とかいう世界じゃなくて、強烈な至福を伴った悟りです。よく楽空無差別とか言うんだけど。まずすごいエクスタシー、楽の世界に入る。つまりそれは煩悩として使っていたエネルギーが昇華されて、純粋な楽の世界に入ってしまう。それと空性の悟りが一体化する境地がある。これをねらっているのが密教なんです。
 そのためのプロセスでもあるんだね。でもその段階ではまだ入り口です。今言ったプロセスを、例えば今言った右の気道がバーンと終わったからといって悟るというわけじゃないんです。ないんだけど、システムとしてはそういうことだということだね。

◎怒りと無智のレベル

 右にしろ、左にしろ、まず強まります。強まることによってその特徴がすごく出るようになってしまいます。どういうことかっていうと、元々右気道的だった人は、修行するとちょっと怒りっぽくなる場合があります。ちょっとカッカしてくる。それはエネルギーが強くなってるから。逆に左気道パターンは、修行が進んでくるとだんだん怠け者になってくる。超寝るようになったとか、それはよく聞くよね。最近すごく寝てしまうとか。
 ただ、ちょっと難しいのは、例えば、最近寝るようになったんですと。なぜか寝てしまうと。さあ、これはいくつか原因が考えられます。それは今言った、左にエネルギーが集中している場合。それから、ここ、スワーディシュターナに集中している場合。それから胸、アナーハタに集中している場合。大体中心的なのはこの3つだね。もしくはそれとは関係なく、単純にタマスのエネルギーに覆われている場合。それも入れるなら4つ。どれかなんだね。だから非常に難しいんですよ。あ、眠くなりましたと。それは左なんですかね、と。いや、じゃなくて、アナーハタって高度だけども、高度なアナーハタの段階に行っているのかもしれない。あるいは逆に、最近眠いと。俺はアナーハタか、とか言って、本当はスワーディシュターナかもしれない(笑)。分かりにくいんだね(笑)。その他のいろんな現象と絡めて判断するしかない。
 で、まあ左でも眠くなるね。あるいはちょっと色々なことに対して無智になります。しかし、そのレベルが上がっていくんだね。このレベルが上がるっていうのは表現しづらいんだけど、怒りっていうと例えば色々あるじゃないですか。最も下のどうしようもない怒りっていうのは、これはね、意味のない憎しみとか嫌悪です。もうあいつ嫌いと。あいつ大嫌いと。見るのも嫌と。これは最低の怒りです、ね。例えばじゃあ、この性欲関係のスワーディシュターナになってくると、この怒りっていうのは性欲とか異性に関係した嫉妬とか疑いとか、そういう怒りになってくるね。
 無智も同じだね。最低の無智っていうのは、もう本当に無智(笑)。もういいよと。何も考えたくないよと。で、この性欲の無智になると、異性とセックスをしまくるとか、おれはもうそういう生活だけでいいんだ、みたいな無智になってくる。そうやって、無智も怒りもレベルアップしていくんだね。
 例えば怒りで言ったら、だんだん社会的な怒りとかになってくる。おれはブッシュが許せん、とかね(笑)。ちょっとレベルが違うだろ? 「お前浮気してんじゃないだろうな」っていう怒りと、「ブッシュが許せん」というのはちょっと怒りのレベルが違う(笑)。そういう感じでだんだんだんだん上がっていくんだね。上のほうになってくると、もっと慈愛が絡んだような、「どうして修行しないんですか?」とか、真理とも絡んだような怒りになってくる。
 無智もちょっと、高度な無智って難しいんだけど、高度な無智ってちょっとありえないような気もするけども、色々あるんだね、高度な無智って。ちょっと法が絡んだ無智とか。真理はよく分かってるんだけど、例えば天界的な無智ね。徳があって幸せですよと。分かってるんだけど出来ないんですよね、っていう無智とか。ちょっとこう、高度な無智になってくる。あるいは社会的な無智。社会的な無智っていうのは例えば、社会的なっていうのも変だけど、非常に人にやさしくてね、本当にこの人を幸せにしたいと。で、本当はこの人は修行したほうが幸せになるって分かってる。でも、チョコレート食べたいっていうからあげちゃうんだと(笑)。ちょっと情から来る無智っていうか(笑)。まあ、無智のレベルもこうだんだん上がってくるわけだね。本当の愛が発せない無智とか。
 そんな感じで無智のレベルがぐーっと上がる。あるいは怒りのレベルがぐーっと上がる。まあ、どっちかなんだけど。それが完全に最高潮に達したときに、バーッて抜けるんです。例えば無智の人だったら無智が消えるんです。無智がなくなるんです。パッと頭がクリアになる。しかし、次に怒りの世界が始まるんです。性格がガラッと変わります、その段階で。

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