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解説「ナーローの生涯」第九回(4)

◎四つの身体の完成

【本文】
 ナーローは、最初の三つの大きな試練によって、初級の一味の経験、およびニルマーナカーヤ(化身)を悟りました。
 次の三つの大きな試練によって、中級の一味の経験、およびサンボーガカーヤ(報身)を悟りました。
 さらに次の三つの大きな試練によって、優れた一味の経験、およびダルマカーヤ(法(ほっ)身(しん))を悟りました。
 そして最後の三つの大きな試練によって、すべてのけがれを取り除き、スワバーヴィカカーヤを悟ったのでした。

 まあ、これは一つの説ですけどね。つまりナーローの十二の試練っていうのがあって、これは十二の試練がどういう果報と結びつくのかっていうのは、いろんな説があります。例えばそれはそれぞれのチャクラに対応しているとか、元素の浄化に対応しているとかいろんな説があるわけだけど、ここではまず一味――一味っていうのは、すべてが一つの味であると。つまり、すべては一つであって、すべては素晴らしい非二元的な味わいの境地なんだよっていうことを、段階的にその悟りを深めていったということですね。
 それからニルマーナカーヤ、サンボーガカーヤ、ダルマカーヤ。この三つを変化身、報身、法身というね、三身というわけですが。その後のスワバーヴィカカーヤっていうのは、これは本性身というやつで、この本性身は入れるときと入れないときがあるんだけど。っていうのは、分け方の違いに過ぎないんでね。つまり例えば日本を四十七都道府県で分けるのか、東北とか関東とかで分けるのかっていうそういう違いに過ぎない。つまりスワバーヴィカカーヤっていうのは、言ってみればダルマカーヤを二つに分けてると言ってもいいし、あるいは三身の源と言ってもいい。さらにその源の部分を表現した言葉なんだね。だからこれは、法身、報身、変化身の三身でもいいし、それに本性身を加えた四つの体でもいいわけですが。
 でも言ってみればこの三身、もしくは四つの体を悟るというか、完全に完成することが、修行の目的といってもいい。特に密教修行の目的といってもいいんだね。
 で、この中で悟りそのものは法身です。ダルマカーヤってやつですね。あるいはスワバーヴィカカーヤもそうですけども。これがわれわれの心の本性への到達をあらわしてるわけですね。
 で、報身、サンボーガカーヤっていうのは、われわれの高い世界における存在だね。これは慈悲――つまり別にわれわれに慈悲がなかったら、法身だけで構わない。だって悟りの世界に没入してればいいわけだから。そうじゃなくてものすごい慈悲の思いによって、この報身ができるんだね。つまりみんなを救いたいと。で、救うために高い世界において報身っていう存在として安住してね、そこから低い世界の者たちに対していろんな示唆を送ったり祝福を与えたりっていう存在なわけですね。
 で、変化身っていうのは、その報身から放射される実際の慈悲の力というかエネルギーというか、これが無数に放射されるわけですね。
 だから仏陀の見地からいうならば、今みたいな説明になるね。仏陀の見地から言うならば――つまり仏陀そのものは、何の動きもない法身そのものであると。しかしあまりの慈悲によって報身という形ある動きある存在が生まれると。そこから具体的な救済の手立てとして変化身が生まれると。
 ただわれわれは今仏陀ではないので、仏陀ではない者が修行していくときは、逆にね、まだ報身、法身は完全に得てないんだけど、まず化身から成就していって、報身にたどり着いてっていうやり方もあるっていうか、まあ普通はそのやり方を辿るんだね。つまりそれはまだ純粋な完全な変化身、完全な報身まではいってないんだが、それを目指して下から積み上げていくわけですね。そして、ナーローはこの三つプラス一つの達成を得ましたということですね。

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