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「母なる神」第四回(3)

 はい、それから真理と反するものを取ってしまう要素としては、また別のパターンもあります。この別のパターンっていうのは、これはちょっといろんなパターンがあるんですけども、ちょっと大まかに言うと、なぜか真理と反するものを取ってしまう心の要素ってあるんだね。これはひねくれでもあるんだけど。あるいは魔的な要素とも言ってもいいんだけど。あるいは、いろんなパターンがあるって言ったのは、その人の綺語のカルマとか、あと嘘のカルマの場合もあるんだね。嘘のカルマがあると、真実と違うものをなぜか取ってしまうっていうことが生じる。あるいは綺語のカルマも同じね。綺語のカルマ――くだらない冗談ばっかりずーっと言ってると、本当はこっちをとらなきゃいけないのに、なんか面白くてこっちを取っちゃうみたいなのがあるんだね(笑)。で、それで堕落してしまうっていうかな。うん。
 そういう心の中の――さっき一番目に言ったのは、どうしようもない衝動から生じる、これは真理と反するって分かってるけども取ってしまうっていう、その習性っていうかな、こういうのが一つある。で、もう一つは、別にそういう衝動があるわけじゃないのに、間違ったものを取ってしまうっていう要素があるんだね。で、この二番目に関しては、もう一回言うと、嘘とか綺語のカルマかもしれない。あるいは、そうじゃなくて魔的なカルマかもしれない。魔的なカルマっていうのは、ちょっとこう自分を真理と外すものと縁がある。例えばそうですね、これもいろんなパターンがある。例えば、悪い意味での魔術的なものと縁があったとかね。あるいは、人を真理から遠ざけたカルマ。または人を――これ過去か過去世かにおいてね――人を、間違った教えっていうかな、間違った道に導いたカルマ。こういったものによって、われわれにもそういうのが生じるんだね。なぜか非真理を取ってしまうっていうかな。
 で、これに関しては、非常に分析はしづらい。分析はしづらいけども、でも大まかにいって、「自分の中に、そのような意味なく間違ったものを取ってしまう要素があるんだな」っていうのをまず分析して、で、それも――もう一回言うよ、自分の全体がそれに冒されてるわけじゃなくて、自分の中の一部の習性が、そのようなカルマに冒されてると。だからそれをちゃんと見つめて――まあそうですね、そこの部分に心がいかなようにするのも一つだし、あるいはそこの部分が発現したとしても、そのデメリットをしっかり考えて、それに落ち込まなようにする。こういったことをしっかり分析しなきゃいけないんだね。

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