「有相でもなく無相でもなく」
◎有相でもなく無相でもなく
【本文】
『マイトリーパが著された「真実十」の中に、
「真如を知らんと欲する者は、有相でもなく無相でもなく」
と、あるがままなる真如を知ろうとする者は、有相と無相のどちらの教義も取るべきではないと説いている。
また、「虚でもなく真理でもない」云々という意味は、「六十頌如理論」の中に、
「あるものによっている本質は、水に映った月のように、実在でも非実在でもないと主張する彼らは、誤った見解に心を奪われることはない。」
と説かれているように知るべきである。
すなわち、人と法の本質は、それぞれの原因と条件によって生じている。
そして同時に、原因と条件によって生じるが故に、そこに真実と実在は無いのである。
「金剛簍」の中に、
「我執を斥けるために、空であるということを勝者たちは説かれた。」
とあるように、人我と法我の二つの我執をしりぞけるために、ブッダによって空性の見解が説かれたのである。』
これは、今言った空性の教えの要点でもあるんだけど、「有相でもなく無相でもなく」――これがとても大事なところで、よくね、この空の教えっていうのは、お釈迦様が最初に説かれて、それから龍樹ね――ナーガルージュナ、龍樹っていう人がそれをより体系的にまとめたんですが、西洋とかではこの空の教えをよくニヒリズムと混同する人がいる。つまり、一切は無いんだ、無だ――じゃないんです。つまり、空っていうのは有でも無でもないんだね。「すべてが有る」でもなければ「すべてが無い」でもないんです。つまりこの「有る・無い」もまたその二元論の中にあるから、この「有る・無い」を越えた世界なんだね。
それは最終的には悟るしかないんだけど、でもここで言ってるのは、まずはその間違いには陥らないようにしなきゃいけない。つまり、「一切は無いんだ」――それだけで考えてしまうと、ニヒリズムに陥ります。そうなるとその人は、逆に低い世界に堕ちてしまうかもしれない。何でかっていうと、一切は無いんだったら、別に正しく生きる必要もないじゃないですか。一切無いんだから。そんなこと考えてちょっと奔放に生きてしまうと、それによって地獄に堕ちる可能性もある。だから、すべては有るって考えるのは間違いなんだが、無いって考えるのも間違いであると。
で、ナーガルジュナは、「すべては有る」という実在論に陥るのも、あるいは「すべては無い」というニヒリズムに陥るのもどっちも間違いだが、どっちかというならば「有る」と考えた方がいいって言ってる。何でかっていうと、一応正しく生きるから、その人は。つまり、この世はあると。だからカルマに則って、カルマの法則に則って善を積み悪をしないってことをしないと、わたしは地獄に堕ちてしまうと。ね。そう考えて正しく生きた方がましだと。
じゃなくて、一切は無いって思ってしまうと、一切は無いんだからカルマも無い――よくね、仏教をちょっとかじってる人で、そういう人、実はいるんです。「一切は空だ」と。「だからカルマも無いんですよ」「輪廻も無いんですよ」「一切の自我意識も幻なんですよ」「だからわたしは何をやったっていいんです。自由なんです」って言う人がいる。でも、その人呼んで来て頭叩いたら、もちろん怒り出す。「何すんだ!」と。「えっ、自我ないんでしょ?」と(笑)。つまりそれは頭でただこねくり回してるだけで、本当に無くなってるわけじゃない。無くなってるわけじゃないのに――その人がね、本当に悟ってたらいいんだよ。ちょっとこういうこというと語弊があるかもしれないけど、完全な悟りを得た人だったら何やってもOKです。つまり、その人を何も束縛しなくなってる。もちろん完全に悟った人は、悪いことはしないけどね。悪いことしないけども、まあ仮定で言うと、完全な悟りを得た人は、どんな悪いことやったって関係ないです。つまりもうゲームから上がってるんだね、その人っていうのは。この世を支配してる法則の中にいない。この場合はOKです。でもそうじゃないわれわれが、頭ですべては無だとか空だとか学んじゃってこの世の法則性を無視すると、地獄に堕ちます。あるいは苦しい人生が待ってる。
だからこの辺は、二重の視線でみなきゃいけない。二重の視線っていうのは、「一切は空ですよ。それは無とは違って、わたしは未だ悟ってないから認識できないが、一切は有るとはいえないんですよ」と同時に、「無いわけでもないんですよ。そして、少なくとも今われわれはまだ悟ってなくてカルマの法則の中に縛られてるわけだから、正しく生きなきゃいけないんですよ」――この二重の視点というのを持たなきゃいけないんだね。
【本文】
『究極の意味としてはすべては空なのであるが、とはいえ、便宜的・限定的な真理である幻のようなカルマの法則に対して理解がないと、すべては無であるという断見に陥り、悪趣に落ちてしまうので、この幻のような縁起の世界の法に関しても、正しい理解が必要なのである。』
はい、これは今言ったことと同じですね。
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