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「最高の秘密」

【本文】

 自己と他者とを速やかに救おうと願う者は、自他の転換という最高の秘密を実践せよ。

【解説】

 ここまでは、「自他の平等視」という教えがさまざまな角度から説かれてきました。それは、大乗仏教のみならず、仏教やヒンドゥー教の多くの箇所で説かれる、慈悲の基本となる、すばらしい教えですね。
 しかしここから、さらにそれを上回る教えが登場します。それが「最高の秘密」と表現される、「自他の転換」という教えであり、自分と他者を速やかに救おうと願う者は、この教えを実践しなければならないというのです。
 その教えの具体的本体はもう少し後で出て来ますが、ここから、その「自他の転換」の教えにつながるさまざまな教えが展開されていきます。
 そしてこれら「自他の転換」の教えこそが、シャーンティデーヴァ、入菩提行論の持つ最大の特長であり、オリジナリティであり、そしてそれは後の仏教にも大きな影響を与えた、非常に深遠で価値のある教えであると思います。

 簡単にいえば、「自他の平等視」とは、文字通り、自分と他者を同じように見るということですね。自分を愛するように、他者も愛しなさい、ということです。
 しかし「自他の転換」とは、平等ではなく、他者を自己のようにみなし、自己を他者のようにみなしなさい、ということです。

 さあ、それでは、その「最高の秘密」である「自他の転換」の教えの世界に入っていきましょう。

【本文】

 自我を過度に愛著するがために、わずかの危険すら恐怖を生じさせる。恐怖をもたらすこと敵のごとき自我を、誰が憎まないか。

 それは、病、飢え、渇き等を対治しようと願って、鳥、魚、獣を殺し、また路上要撃者となり、所得と尊敬を得るために父母すらも殺し、三宝の財を盗んで、無間地獄の火を燃え上がらせるものである。

 かような自我を、いかなる賢者があこがれ、守り、あがめるであろうか。また誰がそれを敵と見ないであろうか。またそれを尊ぶであろうか。

【解説】

 これは非常に智的な分析ですね。
 自我に強く愛著しているので、ほんのわずかなことにも、我々は恐怖を感じます。
 我々に恐怖を感じさせる最大の要因は、外的な敵ではなく、この自我そのものなのです。
 もし常に自分に恐怖を与える因となるものを「敵」と呼ぶとするならば、我々にとっての最大の敵は、「自我意識」ということになるのです。

 そして自我が「敵」であることの理由が、さらに二番目の詩で語られています。
 自我を守ろうと願うゆえに、我々は殺生をしたり、強盗をしたり、またあるときには自我(エゴ)によって、父母を殺すこともあれば、仏陀や聖者にささげられた供物を盗むことさえもあるでしょう。自我のゆえに、大いなる悪業を積み、我々は地獄に落とされるのです。つまり我々に悪業を積まさせ、我々を地獄に突き落とす、これ以上ない最悪の敵--それこそが、ほかでもないこの「自我意識(エゴ)」なのです。

 そのような自我(エゴ)を、賢者は大事にしません。そして敵と見るのです。 

【本文】

 「もし人にこれを与えるなら、私は何を食べよう」と、かく考える者は、自利のために餓鬼となり、「もし私がこれを食べたら、何を人に与えよう」と、かく考える者は、利他のために神々の王となる。

 自我のために他を苦しめれば、その人は地獄等で煮られる。
 しかし、他のために自我を苦しめれば、全ての幸福を得る。

 自我を(人の上に)高めようと願えば、悪趣に生まれ、下賤となり、おろかとなる。
 しかしその願いを他人に移し行なえば、善趣に生まれ、名声を高め、賢くなる。

 自我のために他人に命令をすれば、(後に)召使の状態を経験せねばならない。
 しかし、他のために自我に命令すれば、(後に)支配者等の状態が得られる。

 この世で苦しんでいる人々は、すべて(前世等で)自利をはかったためである。
 この世で楽を得ている人々は、すべて(前世等で)利他をのぞんだためである。

 多くを言う必要がどこにあろう。自利を求める愚者と、利他を行なう聖者の区別を、見るべきである。
 
 自己の楽を他人の苦しみと転換しない者は、確かに仏陀となることができない。輪廻界においても、どこから彼に楽が生ずるか。

 

【解説】

 自我をとって生きる場合と、利他のために生きる場合の果報の違い--つまり前者は苦しみを生み、後者は幸福を得るわけですが--その例がいろいろと挙げられていますね。

 そしてそのまとめ、結論として、
「この世で苦しんでいる人々は、すべて(前世等で)自利をはかったためである。
 この世で楽を得ている人々は、すべて(前世等で)利他をのぞんだためである。」
と言い切っています。

 これは事実なのです。単なる道徳的な方便の言葉ではなく、この世の法則、事実なのです。

 この点について、ダライ・ラマ法王は、ユーモアたっぷりに、「真のエゴイストは、利他の実践をする」とおっしゃっています(笑)。つまり、利他こそが自己に幸福をもたらすのだから、本当に自己の幸福を追求する者(エゴイスト)は、利他の実践をするはずだ、ということですね(笑)。しかし実際は、エゴにとりつかれた人は、そのような智慧の目が持てなくなっているので、幸福になりたいと願いながら、実は自己を苦しみに突き落とす自我(エゴ)を、常にとってしまうのです。

 だから我々は、エゴを守り、自我の欲求を満たす生き方が幸福を生むのだという錯覚を--永い永い間抱き続けてきたこの錯覚を--この入菩提行論などを何度も繰り返し読むことによって、訂正していかなければなりません。利他こそが、自我を捨てて利他の実践をすることこそが、ただ我々を幸福にするのだということを、まずは何度も学び、考え、信じ、理解し、実践し、その果報を実際に何度も繰り返し経験することで、心に悟らせなければなりません。

 これもまた「最高の秘密」なのです。このような「最高の秘密」の教えに出会えた方は、大変幸運な衆生だと言えるでしょう。これは千載一遇のチャンスです。この類まれな機会を生かし、この教えを実践するかどうかは、あなたしだいです。

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