「最もまとまったクンダリニー・ヨーガ」
20081004 解説・ナーローの6ヨーガ②
◎最もまとまったクンダリニー・ヨーガ
はい。今日はナーローの六ヨーガのプロセスですね。
ナーローの六ヨーガ、あるいはナーローパの六ヨーガとかナーローパの六法とかいわれますが、これはインド仏教のシステムが、後にチベットに伝わって確立されたものです。
これは簡単にいうと、よくできたクンダリニー・ヨーガのプロセスです。
最近日本や欧米ではやってるクンダリニー・ヨーガっていうのは、あれはクンダリニー・ヨーガではない。クンダリニー・ヨーガ的な技法をちょっと使ってるけども、本来のクンダリニー・ヨーガはもっと深遠な、物理的なセオリーがあるんだね。それはインドのクンダリニー・ヨーガ、そしてこのチベットに伝わった仏教のシステム、それから仙道のシステムの中に隠れてる。
それは簡単に言うと、生命力を覚醒させて、それを中央管ね、体の真ん中の道にそれを入れて、で、頭から甘露といわれるものすごい気持ちのよいエネルギーを落とさせて、それを例えば回転させたり、合一させたり、いろんなことを繰り返して生じる心身の変化というか進化というか、それがあるわけですが。それを実際に起こさせようとするんですね。それを起こさせるにはじゃあどうすればいいのかっていうのが、いろんな流派によって若干やり方が違うんですが。だからそういう部分をちゃんと押さえてないと、それはクンダリニー・ヨーガとはいえないわけだけど。
このナーローの六ヨーガっていうのは、クンダリニー・ヨーガっていう言葉は使ってないんだけど、やってることはまさにそのシステムを、いろんな補助的なものも使いながらやろうとしている。近代においては、一番まとまったクンダリニー・ヨーガ系のプロセスの一つだと思いますね。
◎浄化しないことによる過失
はい。で、今日は二回目なわけですが、前回はその準備修行の最初の方で終わってしまったんですが。特にこのクンダリニー・ヨーガ系の修行みたいな、生命エネルギーを使う修行っていうのは、逆に危険も多いといわれてる。つまり心や体がけがれた状態で、そしてあまり正しくない状態で行なうと、自分のその強烈なエネルギーによって負ってしまうデメリットも大きいと。よって、準備修行をまずしっかりとやるんですね。
はい。じゃあその一ページまで前回終わったと思うんで、二ページ目のところからね、いきましょうか。
はい。二ページ目の「これらの道を踏んで自己を浄化しなかったならば、次のような過失が生じる」ってありますね。これはつまり前回までのところっていうのは、まず、最初の段階としてこういうプロセスを踏みなさいよっていうのを勉強したわけですが、この次のところっていうのは、それを逆の言い方をしてるに過ぎないね。つまり、こういうプロセスを踏みなさいよと。これらのプロセスを踏まないと、こういう過失がありますよと。まあ、言ってる内容は同じようなことなんですが、逆の方面から言ってるだけですね。
【本文】
これらの道を踏んで自己を浄化しなかったならば、次のような過失が生じる。
①この世の執着を断じられないので、真理を実践したいという望みが堅固にならない。
②表裏のない帰依心が生じないので、帰依処に対して心を任せることができない。
③カルマの法則に対して確信を得られないから、いかなる戒も詳細に遵守することのできない、粗雑な修行者になる。
④輪廻に対しての嫌悪が正確に生じないから、解脱への希求心も表面的なものに終わる。
⑤慈愛と哀れみの根本を有する、偽りのない誓願の菩提心が生起しないから、名前だけの大乗者になる。
⑥菩薩行を学習することに対する強い望みが生じないから、正しい悟入の戒が生じない。
⑦寂止と正観への正しい理解が生じないから、些細なサマーディにも迷乱し、無我の見解に対して確信が生じない。
このような過失に陥らないように、パーラミターヤーナとマントラヤーナの二つの大乗の道を浄化すべきである。
そのために、パーラミターヤーナとマントラヤーナの共通の準備修行は、それらに対して確信が生じていない間は修習すべきなのである。
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