「明るい道」
◎明るい道
【本文】
『人がこの世を去る際に、通らねばならぬ明るい道と暗い道とがあるが、
明るい道を行く人はこの世には戻らず、暗い道を行く人はまたここに戻ってくる。
プリターの息子よ! この二つの道を知るヨーギーは、死ぬときに決して迷うことはない。
それゆえ、たゆむことなくヨーガに励むがよい。アルジュナよ!
わたしのこの教えを理解したヨーギーは、ヴェーダの学習や供犠や苦行や慈善などによる果報に心を向けることはなく、
それらを超えた至高の浄土に到達する。』
これはさっきも言ったバルドの教えですね。つまりここでいうところの明るい道っていうのは、ブラフマ・ランドラ。つまり頭頂の道です。この道が、われわれが目指すべき明るい道なんだね。ここからわれわれが意識を抜け出すことに成功したならば、至高者の浄土に到達し、あるいは解脱の世界に到達し、決してこの世に戻ってくることはありませんと。それ以外の穴から抜けたならば、良い悪いは別としてね、この世の良い世界、もしくは悪い世界に生まれ変わりますよ。
今回はバルド的な教えですね、全体的にね。はい、じゃあ何か質問等ありますか?
◎梵天界について
(H)梵天っていうのは色界の一番下……?
そうそう。色界の一番下だね。
(H)次が光音天?
そうだね。
色界はね、いろんな言われ方があるんだけど、細かく言うと十七くらいに分かれてて、大雑把に言うと四つに分かれてる。四無量心と対応するんだね。
色界っていうのは四無量心の世界。だから一番下の慈愛の世界、これが梵天の世界なんだね。
梵天って面白い世界でさ、一応色界なんですよ。色界なんだけど、欲界を生み出す元の世界でもあるから、欲界の王でもある。
ちょっと話がずれるけど、われわれがこの梵天に生まれる可能性っていうのは二つあるんです。二つっていうのは、これは欲界を超えた世界だから、欲があっちゃ駄目なんだね。欲っていうのは、特に食欲や性欲を中心とした大雑把な煩悩だね。貪りっていってもいい。貪りがまったくありませんと。ゼロですと。修行によって貪りがなくなりましたと。しかし慈愛もあんまりないと。この場合、梵天に行きます。
で、もう一つのパターンは、「ちょっとまだ貪りあるんだよね」と。「完全になくなってないんだよね」と。でも慈愛がすごくあるんだと。この場合も梵天に行くんです。
だから梵天っていうのは貪りが無く、かつ慈愛のある世界なんだね。で、完全に貪りがなく、完全に慈愛に溢れた魂が、仏教的にいうと大梵天といって、ここで出てくる梵天のことだね。梵天の王だね。梵天って実際はたくさんいる。たくさんいるんだけど、その中の王みたいのがいて、これがここで出てくる梵天です