yoga school kailas

「幾多の誕生を繰り返して」

◎幾多の誕生を繰り返して

【本文】
『厳しい修行を積み重ねることによって、ヨーギーはすべての罪汚れを清め、
 幾多の誕生を繰り返した後、ついに至上の目的地に着くこととなる。』

 はい。これも今言ったことだけどね。つまり、結局本気でどれだけその人の心がそういった完全な悟りとか完全な幸福に向かっているかだけども、少なくとも熱意を持ってしっかり修行していた人っていうのは、当然、今生完成できなかったとしても、来世変なとこに行くことはない。また来世も続きが始まる。で、来世も駄目だったとしてもまた次の章で続きを始める。遥かな――何度も何度も生まれ変わって、最終的に完成を得るんだと。

◎最上のヨーギー

【本文】
『ヨーギーは苦行者よりも偉大であり、哲学者よりも偉大であり、いかなる仕事をする人よりも偉大である。
 ゆえに君もぜひヨーギーになるがよい。アルジュナよ!

 だがあらゆるヨーギーの中で、内なる自我が私と一体となり、
 絶対の信愛の念をもって私に奉仕する人こそ、最上のヨーギーといえるのだ。』

 はい。ヨーギーね。ここでいうヨーギーっていうのは、ここまで書かれてきたようなことをしっかりと達成するような人ね。こういう人っていうのは、単なる苦行者、つまり単に自分を苦しめるような修行をやってる人や、あるいは単に哲学を追っかけている人なんかよりももちろん偉大であるし、あるいはいかなる仕事をする人ね、どんな――この現世で成功者と呼ばれる人よりも、ヨーガによって自分をコントロールし、真我に到達し、そして至高者と一体化しようとする人っていうのは偉大なんだと。だから君もヨーギーになりなさいと。
 しかしそのヨーギーと呼ばれる人の中でも、つまりこれは完成形としてね、『内なる自我が私と一体となり、絶対の信愛の念をもって私に奉仕する人』――これが最上のヨーギーだと。つまりこれも一つの答えなわけだけど、われわれの修行っていうのはまず真我に到達する。これは一つの修行の達成ですね。しかしこの真我に到達したまた先があるんだね。その先っていうのは、自己の本質に到達したときに「ああ、自己の本質――素晴らしい」と。で、次に至高者というのを見る、つまりこの宇宙の本質っていうのはすべてに遍満する完全なる実体があったと。で、最終的にこの両者が一つであるということを悟る。「ああ、私と至高者は一緒だった」と。だからこれがここでずっと書かれていることなんだね。
 だからこれは相当高度な話だね。最終的に自己を悟り、至高者の絶対性を悟り、しかもその自己と至高者の一体性を悟ると。ここにきた人っていうのは完成者といえる。
 そして、現実的にわれわれの世界における実行としては、さっきも言ったように、神の召使としての自分っていう意識を残したまま、この世における一切の活動を至高者への奉仕と考える。愛する、愛しい至高者への奉仕としてこの世を生きると。これが最上のヨーギーなんだよってことだね。
 はい。まあこのディヤーナ・ヨーガの章は一般にいう瞑想とかの世界でもあるので、他の章よりもわかりやすかったかもしれないね。
 まあバガヴァッド・ギーターは言葉上はあんまり難しくないけどね。でも内容的には非常に高度ですね。

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