「完成せずに死んだ場合」
◎完成せずに死んだ場合
【本文】
「アルジュナは言った。
『信をもってはじめたものの、ついにヨーガを完成できなかった人は、
おおクリシュナ様! その後一体どこに行くのでしょうか?
そのような人は、至高者への道を踏み外し、この世でもあの世でも立場がなくなり、
ちぎれ雲のように消滅するのでしょうか?
おお、クリシュナ様! この点に関する私の疑念を、どうぞ完全に取り除いてください。
あなた様以外に、この疑念を取り除いてくださる方はおりません。』」
はい。これはつまり正しくね、信を持って修行やってるけども――踏み外しっていうのはちょっと極端な言い方だけど、つまり解脱できなかったと。あるいは至高者を悟れなかったと。それで死んじゃったと。この場合はその人はどうなるんですかという疑問だね。
【本文】
『ヨーガ修行に励み、ヨーガを完成できなかったヨーギーは、死んだ後、善行をなした人々の世界に行く。
長い間そこで暮らした後、やがて地上の徳高き豊かな家庭に生まれる。
そして前世における意識をよみがえらせ、ヨーガの完成を目指して、
前世以上の努力をし始める。クル王の息子よ!
また前生で修行した功徳により、その人は自然にヨーガにひかれていく。
そしてこの世ではたとえ初心者であっても、ヴェーダの宗教儀礼の域を超える最高の修行をしていくであろう。』
はい。もちろんこれは正しいヨーガ修行っていうのが前提だけども、正しくヨーガ修行を実践した人っていうのは当然悪を行なうことなく、善いことを行ない、で、自分の心を浄化することをやっているわけだから――ただ、これは細かく言うとケース・バイ・ケースなんだけどね。例えばその人が五十年間ぐらいけがれた人生を行なって、一ヶ月ヨーガやったからって良い世界に行くのかっていうと――それはケース・バイ・ケースになっちゃうけど(笑)、でも少なくとも懸命にね、何年もヨーガ修行に励んだ場合、当然ある程度カルマは浄化され――しかし解脱はしていないと。この場合はまずその善の力によって、解脱の世界ではないが、善行を為した人の行く世界――つまり天界だね、天界に行くでしょうと。天界である程度楽しんだあと天のカルマが切れ、また地上に生まれ変わってくるチャンスがあると。
で、地上に生まれ変わってきたときに何となく自然にヨーガに惹かれていくと。ね。これはまさにみなさんみたいなもんだね。無意識のうちにみんな――だから物事っていうのはさ、すべて因があって果があるから、現象を見れば因がわかるんです。逆に言うと。だから今こうしてみんな修行してるっていうことは、前生で何かやってたんです(笑)。絶対ね。
だから表面上をいうと、表面っていうのはつじつま合わせだから、表面上はみんないろいろあると思うよ。「あれ、何で今みなさんヨーガやってるんですか?」と。「いや、痩せたいと思ったんです」とか「いや、たまたま流行ってたから」とかいろいろあるけども、もうそれはその人の潜在意識が求めているんだね。つまり、小さい頃からいろんな間違った教育を受けてきて、「こうするのが幸せなんだ!」って思ってるんだけど、心の奥底で「ヨーガだよ、ヨーガだよ」って呼んでいる声があって(笑)、それは聞こえないんだけど――聞こえないんだけど何かそっちのほうに行っちゃうんです。絶対。で、それはその人がどれだけ心をけがしたかによって時間のかかる具合は違うんだけども、絶対にヨーガにたどり着く。まあヨーガっていうか――時代によってね、ヨーガっていう名前かどうかわからないけども、自分を高めていって悟りを得る道だね。で、必ずその道にたどり着くんです。そして何となくその前世からの想いをね――想いっていうのは言葉にならない想いだけども――をだんだん甦らせていくと。
そしてヴェーダの宗教儀礼の域を超える最高の修行っていうのは、前にも言ったけどヴェーダの宗教儀礼っていうのは、伝統的なヴェーダとかの儀礼っていうのは、現世幸福を神に祈るみたいなのが多いんだね。つまり単純に神に供物を捧げたりして、われわれが幸せであるように願ってくださいと。そうじゃなくて、ここに書かれているのは‘すべての中に至高者を見る’とか――あるいは解脱の修行自体もそうだけども――それっていうのは最高の修行なんだね。だからもともと例えばカルマが悪くて、そういった神とかに帰依することも知らなくて、で、やっと今生ちょっとずつ善の道に入った人っていうのは、最初はいろんな神様とかにお祈りして幸せになるような道から入るのかもしれない。でもわれわれはっていうか、ヨーガ修行者っていうのはそんなことは遥か昔にクリアしてるんだね。その段階は終わって、自分自身が自分を浄化して神に近づき、で、神に一体化するような道にもう入ってるんです。
入ってるんだけど、前生で完成できなかったと。その場合、パッて生まれてきたときに、あまり一般的な現世宗教っていうか――にはあまり興味を抱かないんです。あるいは一時的に抱いたとしても、そこでは満足できない。神社に行って「ああ、神様――」って祈ってるけども、「何か違うな」と(笑)。「これでいいのかな?」と(笑)。「厄年だから御祓いしてもらった。これで私は救われた。……何か違うような気がするな」(笑)。ね。あるいは「この壷買えば幸せになりますよ」「ああ、これでおれは幸せだ」「でも何か違うような気がする」と(笑)。
◎潜在意識のプログラミング
でもそうやってだんだんだんだん前世からの意識が目覚めていって、それからカルマが合っていって、絶対何らか――まあ何度も言うけど表面上はつじつま合わせなんだけど、これはここに来てるみんなもそれぞれの人生があって、それぞれの修行するまでの過程があったと思うんだけど――このあいだMさんと話してて、Mさんが言うにはね、――自分は昔ものすごく何をやってもうまくいってて、で、ある時からちょっと調子を崩して、すべてがうまくいかなくなっていって。で、そういう時期が三年間ぐらい続いて。もう精神的にはボロボロで仕事もできないっていう時期が続いたと。で、その時にたまたま――私はあの、知ってる人も知らない人もいると思うけど、今の上星川の前に西横浜の教室があって、さらにその前に生麦っていうところに、小さなね、変な三角形の部屋でヨーガを教えていたことがあったのね(笑)。そこからカイラスを始めたんだけど(笑)。で、その小さな教室にいるときに――ほとんどカイラスって宣伝とかやってないんだけど、あのときにちょっと何回かだけね、「ぱど」っていうタウン誌があって、あれに何回かだけ載せたんです。ほんとに何行かで‘本格的ヨーガ’とかいって(笑)、そんな感じで載せて――何か怪しい広告なんだけど(笑)。あれ、一行広告とかいって安いんだよね。一行千円ぐらいで出せる広告で。それをほんとに数回だけ出したんです。で、それをたまたま――それがMさんの家にたまたま行ったんです。で、それをたまたま見て来たんだね。
で、来て、最初は何か精神的にも不安定だったんだけど、どんどん変わっていって凄い明るくなって、もう今では、「先生、私、神に愛されているんです。最近幸せなんです」と言っていて。「ああ、変わったな」と思って。
で、これは自分でもしみじみ言ってわけだけど、数年前、つまり調子を崩す前――すべてがうまくいっていた時の自分だったら、絶対ヨーガなんてやってなかった。「神が――」とか全然そんなのは興味がなかった。でも彼女の場合、つまり彼女がそういう道に入るには、一旦そういうのが崩されなきゃいけなかったんだろうね。すべてが崩されてボロボロになって、いろんな苦しみを味わって、で、縁によってここに来ることになって、修行に励んでやっと前生から……つまりいつも思うんだけどさ、こういうバガヴァッド・ギーターとかもそうだけど、こういうのを読んで、「ああ、凄い」とか「神に愛されてる」とか思えるっていうのは、そういう根っこがないとね、そういう境地には至れないんです。
カイラスではそういうことをよく聞くから当たり前のように感じてるけど、それをね、みんな当たり前のように思って他の人に言っちゃだめだよ。そしたら引かれるから(笑)。Mさんも言ってたんだけど、「最近ね、すべてが神の愛に思えてきた」と。――「でも友達にそれを言うと引かれる」(笑)。宗教みたいだって引かれてしまうと(笑)。うん。「ああ、神の愛だ」とか言うとね(笑)。だからちょっと普通の人には理解できない本質的な部分の根っこみたいなものを、みんな持っている。それが修行とかによって目覚めてくるんだね。
で、そのようにして、表面上はだから偶然の重なりのように見えるんだけど、実際はそうじゃなくて潜在意識がそれを求めてて、うまくプログラミングされていくんだね。
ただ問題はね、そっから先は別です。そっから先は別っていうのは、われわれが前生からの因縁によって、原因によってヨーガの修行の世界に入りましたと。で、前生の雰囲気とかを思い出してきましたと。でもこっから先は今生の努力なんです。こっから先はもっと頑張って前生以上の境地に到達するのか、もしくはちょっと今生のけがれに負けちゃって途中で修行を止めるのか、もしくは適当なところで何とか自分を最低悪化はさせないようにしながら生きていくのか。それは今生の努力次第だね。
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