「回向」
第十章 回向
【解説】
さあ、いよいよ「入菩提行論」最後の章、回向の章です。
実はこの回向の章についても、いわくがあります。
その昔、「入菩提行論は十章まである」と主張する僧達と、「九章までである」と主張する僧達の間で、論争が起こったそうです。そこで、当時南インドにいたシャーンティデーヴァのもとに使いが送られ、それに対してシャーンティデーヴァは、「十章まである」と答えたとする話が残っています。
この話が本当かどうかはわかりませんが、その後も、この十章の真実性を疑う説はあったそうです。
しかし私にはその真偽を確かめるすべはありませんし、また、どちらにしろ回向というものが修行の中で重要な項目であることは確かですので、最後にこの回向の章についても、私なりの本文のまとめと解説を行なってみたいと思います。
回向とは、「回し向ける」と書きますが、文字通り、自分の修行の功徳を、衆生の幸福、そして自他の悟りのために回し向けることです。
功徳とは、全てを達成する源となるエネルギーのことです。自分がエゴに基づく現世的な欲望や願望を持っていると、せっかく積んだ功徳も、そういったエゴの願望を達成する方向に使われてしまいます。それを防ぐために、こういった回向の詞章を唱え、回向の心を修習することによって、封印するのです。ただただ、衆生の幸福と、自他の悟りのために、自分の功徳が使われますようにと。
【本文】
菩提行に入ることを念じつつある私の功徳--それによって一切の人々は、菩提行を飾りとする者でありますように。
全ての方向において、心身の苦難に悩んでいる人々の限り、それらの人々は、私の功徳によって、安楽歓喜の海に至りますように。
輪廻の終わるまで、常に彼らに安楽の消失がありませんように。世の人々は、絶えず、菩薩の安楽に至りますように。
もろもろの世界に地獄のありとあらん限り、そこにいる生類は、スカーヴァティ(極楽世界)の安楽歓喜を喜び楽しみますように。
地獄の寒さに悩む者は暖かさを得ますように。熱に悩む者は冷涼となりますように。菩薩の大雲から生じた水海によって。
地獄の刀の葉の林は、天の喜びの園の光輝と変じますように。また、地獄の棘ある樹は、天の如意樹となりますように。
カモメ、鴨、白鳥、ガチョウなどの妙なる鳴き声がする美しき池により、高き蓮華の香りによって、地獄の諸方は、楽しくありますように。
地獄の炭火の集積は、宝珠の集積となりますように。燃える火の床は、水晶の床となりますように。衆合地獄の山は、スガタ(仏陀)の満ちる供養の殿堂となりますように。
地獄の炭火に焼かれた石と剣の雨は、今より、花の雨となりますように。そして、地獄の剣の戦いは、今、遊戯のための花の戦いとなりますように。
その肉は全て落ち去り、百蓮華のごとき白い骨の体となり、地獄のヴァイタラニー河の火の様な水に沈む者達は、私の善の力によって、天の身体を得、神の妃たちと、天のマンダーキニー河に住しますように。
ヤマの従卒および恐ろしい地獄のカラスとハゲタカは、突然に闇があまねくのぞかれたのを、おびえながら眺めるだろう。そして「この楽しみと喜びを生ぜしめる好ましい光明は誰の者か」と言って、上方を眺め、天空に止まって光を放つヴァジラパーニを見、その喜びの衝撃によって、悪業が消え去り、彼らはヴァジラパーニとともにあるであろう。
蓮華の雨が降る。それは香水と混じり、地獄の火を寂として消すのが認められる。そこで地獄の者達が「これは何事だ」と嬉しさにあふれて考えると、彼らの前に青蓮華手菩薩が現われるであろう。
来たれ、友よ。速やかに来たれ。恐怖を捨てよ。かの猛火を恐れさせない有髻の童子(マンジュシュリー)がいらっしゃった。その威力によって、全ての悩みは消えうせ、喜びの躍動が始まった。そして、菩提心と、全生類の救いの母である、慈悲とが生じた。
君達よ、彼を見よ。その足元の蓮華は、(礼拝する)神々の百の王冠に輝き、その眼は慈悲の涙に潤むを。また、彼を褒め称える幾千の天女の歌声響く妙なる楼閣から、その頭上には、あまたの花が雨のように降り注ぐを。マンジュシュリーを面前に見て、地獄の者達の歓声が、今、発せられますように。
かように、私の善によって、彼ら地獄の者たちが--楽しく涼しく薫り高い風と雨を伴うところの--サマンタバドラを先頭とする菩薩の雲集を見て、歓喜を起こしますように。
地獄の人々の激しい苦しみと恐怖が静まりますように。全ての悪趣に住する者たちが、悪趣から解放されますように。
動物界において、互いに食い合う恐怖がなくなりますように。餓鬼界は北のクル州における人々のように楽しくなりますように。
聖アヴァローキテーシュヴァラの手から滴る乳の流れによって、餓鬼は満たされ、沐浴し、常に冷涼となりますように。
盲人は常に色形を見、聾者は音を聞きますように。また妊婦達は、マーヤー夫人のように、無痛に分娩しますように。
衣服・食事・飲料・花輪・香水・装飾品・その他願わしきもの、功徳に適合する全てのものを、衆生が得ますように。
臆病なる者が、恐怖なき者となりますように。激しい憂いに悩める者が、喜びを得ますように。不安なる者が、不安なく確信ある者となりますように。
病人が健康になりますように。全ての束縛から解放されますように。無力なる者が能力を得ますように。衆生が互いに親愛の心を持ちますように。
全ての道行く者に、全ての方位が恵みを与えますように。いかなる目的のために彼らが行こうとも、方便をもってそれらが成功しますように。
船路の旅を行く者の望みがかないますように。安穏に岸に達し、親戚と喜びをかわしますように。
荒野の道に迷える者が、旅人と行き会いますように。そして、盗賊やトラなどの恐れなしに、疲れなく進みますように。
眠れる者、狂った者、怠惰な者、病人、森で迷った人、寄る辺なき者、幼児、老人らに対して、神々が保護を与えますように。
衆生は全て不慮の災いを免れ、信と智慧と慈悲を具え、良き容姿、良き行ないを持ち、常に前生を憶念しますように。
虚空蔵のごとく、無尽の宝を持つ者となりますように。争いなく、安らかに、自由な者となりますように。
気力乏しき衆生は、気力盛大となりますように。醜い者は美しくなりますように。
世の女性達は全て男性となりますように。卑しい者は高貴となりますように。しかも、高慢を滅ぼす者でありますように。
私のこの功徳によって、全ての衆生は残りなく、すべての罪悪を止め、常に善をなしますように。
菩提心を捨てず、菩提行に専心し、かつもろもろの神々に完全に守られ、全ての魔のカルマを捨てますように。
全ての衆生は、無量の寿命を得ますように。常に楽しく生きますように。死という言葉すらも消えうせますように。
また、全ての地域は仏陀と仏陀の子(菩薩)に満ち、如意樹の園により、心地よい法の響きによって楽しくありますように。
大地はいたるところ、小石などがなく、手のひらのごとく平らで、柔らかく、瑠璃よりなれるものとなりますように。
菩薩の大集会のマンダラは、いたるところに座を占めますように。彼らの輝きによって、大地を飾りますように。
衆生によって、鳥から、全ての樹から、光線から、虚空から、法の響きが休みなく聴き取られますように。
彼らは常に、仏陀、仏陀の子(菩薩)とともにありますように。そして無限なる供養の雲によって、世界の師(仏陀)を供養し奉りますように。
神は時節たがわずに雨を降らせますように。そして穀物は豊かに実りますように。また世間は富裕となりますように。王は正しくありますように。
さらに、薬草は効力がありますように。マントラは、唱える人に成就しますように。ダーキニー、羅刹等は、慈悲深くありますように。
いかなる衆生にも、苦しみがありませんように。罪人になりませんように。また病がありませんように。下劣でありませんように。征服されませんように。悪意ある者になりませんように。
僧院は経典の読誦に満ちて栄えますように。出家教団を維持するに必要な条件は永遠にありますように。出家教団はその目的を成就しますように。
出家僧は、識別智を得、教学を好む者でありますように。勤勉な心で瞑想を修めますように。心の散乱を離れた者でありますように。
尼僧はよく布施を受ける者でありますように。論争と憂いを離れてありますように。また、全ての出家者は、戒を完全に守る者でありますように。
戒をまだ守れない者は、常に罪悪を滅ぼしていくことに心を向けますように。
善趣に生を受けた者は、そこで誓願を全うしますように。
賢者は尊敬され、供養を受け、施食によって生活する者となりますように。心の相続は清らかで、諸方に名声高き者となりますように。
悪道の苦しみを受けず、難行をせず、ただ一つの神々しい身体によって、衆生が仏陀となりますように。
全ての衆生は、全ての正覚者にあらゆる供養をなしますように。仏陀の不可思議なる楽によって、無上に楽しき者となりますように。
菩薩達の、世のための願いが成就しますように。かの救済者たちの考えるところは、衆生のために実現されますように。
独覚と声聞が安楽でありますように。神々、阿修羅、人間によって、常に尊重をもって供養されつつ。
前生の憶念と出家の状態とを、私は常に得られますように。マンジュシュリーの祝福によって、歓喜地を得られますように。
どのような座法で(瞑想しても)、私は力に満ちて時を過ごしますように。全ての生において、識別智に住する一切の条件を得ますように。
さらに、私がまみえたいと願い、またあることを聞きたいと願うとき、かの救済者マンジュシュリーを妨げなく拝めますように。
十方の虚空の果てに至るまでの全ての衆生の利益を成就するために、マンジュシュリーの行ない給うところと同じ行ないが、私にも現われますように。
虚空が永続する限り、また世界が永続する限り、私は世界の苦しみを滅ぼす者として永続しますように。
どのような苦しみが世界にあろうとも、その全てが私にもたらされ、(他に及びませんように)。そして全ての菩薩の浄行によって、世界が安楽でありますように。
世界の苦しみに対する唯一の医薬であり、全ての幸福と楽の源である教えは、供養と尊敬を伴って、長くあり続けますように。
その恩恵によって智慧が清らかとなるように、私はマンジュシュリーに帰依いたします。また、その恩恵によってそれが増大するように、すばらしき師と法友に頂礼をささげます。
【解説】
さあ、これでついに、「入菩提行論」の全てが終わりました。この回向の章については、読むだけである程度理解できると思いますので、特に詳しい解説はいたしません。
もう一度この入菩提行論の全プロセスをまとめますと--
①菩提心のすばらしさを賛嘆する。
②仏陀や菩薩方に供養をし、自己の悪業を懺悔する。
③菩提心を受け保つことを誓う。
④菩提行に怠けずに励む。
⑤正念正智を守る。
⑥忍耐する。
⑦よりいっそう精進に励む。
⑧現世を離れ瞑想に励む。
⑨空性の智慧を得る。
⑩全ての功徳を、衆生の幸福と自他の悟りに回し向ける。
--このようなプロセスですね。すばらしいですね。
これを見ればわかるように、六つのパーラミター(布施・持戒・忍辱・精進・瞑想・智慧)を土台とし、そこに菩提心についてのより深い考察や、正念正智の教えなどを入れることで、より実践的な、菩薩行の入門書となっています。
願わくば、このすばらしい教えが、あまねく世に広まりますように。
このすばらしい教えによって、輪廻に迷える全ての衆生が、菩薩の道を歩きますように。