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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第二回(15)

 はい、最後が「一切の不善法をあきらめ、一切の後悔を捨てる力」。――まあ、これは読んだ通りですが、不善法をあきらめる。これも今言ったことに関係するけども。妥協しないと。ね。この辺はさ、真剣に修行しようとしている人には、もうストレートに通じるかもしれない。「不善法をあきらめなさい」と。そういう――皆さんもそういう気持ちになったことない? わたしはもちろん、若いころから修行しているので、何度もいろんな煩悩とぶつかってね、何度も葛藤があったりとか、いろいろあったわけだけど。やっぱりその、あるときこう思うわけですね。――「やっぱり、あきらめるしかないか」と(笑)。ね。煩悩をですよ。「やっぱり――うだうだうだうだと、おれは今まで何をやっていたんだ」と。例えば修行を始めてね、もう三年も経ったと。「三年間の間を振り返ると、おれは何をやっていたんだろう」と。「中途半端な煩悩の遊びをやりながら修行ごっこをやっていた」と。ね。「そろそろおれは、心を決めなきゃならん」と。
 だからちょっとかっこよくないんだね、はっきり言うと。修行ってさ、特に菩薩道っていうのは、かっこいい道じゃありません。結構なんていうか、泥臭い。かっこよく、バーッ、「菩薩です」とか言って(笑)、「さあ、おれは菩薩道なんだ!」じゃなくて、本当にぐじゃぐじゃっと失敗してははい上がりの繰り返しで、もう情けない道だね。だから客観的に見たら情けないですよ。「何やってんの? またそんなことやってるの?」と。「またそれ?」と。「何やってるの?」と。「もう情けない」と。「目も当てられない」と。もうかっこよくない。
 例えば、悪魔がやってきてバーッて悪魔と戦って、「くそー、やられてしまった」と。これはかっこいいよね(笑)。じゃなくてですよ、「ああ、またすいません。またオナニーしちゃいました」とか、「ああ、また漫画読んじゃいました」とか、「また怒っちゃいました」とか。情けないよね(笑)。

(一同笑)

 でもですよ、これが現実なんです。現実っていうか、そういう感じなんだね(笑)。そういう、情けないところから自分をこうはい上がっていく道なんだね。だからかっこいいものじゃないね。地べたをはいずり回りながら行くような道ですね。でもこれはみんな通っていく道。みんな通っていくし、まあ通らなきゃいけない道だね。で、あるとき気付く。「あきらめなきゃいけないんですね」と。つまり、わたしもそうだったけど、こういうね、無智な修行者は散々散々失敗し続けて、後悔して……っていうのを繰り返した後に、やっとあきらめがつくんです。踏ん切りがつくっていうかね。
 でも、これはもうわたしの経験から言うけども、もちろん早く踏ん切りつけた方が幸せです。何でもそうだけどね、何でも後回しにしたがる人っているじゃないですか(笑)。どうせやんなきゃいけないんだけど、「ああ、明日、明日……」ってやっているうちに、よりそれがちょっと大きな苦しみになるっていうか。まあ、夏休みの宿題みたいなもんでね(笑)、例えばね。後回しにするうちに――でも、それはやらなきゃいけない。で、無駄な時間が過ぎてしまったと。「もっと早くやってれば……」って思うわけだね。だから、それは智慧ある人は早くそれに気付いて、「そうだ」と。いつも言うけども――こういうだから表現になるんだね――「わたしは真理に出会った!」ではなくて、「真理に出会ってしまった」と(笑)。「ハァ、出会った」と。「もう潮時ですね」と。ね、こういう感じです、本当に。「ああ、真理に出会っちゃったか」と。「しょうがないな」と(笑)。出会ってなかったら「おれ真理知らないから」って言い訳もきいたが、出会ったら心がそれを許してくれない。いつも後ろめたさがつきまとう。だから「もう潮時だ」と。「真理に出会ったんだから、もうあきらめるしかない」と。
 で、わたしいつも言うけども、わたしよくそういうときに自分のエゴに対するごまかしとしてやっていたのは、「来世遊ぼうぜ」と(笑)。「来世やろうぜ」――っていうのは、来世も真理に巡り合うとしても、来世生まれ変わってね、その修行に巡り合うまでに時間かかるから。例えば、二十歳で巡り合うとしたら二十年遊べると。ね。「だから来世遊ぶか」と。「今生はもうあきらめろ」と。「今生は聖なるものと出会っちゃったから、もうあきらめよう」と。「煩悩あきらめよう」と。ね。
 だからちょっとこの辺はとても真剣に修行している人には切実な、身に迫る問題っていうか(笑)。一切の不善法はあきらめなきゃいけないんだね。捨てるっていうよりも、あきらめなきゃいけない。
 だからわれわれにはさ、「もしかするとこれ持ったままでいけるかな?」っていう、こう、なんていうかな、往生際の悪さがあるんだね(笑)。「えっ、これちょっと……」――隠しちゃったり、それをね。例えば、懺悔とかやってもさ、「先生、懺悔があります。」「ああ、懺悔させてください」と。「こういうところ捨てます」「「こういうこと捨てます」「こういうこと捨てます」――で、ちょっと残しているからと(笑)。「これはまあいいかな?」と(笑)。「これは別に懺悔しないでも、残しておいてもなんとかいけそうな気がする」とか。すごい希望的観測でいるんだけども(笑)、でも全部捨てなきゃいけない。で、それを早いうちからあきらめられる人は早く進むんだね。

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