「修行の基礎・戒について」(1)
2006年9月20日
「修行の基礎・戒について」
◎戒について
はい、今日は「修行の基礎」というテーマですが、何話そうかなあ……
(D)決まってないんですか(笑)?
決まってない(笑)。
(B)戒についてとかは……
戒? 戒律?
(T)「修行の基礎」というテーマの方向性は何ですか?
まあ、二つあってね、一つは、話が勉強会のたびに高度になってしまうから、まあ毎回来ない人もいるし、ついていけない人もいるから、基礎的なことももう一回一からやりなおそうかと。
で、もう一つは、最近説法をテープで録り始めたから、それも含めて。もしこれがまあ将来的に、文章化するんだったら、基礎的なことも話しておかなくてはならない、ということなんです。
じゃあ今日は戒律について、いきましょう。
戒律といった場合、まあ我々は――我々はというか、ここはヨーガ教室なわけですが、ヨーガにおける戒律、これはいろいろあるんですが、一番有名なのはヨーガスートラの禁戒・勧戒ってやつだね。で、その中では、本来の戒律の意味に近いのは、禁戒の方ね。ヤマっていうんですけど。
で、仏教においては、五戒、もしくは十戒っていわれる戒律があります。これが基礎となって、大乗仏教の戒律、それから、まあ密教の戒律とか、そういう感じで増えていくんだけど、まあ、その仏教の五戒や十戒と、それからヨーガの五つの禁戒、これはほとんど同じ。だからすごく普遍的なっていうか、我々にとって必要なものなんだと思います。
はい、じゃあ戒律……まあ勉強会なんで、一方的に話すよりは皆さんの意見を聞いてみたいと思いますが、戒律の意味、じゃあT君。戒律を守る意味について。
(T)戒律を守る意味は、徳を積むことにあります。
徳を積むこと?
(T)はい。
それはねえ、五〇点だな。
(一同笑)
(T)徳を……減らさない。
あ、そうだね。まあそうだね。徳を積む、そして徳を減らさない。なのになぜ今50点といったかというとね……じゃあU君、五戒を言ってください。
(U)……不殺生、
うん、不殺生。
(U)……不邪淫、
うん、不邪淫。
(U)……不妄語、
不妄語。
(U)……不妄語……えーっと……嘘をつかないってのは不妄語ですか?
そうだね、不妄語だね。
(U)必要のない言葉を言わないってのは?
まあ、それは五戒には入ってない。
(U)十戒ですか?
うん。
(U)……不殺生……不邪淫……貪らない。
それはヨーガの方だね。
(U)(笑)
まあ、いい(笑)。じゃK君、分かる?
(K)……
不殺生、不偸盗……あ、ごめん、言っちゃった。不偸盗(笑)。
(一同笑)
不偸盗が抜けてたんだね(笑)。そして不邪淫、不妄語、あと一つ。………ここでヨーガだと、貪らない、あるいは不所有っていうのが入るけどね。で、仏教の五戒ではもう一つは……
(K)あ、分かりました!……お酒を飲まない。
そうですね(笑)。
◎戒の三つの意味
……はい、この五つですが、これはあの、全部見たら分かるように、全部否定的な意味ですね。つまり、何々するなと。つまり殺すなと。盗むなと。嘘をつくなと。あるいは邪淫をするなと。そして酒を飲むなと。
で、戒自体は実はこれだけじゃなくて、もっと積極的な意味もあって、つまり、「殺さない」じゃなくて、生き物の命を助けましょうと。もしくは生き物に対して優しくしましょうと。そういう裏の意味があるんですね。裏っていうか、より積極的な意味。
で、同様に、「盗まない」ではなくて、人に施しましょうと。
そして、「邪淫をしない」ではなくて――まあ邪淫っていうのは、恋愛感情とかも含めた、下心によって行動するんじゃなくて、真の愛を持って行動しましょう。
そして、「嘘」をつかずにただ黙っているんじゃなくて、真理を語るとか、あるいは正直なことを語りましょう。
そして最後に「酒を飲まない」じゃなくて――酒を飲まないっていう戒の裏には、酒によって意識をコントロールできなくなる、っていうのがあります。だから逆に常に意識を鮮明に保ちましょうと。
このような、五つの積極的な意味合いがあります。だからこれを実際にした場合は、さっきのT君が言ったように、徳になる。しかし単純に悪いことをやらないっていうだけだったら、当然それは徳にはならない。
徳っていうのは、曖昧なものではなくて、相手を幸せにするとか、あるいは善行をやったときに、蓄えられるエネルギーなんだね。で、悪行をしないっていうのは、まあつまり、我々が苦しむためのエネルギーである悪行のカルマ、これを積まないっていうことと、それから、せっかく積んだ徳を、どうしようもないことに漏らさない、っていう意味があるんです。
だから、戒っていうのは、完璧に守るとするならば、その三つの意味があるといっていい。まず、徳を積みます。で、その積んだ徳を、無駄に漏らしません。で、徳の反対側の、悪業というのを積まないで済む。だから戒律の実践だけでも、ただそれをひたすら続けるだけで、ある日その人は、もう非常に徳が高く、で、それを漏らしてないから徳が非常にたまっていて、で、悪業は積まないから、悪業が増えない。このような状況が訪れるわけです。
はい。で、仏教とかでは、この前に布施が来ますね。布施、そして戒となりますね。ここでいう布施っていうのは単にお金をお布施するだけじゃなくて、積極的に徳を積む実践ですね。ただしそれも先ほどの話でも分かるように、例えば盗まないの裏側に人に施すっていうのがある。
あるいは布施ってね、三つあるんだね。財施、二番目は無為施といわれるやつ。で、三番目は法施。
これは一番目は、文字通り、財産とかお金とか食べ物とかを人に施す。
で、二番目が、人に精神的安らぎを与える。もしくは、生き物の命を救えと。そういうのがあります。
それから三番目は法の布施、つまり人に真理を教える。
これはさっきの戒律の話を聞いたら分かるように、戒律を積極的に捉えた場合、例えば殺生の裏側には命を救うってのがあるし、あるいは「盗まない」の裏側には「施す」っていうのがある。あるいは邪淫の裏側には、愛をもって人に接すると。つまり安らぎの布施に通じるものがあるし、あるいは「嘘をつかない」の裏には、真理を語る、つまり「人に法を施す」に通じるものがあるし、つまりその、戒律っていうひとくくりの言葉で、布施・持戒を包含することができる。
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