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「他者の信をなくさせてはならない」

◎他者の信を無くさせてはならない

 はい、「他者の信を無くさせてはならない」。これはもう分かるね。これはそうですね、意図的な場合と、意図的でない場合がある。

 意図的な場合っていうのは、もちろん嫌悪とかあるいは邪悪な心によって、もしくは自分の無智によって、つまり例えば自分がちょっと調子悪いときとか、あるいは疑念が出たときとか、あるいはちょっとこうむしゃくしゃしてるときとか、そんなのは自分の中でしまっておけばいいんだけど、周りにまでそれを撒き散らす。それによって、周りもその影響を受けてちょっと信がなくなるとか。これはもちろん駄目ですよと。

 もう一つ、不可抗力的なときがある。不可抗力っていうのはつまり、そんなつもりはなかったっていうやつね。そんなつもりはなかったんだけど、自分が言った一言によって、誰かが修行への信をなくしたり、師匠への信をなくしたりする。これは完全に無智です。つまり気配りが足りない。つまり自分の発言がどういう影響を及ぼすのか。こういうことを言ったらこの人はどうなるのかっていう気配りが足りない。で、無智によってペラペラペラペラとなんかいろんなこと言っちゃって、それによって誰かが信をなくすかもしれない。

 まあだから、Cさんが綺語を言わないように気をつけてるっていうのがあるけど、つまりそういう感じでもう気をつけなきゃいけないんだね。自分がパッと言ってしまったことがどういう悪影響を周りに及ぼすか分かんない。それを本当に、ちょっと厳しいぐらいに、だからまさにシャーンティデーヴァの『入菩提行論』の言葉みたいな感じだけど、自分の言葉、心の働き、行動を常にチェックするわけです。チェックして、一切周りに悪影響を与えることはやらない。で、どうしてもそういうのが出そうになったら、木材になれと。まるで木材のように、意識のないもののようにグッとストップしろと。ね。

 だからこれは、もう一回まとめると、悪い心があって、あるいは自分が調子悪いからって、それを周りにぶちまけるような――これはもう最悪。こんなものは話にならない。それはもう自分の中でしっかりと乗り越える問題であって、周りに影響を与えてはいけない。

 で、次に、そんな気持ちはないんだけど、口のカルマとかによって、なんかいろんなこと言っちゃって、自分ではそんなつもりなかったけど周りが信をなくしてしまう。これははっきり言って無智だし、気配りが足りない。だから普段から自分の発言とかにはしっかり気をつけなさいと。

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