「二つの真理」
◎二つの真理
【本文】
それは王者の神秘の力であり、王者の秘密であり、無上の浄化力でもある。
また認識しやすく、実行しやすく、永遠の価値を持った道でもある。
敵を滅ぼす者よ! この至上の叡智の道を信じない者たちは、
わたしのもとに来る事ができず、生死を反復するこの世へ戻ってくることになる。
ヨーガでも仏教でも、二つの教えがあると思うね。一つの教えというのは「限定された世界での教え」。もう一つの教えは「究極の教え」です。これが仏教ではよく、「絶対の真理」と「相対の真理」――難しい言葉でいうと「勝義諦」と「世俗諦」とかいうんだけど。
これはいつも言っているたとえだけど、もう一回改めて言うとね、ここにコンピューターゲームがあったとして、そのコンピューターゲームに完全にはまっている人がいる人がいて。はまってるっていうのは、もう病的に完全に――ロールプレイングゲームがいいね。ロールプレイングゲームの主人公に完全になり切っちゃっている男がいたとして。この人はもうなり切っちゃっているから、ゲームをクリアしないと終われない人なんだね。この人にとっては、上手いゲームのクリアの仕方を教える道――これが相対的真理。
で、絶対の真理っていうのは、「え? それゲームだよ」と(笑)。「目を覚ませ」と。
だから、あそこにこういうアイテムがあるとかね。ここでこの敵を倒したら裏面に行くとか、いろいろあるよね(笑)。そういう道が、一般的な――徳を積んだら天へ行きますよとか、あるいはカルマの法則はこうこうこうですよ、とか。あるいはチャクラとはこうですよ――っていうのは、全部その相対的真理の世界なんだね。われわれのこの法則の世界の法則の真実を明かしている道。
でもその全部をひっぺがした、「でも本当はね、ゲームなんだよ」と。絶対的真理とはそういう世界だね。
だからいつも言うけども、マトリックスみたいな感じだね。映画のマトリックスみたいな感じで――マトリックスっていうのは、あれはもちろんフィクションだけど、コンピュータで作られた仮想現実みたいなのがあって、その仮想現実もプログラムだから、そのプログラムのいろんな法則性があるわけじゃないですか。その中でうまくやっていく道――これが一般的な真理。じゃなくて、「ちょっと待て」と。「全部それは仮想現実だよ」と。「目覚めろ」――これが究極の真理なんだね。
で、この究極の真理に段階があるんだけど、究極の真理の最後の最後の段階というのが、言葉ではあらわせないんだけど、敢えてあらわすならば――「すべてクリシュナだよ」と(笑)。敢えてだよ、これは。敢えて言うしかない。
まず究極の真理の第一段階は、「個我」――個我っていうのは、真我といってもいいんだけど、われわれの本質を悟る道です。私の本質、それは真我であったと。真我――どういう名前でもいいんだけど、光輝く本性。仏教的にいうと、例えば如来の本性とか仏性とかいうけども。
このさらに上があるんだね。それは何かというと、この宇宙を包含する完全なる絶対なる存在があって、それと自分の本質は「あれ? 一緒じゃん。同じだった」っていう道ね。これはちょっとたとえで言うと、海の中に瓶があって、瓶の中に海水がある状態があるんだね。瓶の中に海水が入っているんだけども、瓶の中の海水と海の海水とはもちろん同じなんだけど、この瓶のガラスっていう壁があるから、「私」っていう変な意識を持っちゃっている。意味分かるよね。つまり瓶が海中にあったとして、それは単純に瓶っていう形状がそこに置かれているだけであって、その瓶の中も外も全部海というのは変わらないんだけども、瓶という壁があるがゆえに、「おれは『私』だ」と。例えば、瓶の中に虫が入って来たりすると、「おれの中に虫が入ってきた!」と変な意識を持ってしまう。これが今のわれわれなんです。高々この肉体というか、肉体の中にある――中にっていうのも、変な言い方だけど――表層の意識とか潜在意識とか。これは本当はわれわれの本質とは関係ないんだけども、それに「私」っていう感じを持ってしまっている。これが今のわれわれ。
解脱っていうのは、この瓶を叩き割るんです。叩き割ったことによって、その「私」っていう感覚が消えるんだね。「あれ? 『私』っていうのはなかったのか?」と。その真実の自分の状態に気づく。これは最初の段階なんだけど、最初は「私には壁がなかった」と。「私の本質っていうのはこんな感じだった」って、最初は気づくんだけど。で、その自分がこの広大な海と全く一体なんだっていうことに気づく。これが最高の悟り。これを「梵我一如」とかいうね、ヒンドゥー教の言葉だと。これが最高の真実。
ここに書かれているのも――「至上の叡智の道」と書かれているけども、これは言葉ではなかなか説明できない道なんだけども、そういう道があるんだね。その道に入るには、単純にヨーガや仏教の本を読むだけじゃなかなか難しい。縁も必要だし、祝福も必要だし、それから修行のいろんな蓄積も必要なんだね。