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「ヴィヴェーカーナンダ」(32)

 カーリー女神は、マー(母なる神)として、ラーマクリシュナが最も敬愛した存在でした。そしてかつてはヴィヴェーカーナンダは、師のカーリーへの愛を十分に理解していませんでした。

 しかしこのころヴィヴェーカーナンダは、この母なる神・カーリー女神は、すべてに遍在していると悟ったのでした。どこを向いてもヴィヴェーカーナンダは、カーリー女神の存在を感じるようになりました。そしてカーリー女神が自分の手をしっかりとつかみ、まるで本当に母が子を導くように導いてくれている、と感じました。

 ヴィヴェーカーナンダのカーリー女神への覚りは日に日に深まっていきました。そしてある日の瞑想中、まるで電気ショックを受けたかのように、ヴィヴェーカーナンダの全身は震えました。彼は、現象のヴェールの背後に潜んでいる強力な破壊者、カーリー女神の姿を、ありのままに見たのでした。熱狂のあまり、ヴィヴェーカーナンダは暗闇の中で鉛筆と紙を手探りし、「母なるカーリー」という詩を書くと、そのまま力尽きて倒れました。

母なるカーリー

星々は消え、雲が雲を覆い
闇は振動し鳴り響く。

ほえたけり渦巻く風は、
いく百万の狂える魂であり
牢獄より放たれ、
木々を根こそぎもぎりとり
すべてのものを道から一掃する。

海は騒ぎ立ち、山なす波を巻き上げて
暗黒の空に届く。

青白い稲妻の閃きは、四方八方に
汚れた黒き幾千もの死の影を現わす。

疫病と悲哀をまき散らし、喜びに狂い踊りながら
来たれ、母よ、来たれ!

恐怖は汝の名前であり
死は汝の呼吸であり
ふるえる歩みの一歩一歩が
永久に世界をうち砕く。

汝よ、時よ、万物の破壊者よ
来たれ、おお、母よ、来たれ!

悲惨をあえて愛し
死の影を抱きしめ
破壊の踊りを舞踏するもの--
彼のもとに母は来たる。

 このころからのヴィヴェーカーナンダは、明らかに以前の彼とは違っていました。彼は弟子たちに、カーリー女神のことばかりを語るのでした。このころ、彼は弟子たちにこのように言いました。

「汝(カーリー女神)が私を殺害しても、それでも私は汝を信頼します!」

「苦悶の中にもまた、至福があります。」

「楽しさや喜びの中に母なる神を見出すように、悪、恐怖、悲哀、絶望などの中にも母なる神を認めるようになろう!」

「死について瞑想せよ! 死について瞑想せよ! 恐怖すべきものを崇拝せよ! 恐怖すべきものを、恐怖すべきものを!
 そして、母そのものがブラフマンだ! 彼女の呪いさえも恵みだ。 
 心は一つの火葬場とならなければならない。――おごり、利己主義、そして欲望、一切が燃えて灰となるべきです。そのとき、ただそのときにのみ、女神は来られるでしょう。」

「ハリ・オームはもう必要ではない! 今はすべてマーだ!」

 善、秩序、美しさなどの中にのみ神を見るように教えられてきた西洋人の弟子たちは、このころのヴィヴェーカーナンダの教えに、一撃を受けました。のちにシスター・ニヴェーディターは、こう書いています。

「地震とか火山の噴火のときに神への心を持たずに、愛の神や神の摂理や慰めの神などにささげられる礼拝の底に存在している利己主義について、スワーミーが語ったとき、聞き手は圧倒されました。人はヒンドゥー教徒が『小売商売』と呼んでいるそのような礼拝が、心の奥底にあるのを知ったし、また神が善を通じてばかりでなく、悪によっても顕現するという教えの無限に偉大な大胆さと真実を知ったのです。
 個人的な自我によってくじかれることのない心と意志に対する真の態度は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの鋭い言葉によれば、
『生ではなく死を求め、刃の先に自らを投げつけ、恐怖すべきものと永遠に一つになる』
という決心でした。」

 あるときヴィヴェーカーナンダは、廃墟と化した寺院の中にある、カーリー女神の像を見つけました。それはイスラム教徒によって破壊されたのでした。それを見たヴィヴェーカーナンダは、悲しみで心を満たし、一人つぶやきました。
「どうして人々は不屈の反抗もできずに、このような冒涜を許したのか。もし私がそのときここにいたならば、このようなことは決して許さなかったでしょう。私は母なる神を守るために、命を投げ出したでしょう。」
 そのとき、母なるカーリーの言葉が、ヴィヴェーカーナンダの耳に、はっきりと聞こえました。
「信仰心のない者がこの寺院に入ってきて、私の像を汚してもかまわない。あなたにとってそれがどれほどのことでしょう。あなたが私を守るのですか。それとも私があなたを守るのでしょうか。」
 
 この体験に言及して、ヴィヴェーカーナンダは弟子たちに言いました。
「私の愛国心はすべてなくなりました。あらゆるものがなくなりました。今はただ、マー! マー! があるのみです。私は大変な間違いをしていました……私は幼い子供にすぎません。」

 彼はさらに続けようとしましたが、言葉が出ませんでした。彼は話を続けられないと述べ、最後に意味ありげに、次のように付け加えました。
「精神的には、もはやこの世に束縛されていない。」

つづく

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