「ヴィヴェーカーナンダ」(22)
1893年9月11日、ついに世界宗教会議が開会されました。
キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、儒教、神道、ゾロアスター教など、世界中のさまざまな宗教の代表者たちが一堂に会し、その会場は七千人ものアメリカの文化人の聴衆たちで埋め尽くされていました。
初日、各宗教の代表者たちは、一人ひとり壇上に立ち、用意されていた原稿を読み上げました。
ヴィヴェーカーナンダの順番は31番目にやってきました。しかしヴィヴェーカーナンダは、何の原稿も用意しておらず、またこのような多くの聴衆の前で話すのは初めてだったので、少し気後れし、自分の番は後に回してほしい、と議長に頼みました。
ついに他の全員のスピーチが終わり、ヴィヴェーカーナンダは促されて壇上に上がりました。
何の原稿も用意していないヴィヴェーカーナンダは、壇上に立つと、神に祈りを捧げてから、堂々とした声で、こう言いました。
「アメリカの兄弟姉妹の皆さん!」
この瞬間、七千人の聴衆は立ち上がり、スタンディングオベーションで拍手喝采を送りました。なんとその後二分もの間、聴衆は座ることなく、拍手を送り続けたといいます。
なぜこのようなことが起こったのでしょうか? これまでにスピーチしたすべての宗教家たちは、用意された形式的な原稿を読み、ただ自分たちの宗教の優位性を語るだけの、退屈なスピーチでした。聴衆はこのときのヴィヴェーカーナンダのような、兄弟のように自然で率直な暖かさを持った言葉を待っていたのです。
しかしもちろんそれだけでは、このような短い言葉で、7千人の聴衆にスタンディングオベーションをさせることなどは不可能でしょう。やはりこのときのヴィヴェーカーナンダは、神の意思により、その言葉、その姿から、まさに文字通り神がかり的なオーラを発していたのではないかと思います。
やっと聴衆の拍手がおさまった後、ヴィヴェーカーナンダはスピーチを始めました。
他の宗教家たちが、自分の宗教のすばらしさを語るだけだったのに対し、ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの教えの特徴である、すべての宗教は一つであり、すべての宗教の神は、ただひとつの絶対者であるということを説きました。
スピーチが終わると、再び耳をつんざくばかりの大拍手が起こりました。
この日はヴィヴェーカーナンダの独壇場で終わりました。
この夜、ホテルに帰った後、ヴィヴェーカーナンダは涙を流しました。それは、スピーチが成功したことへの喜びの涙ではありませんでした。
ヴィヴェーカーナンダは、ついに世に出たのです。もう彼にとっては、ただ神との不断な交わりの中での、一僧侶としての孤独な生活は終わりを告げたのです。神の安らぎの平安のうちにひっそりと住む代わりに、絶え間ない騒ぎと強要の付きまとう公の生活の中に投げ出されたのです。それは神の意思であるということはわかってはいましたが、自分の平安な人生が終わりを告げたことを知り、彼は子供のように泣いたのでした。
この宗教会議の期間中、ヴィヴェーカーナンダは計12回にわたるスピーチをしました。
議長は毎日、ヴィヴェーカーナンダのスピーチの順番を、一番最後に回しました。なぜなら聴衆の多くが、ヴィヴェーカーナンダのスピーチを聞きにやってきていたからです。人々は15分のヴィヴェーカーナンダのスピーチを聞くために、一時間でも二時間でも待っているのでした。
シカゴの町には等身大のヴィヴェーカーナンダのポスターが飾られ、多くの通行人はその前で足を止め、敬意を表して頭を下げました。
アメリカの各新聞も一躍宗教会議のヒーローとして颯爽と現われたインドの無名の僧のことを、こぞって書き立てました。
「彼は間違いなく、宗教会議中の最も偉大な人物である。
彼の話を聞くと、これほど学識のある民族に宣教師などを送るのは何という愚かなことだろう、と感じる。」
(ニューヨーク・ヘラルド紙)
「彼はその情操や容貌の威厳から、会議の大変な人気者である。演壇を横切るだけで拍手される。この無数の人々からの格別の賛辞を、彼はほんのわずかの自負心もなく、子供のような心で喜んで受け入れた。」
(ボストン・イブニング・ポスト紙)
このヴィヴェーカーナンダの大成功は、インドの新聞や雑誌にも掲載されました。
それを知ったヴィヴェーカーナンダの法友たちの喜びは、筆舌に尽くしがたいものでした。
確かにラーマクリシュナは、
「ナレーンドラはいつの日か世界を揺るがすだろう」
と、口癖のように言っていました。しかしその言葉を文字通り信じた者はどれほどいたでしょうか。ラーマクリシュナの信者や弟子たちは改めて、師の言葉が寸分たがわず正しかったことを知ったのでした。
ヴィヴェーカーナンダ自身も、インドの兄弟弟子や信者たちに何度も手紙を送り、彼らの情熱をかき立てました。たとえばあるときヴィヴェーカーナンダは、信者への手紙にこのように書きました。
「ふんどしをしめなおしたまえ、私の息子たちよ。
私はこのことのために主に呼ばれているのだ。
希望は君たちの中に――柔和な、謙虚な、そして誠実な者たちの中にある。
不幸な人々のために感じ、そして助けを求めたまえ。――それは必ずやってくる。
私はハートから血を流しつつ、助けを求めて地球の半分をよぎり、この知らぬ他国にやってきたのだ。主が私をお助けくださるだろう。私はこの国で寒さと飢えに死ぬかもしれない。しかし、若者たちよ、私は君たちに、貧しい人々、無智な人々、圧迫された人々へのこの慈悲心、彼らのためのこの努力を残して逝く。
「彼」の前にひれ伏して、大きな犠牲をささげたまえ。彼らのために――日々に沈んでいくこれら三億の人のために――全生涯を捧げるのだ。
主に栄光あれ。われわれは成功するだろう。幾百人が、努力の半ばで倒れるだろう。――しかし幾百人が、喜んでその後を引き受けるだろう。
命などはなんでもない。死などはなんでもない。主に栄光あれ! 前進せよ! 主がわれらの大将である。倒れた者を振り返って見るな。前進せよ! 進み続けよ!」
つづく
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