「ミラレーパの生涯」第二回(3)
【本文】
そしてそのころ、マルパの息子のために建てられた塔の完成記念の宴が開かれることになり、ゴクパのもとにも招待状が来ました。そしてそこには、「私のものである悪人も一緒に連れてくるように」と書いてありました。そこでミラレーパも一緒にマルパのもとへと向かいました。
宴の席において、マルパは、なぜ許可なくミラレーパに秘密の瞑想法を教えたのかと、ゴクパをしかりました。そしてそれがダクメーマの仕業であることがわかると、マルパは怒り狂い、ダクメーマを叩こうと立ち上がりました。ダクメーマは部屋に逃げ、鍵をかけて隠れました。
この一連の騒ぎの間中、ミラレーパは心臓が張り裂けそうでした。
「自分は悪業多く、教えを受ける良いカルマがない。それどころか、自分の存在によって、ダクメーマやゴクパにまで迷惑をかけている。私のようなものは死んだほうがましだ。来世こそは、信仰に値する者として生まれ変わりますように!」
こうしてミラレーパは、刃物で自分の喉を切り、自殺しようとしました。しかしゴクパが間一髪それを止め、言いました。
「時が来ていないのに自ら命を断つのは、大きな罪になる。この試練を耐えれば、必ずマルパは教えを与えてくれる。マルパが与えてくれなかったら、私が与えることもできる。だから死ぬなどということは考えるな。」
このように涙ながらにミラレーパの自殺を押しとどめました。
はい。まあ結局、ゴクパのところにミラレーパが行ったっていうことにマルパが気付いて、ある宴の席のときに「ミラレーパも連れてこい」というふうにゴクパに伝えるわけだけだね。そしてまあミラレーパも久しぶりにね、またマルパのもとに行くわけだけど、その最中においてマルパがゴクパをね、「なんで勝手にミラレーパに教えを与えたんだ」って――まあマルパってものすごく怖い人だったらしいから、マルパが怒りだすとみんながもう震え上がって顔も上げられないほどだったっていうから、ゴクパもものすごい恐怖だったんだろうね。で、それがダクメーマの仕業だったって分かると、これも面白いよね、マルパは怒り狂ってダクメーマを叩こうと立ち上がったと。ダクメーマは部屋に逃げて鍵をかけて隠れたと(笑)。非常にリアリティがあって面白いけども(笑)。で、これはもうすごい大騒ぎ――せっかくの楽しい宴のはずだったのが、ね、ものすごい大騒ぎになってしまったと。で、ここでまたミラレーパは絶望感に包まれるわけですね。つまりまあこれはここの話だけじゃなくて、ずっと前から流れがあるからね。
さっきから言ってるように――じゃあもう一回整理しますよ。マルパのもとに教えを求めに来たが全く教えを与えられず、何をさせられたかというと徹底的なまず肉体労働。しかもそれは、ね、たった一人でね、例えば石を運んだり石を削ったり、モルタルをね、練ったりっていうことをたった一人でやらされ、で、それを例えば九階とかの塔を建てさせられると。しかし完成直前で、やっぱやめたと言われてね、もう一回それを自分で壊せって言われて、一人でまた壊すと。で、またほかのところに建てろと言われると。つまりこれはもちろん肉体的な苦痛、ね、プラス、達成感直前でそれを奪われるっていうね、失望感っていうかな、これを経験させられると。で、それから弟子の集まりの中でただ一人のけものにされ、ね、おまえだけは――つまりほかのね、弟子はその教えを受ける価値があるけど、おまえはその価値がないと、出て行けという、なんていうかな、ものすごいプライドをつぶされ、かつ教えを受けられないという悲哀ね、これを味わわされると。これを一回じゃなくてね、何度も何度も繰り返される。
で、もう絶望の極地にあって、しかし唯一の心の支えであったマルパの奥さんのダクメーマの力添えによって、兄弟子ゴクパのもとに送られるわけだけども、で、そこでまあおそらく一瞬、「やったー!」って思ったと思う。「やったー、やっと修行できる」と思ったら、なんの効果もないと。で、また絶望の中にいるわけですね。で、後ろめたさもあるわけじゃないですか。つまり「やっぱり奥さんの力添えがあったとはいえ、師を裏切ってしまった。師に嘘をついて逃げてしまったのはやっぱりまずかったかな」と。「わたしはほんとにすごい過ちを犯してしまったんじゃないか?」っていう絶望感がある。で、最後の最後で、その自分の存在によって、ね、ほんとだったらグルに愛される高弟であるゴクパや奥さんまでもがグルの怒りの逆鱗に触れ、大変な騒ぎになってしまっていると。
で、そこでもうミラレーパはね、もう自分にはもうほんとに教えを受ける価値はないんじゃないかと。自分はこんだけ教えを求めてね、努力してきても、わたしにはその価値がないのかもしれないっていう究極の絶望によって、自殺を図ろうとするんだね。
これは前の何かのときにも話したけども、ラーマクリシュナ、そしてナーローパ、そしてこのミラレーパ、この三人は実は似てるんだね。似てるっていうのは、大いなる悟りというか、大いなる修行の最後の段階で、三人とも自殺しようとしてる。ラーマクリシュナはカーリー女神に対して一心に祈って、で、いわゆるそのカーリー女神を実際にその像ではなくてね、ほんとのカーリー女神と会いたいと思って、熱心に修行してたんだけど、全くカーリー女神が現われてくださらないと。で、夜も寝ずにご飯も食べずにひたすら祈り続けたんだけど、全くカーリーが現われないと。そこでもう最後の最後でラーマクリシュナは絶望に陥って、そのね、カーリーの寺院、カーリーの像のところに実際に刃物が置いてあったわけだけど、その刃物で首を切って自殺をしようとしたんだね。「カーリーに会えないなら生きてる意味がない!」と思って自殺をしようとした瞬間にカーリーが現われた。まあそれによってカーリー女神を悟るわけですけどね。
ナーローパも前に学んだように、グル・ティローパをひたすら探す旅に出るわけだけど、ね、何度も何度もティローパの幻影と出会うんだけど、それがグルであるって見抜けずに失敗を繰り返す。で、その失敗の果てに絶望に陥り、ね、もう今生はグルに会えないのかもしれないっていうその絶望感によって自殺を図ろうとする。図ろうとした瞬間、ティローパが現われたと。
で、ミラレーパも同じだね。さっきも言ったように究極の求道の果てに、極限的に道を求めるその行為の果てに絶望に陥り、自殺しようとした瞬間に、まあこのあとの話で出てくるけどね、マルパが受け入れてくれるんだね。いきなり優しくなって、「さあ、教えを与えよう」と、「幸せにしてやろう」って言ってくれるんだね。
これはだからまあ分かると思うけど、別に自殺することがいいって意味じゃないよ。つまりそこまでの真剣さっていうかな、あるいは全力の求道というか、その果てに来る絶望っていうかな。これがこの三人の共通点なんだね。
それはだからわれわれもその見習わなきゃいけない。つまりそこまでその道を求めてるんだろうかっていうと、まあなかなかそこまではいかないと。ね。もちろんそれは何度も言うけども、別に自殺しろって言ってるわけじゃない。あるいはこの三人が辿ったことと同じことをやれって言ってるわけじゃないよ。それぞれの使命というかカルマがあるわけだから。しかし、それくらいのものはやっぱり必要なんだね。
っていうのはさあ、逆に言うとね、われわれだったらですよ、われわれがもし、ね、ラーマクリシュナ、あるいはミラレーパ、あるいはナーローパだったら、多分どっかでもうあきらめてるでしょう。あるいはどっかで手を抜いてるでしょう。ね。例えばね、まあいつも言うけど、こういうのはリアルに考えるとすごくいいと思うんだね。リアルに考えるとっていうのは例えば、教えを求めて師のもとへ来たのにね、例えばY君が、わたしだったらわたしでもいいけど、わたしのもとに「教えをください!」って来て、そしたらわたしは全く教えを与えずに、ちょっと道場造りたいから(笑)、みなとみらいの河原んとこにでも道場造ってこいと。一人で造れと。ね。それから、道具使っちゃ駄目だと。ね(笑)。その辺の石持ってきて、石を組み立てて、で、セメントを塗ってね、九階建ての道場を造りなさいと。ね、それをカイラスの新しい道場にするからと。
多分ね、現代的な頭の固い人は、もうここで駄目です。「この人おかしいんじゃないか?」と(笑)。まあY君がそうなるかは別にしてね、一般論として言うと、「えっ、ちょっとこの人なんなんだろう? あ、ちょっと変なところに来ちゃったな?」って思うかもしれない(笑)。ね。だから逆に言うと、現代ではあんまりこういうことはできないんだね。
現代の、これはわたしがっていう意味じゃなくて、一般的な師匠っていうか、一般的な例えばヨーガとかチベット仏教とかでも。例えばダライ・ラマ法王なんかが一番いい例だけど、わたしは実はあのダライ・ラマ法王の本っていうのは、とても素晴らしい本もあるけど、すべて全面的に皆さんにお薦めしようとは思わない、実は。なんでかっていうと、かなり西洋向けに説かれているからね。西洋向けっていうのは、つまり日本人よりもさらにつじつま合わないと動かない人たちだからね(笑)。すごい、なんていうかな、表面的なつじつま。はい、こうでしょ? こうでしょ? 常識的にこうですよね? っていうところから話を始めているから、そんなところは別にもういらない人にとっては、逆に邪魔になる場合もあるんだね、そういう話っていうのはね。でもまああのダライ・ラマ法王ですら、そういうことを言わないと教えを説けない時代になっているんだね。
例えばですよ、ダライ・ラマ法王がもし弟子にね、無償の奉仕として自分の家を造れって言って、一人で石運べとか言ったら、もうスキャンダルになりますよ。暴露本とか出ますよ(笑)。ダライ・ラマのひどさとか(笑)、そういう暴露本とかいっぱい出るよね。まあ実際、例えばバグワン、オショーとかね、あるいはサイババとかも弟子が暴露本とか出してるけど、もちろん実際は、わたしはあんまり彼らのことはよく知らないので、実際どうだったのかっていうのは分かんないけども、でもまあそんだけ、なんていうかな、信仰のない時代になってるんだね。あるいは自分を投げ出せない時代になってきてる。だからすごく修行っていうのは表面化してるっていうか、まあ表面的な部分から入るしかない時代になってきてるんだね(笑)。
でもまあちょっと話を戻すけども、例えばそういうふうに、一人で、ね、石を運んで造れって言われてね、例えばリアルに考えてね、まあ一年ぐらいかかるかもしれないね。Y君が一年ぐらいかけて九階ぐらいこう石を積み上げてね、「ああ、もうすぐかなあ」って思ったところに――で、その間中、なんていうかな、一切修行は教えてもらえないと。ね。でも、ここでポイントは、修行を教えてもらえなくてもずっとY君は修行を求め続けてるんですよ。「悟りたいんだ! 悟りたいんだ!」と。――でもここでもね、あるタイプの人は、途中で多分ほかの師のもとへ行くでしょう。ね。「悟りたいんだ! 悟りたいんだ!」と。「おれ、何やってるんだ? こんなんでいいのかな?」と(笑)。「いいわけがない!」と。「修行したいんだー!」って言ってやめて、ほかの師のもとへ行くでしょう。ね。でもそうじゃなくて、ひたすらその自分の出会った、ね、師を信じて、石を積み上げ続けると。で、一年ぐらいたったときに、もうすぐ「ああ、もう完成だ!」と。ね。最初はつらかったけど、もうここまでくれば達成感があると。「ああ、もうちょっとだ」と。これがグルへの奉仕になるし、グルも認めてくれるだろうって思ってたら、いきなりグルがやってきて、「ううん。やっぱ駄目かな、ここ」と。ね(笑)。「ここちょっと、こんなとこに建てたら怒られちゃうかな?」とか言ってね(笑)。「やっぱやめよう」と言って、はい、また一人でこれを崩せと言われると。こういうのが繰り返されると。
で、その途中途中で、例えばですよ、「はい、じゃあ今日は皆さんに秘密の瞑想法を教える会を開きましょう」といって、みんなを集めると。で、それを耳にしたY君もね、「ああ、なんかそういうのあるみたいだ」と。そこで自分の自負があるんだね。自負っていうのは、「おれは誰よりもグルに尽くしてきた」と。ね。「こんなことやってる人など誰もいない」と。「おれは多分、帰依っていう意味では相当優れてるだろう」と。ね。だってほかの人たちは別にね、修行ばっかりやって奉仕してないじゃないかと。ね。「だからおれこそがこの教えを受ける価値がある弟子なんだー!」って、ウキウキして行ったら、「おまえだけは駄目だ」と言われるわけだね(笑)。ガーン!ってくるわけでしょ。しかしそこでも求道心を失っちゃいけないんだよ。あるいは帰依も失っちゃいけないんだよ。そこでもあくなき帰依と求道心で黙々とやり続けると。これを何年も続けさせるわけですよ。
で、さっき言ったように、途中で何度も挫折を経験しながらも教えを求め続け、で、最後の最後で究極の絶望に陥るんですよ。究極の絶望っていうのは、つまり逃げの絶望じゃなくてね。われわれはすぐに、逃げの絶望ってあるんだけど、ちょっとやっただけでなんかできなくなったりすると、「ああ、もう駄目だ」とね。これよくね、そうだな、阿修羅的な人、もしくは動物的な人。これはね、こういうタイプの人が多いです。百ゼロなんだね。百ゼロっていうのは、ちょっとでもなんかこう上手くいかなかったりすると、もう全部放り投げたくなっちゃってね。「ああ、もう駄目だ!」と。これは究極の絶望じゃないよ(笑)。これは、なんていうかな、プライドからくる絶望だったり、あるいは動物的な逃げからくる絶望ね。動物的な人もしくは阿修羅的な人ってこういう傾向が多い。
そうじゃなくて、ほんとにもう求め続け、求め続け、耐え続け、耐え続け、で、もう全力を出し切って、そうだな、ちょっともうこれは表現できないんだけど、あえて表現するならば、三回ぐらい死んで、ね、三回ぐらい全力を尽くして倒れてを繰り返して、もうほんとに一滴も、何かもうエネルギーが出ないぐらいに全部を捧げ続けて、しかし手に入らなかったっていう絶望なんだね。この究極の絶望ののちにやってくる祝福があるんだね。これがだからこのミラレーパやラーマクリシュナや、まあナーローパにわれわれが一つ学ばなきゃいけないところですね。われわれはまだそこまでの意志の強さや帰依や、あるいは求道心っていうのはまだないかもしれない。だがそれはそこに近づけるように、日々ね、自分を鍛えなきゃいけないし、あるいは心構えを日々持ち直し続けなきゃいけないんだね。
はい。ここがその自殺の場面ね。しかしここはまあ法友である、兄弟子であるゴクパがね、涙ながらにそれを止めたっていうところですね。