「ミラレーパの生涯」第三回(12)
「己の意識の流れへと一つ一つの新しい体験をあてがったので、教義の論争に関わることは忘れてしまいました。」
はい。これもまあ、これだけだといろんな解釈ができると思いますが、これもあまり突っ込まずに簡潔に言いますよ。――われわれは、なんていうかな、簡潔に言うと、修行しなきゃいけない。修行して――まあつまりね、「この教えに書いてあるこれは、どういう意味だろうか。」ね。あるいは例えばさ、「別の本ではヨーガの聖者がこういうことを言ってるけど、これは一体どういうことなんだろう?」とか――まあ例えばT君とか、よくそういう質問をするんだけど、「ここでいう宇宙意識というのは仏教でいう無色界とはどういう関係でしょうか?」とかね(笑)、なんかそういうことがいっぱい出てくるわけだけど(笑)。それは経験しろと。ね(笑)。
もちろんそういった知的好奇心っていうのがあるのは悪いことじゃないんだけど、それは、なんていうかな、やっぱり限界があるんですよね、経験がないとね。で、限界があるっていうことを知りながら、ある程度興味を持つと。これは別に悪いことじゃないんだけど、興味を持ったら、じゃあそれをちゃんと体得するために修行しようって考えなきゃいけない。
だから一つ一つ、われわれは、お釈迦様やいろんな聖者が残した、まあある意味ヒントです、これは。ヒントとしての教えっていうものを、体得しては次に進み、体得しては次に進みっていう方法を取らなきゃいけないんだね。はい。
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