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「グル・リンポチェ」(4)

◎グル・リンポチェ、チベットへ行く

 9世紀、チベットのチョギャル王朝の第37代君主のティソン・デツェンは、仏教をチベットに導入するために、インドからシャーンタラクシタを招待しました。説一切有部(サルヴァスティヴァーディン)派の僧であり著名な学者の一人であるシャーンタラクシタは、大乗仏教の自立論証派哲学(スワータントリカ)の支持者の一人であり、有名な著書の中には、中道哲学についての中観荘厳論(マディヤマカーランカーラ)と、論についての真実摂(タットヴァサングラハ)があります。彼はチベットに到着した後、六ヶ月間に渡って仏法を説き、サムイェー僧院の基礎を築きました。このことは、ボン教の土着守護霊たち(ボン教はシャーマン的土着宗教で、生贄を捧げて守護霊たちを崇拝していた)を激しく動揺させました。

 そのため、パンタン宮殿は洪水で押し流され、現在のポタラ宮殿の地にあった赤い丘の宮殿は、稲妻や疫病、飢饉、干ばつ、あられの嵐などにより破壊されました。どんな僧院の建設物を完成させても、同日の夜には反勢力によって破壊されました。王を妨害し始めた反仏教勢力の大臣たちは、災いの源であるシャーンタラクシタを追放するよう要求しました。シャーンタラクシタはそれに対して、「グル・パドマサンバヴァをチベットに招き入れるべきです。彼は地上最大の力を持つ成就者です。前生で誓いを立てたので、彼をここに呼ぶことは難しくありません」と王に言うと、チベットを後にしネパールへと行きました。
 王はグル・リンポチェを国へ招くために、ナナム・ドルジェ・ドゥブジョムをリーダーとした七人の使者を派遣しました。グル・リンポチェは予知能力によって、彼らの目的をすでに知っていました。そこで彼は自らマンユル・クンタンまで行って使者たちに会い、招待を受け入れて、使者たちには先に国に帰るように勧めました。
 彼は王から送られた贈物の金貨をばらまき、一握りの砂を使者に渡すと、「もし黄金が必要なら、私にとってすべての存在は黄金となる」と言いました。するとその砂は黄金に変わりました。

 鉄の虎の年(西暦810年)、グル・リンポチェがチベットにやってきたとき、彼の歳は千歳を超えていました。
 彼は神通力によって、チベットの三州である、北西部のガリ、中央のウとツァン、南東部にあるカムを巡回しました。チベット各地でグル・リンポチェの悟りの奇跡の力が示され、ダルマとその信者を守るため、グル・リンポチェはチベットの強力な霊たちを調伏しました。

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