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☆あらわれたものを幻と観想する方法

☆あらわれたものを幻と観想する方法

 先に述べたように、サハジャの楽と、空の悟りを、無差別として混ぜ合わせることに熟達した者が、瞑想から立ち上がった時にもその見解を維持しつつ、この世のあらゆるあらわれをマンダラとして観想することによって、すべての主体的・客体的なあらわれが、自然にマンダラとして変容される。
 これができる人には、幻についてのこれ以上の教えは必要ない。

 しかし瞑想において楽空無差別をまだ経験できないひとは、瞑想から覚めたときに、この世のあらわれは、普通のあらわれとしてあらわれる。
 その場合、その普通のあらわれとしてあらわれたすべての世界と衆生を、すべて実体がないものだと見る努力をし、またすべては清浄なマンダラであると見る努力をする。あるいは、本質的に空なるものが清浄なマンダラとしてあらわれたものであると見る努力をする。

 グルに教わった仕方によって、そのように正しく見る努力をするならば、まずすべてのあらわれをマンダラであると見ることができるようになる。
 次に、そのすべてのマンダラのあらわれは、幻にすぎないと見ることができるようになる。
 そして次に、そのすべての幻は大いなる至福であると知ることができる。

 瞑想において大楽と空性をよく修習し、瞑想から起き上がった日常においても上記のように修習し、そのようにして日常と瞑想を交互に混ぜ合わせるべきである。

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