◎計画をしない
【本文】
行為とは何か? 非行為とは何か? 賢者でもこれを定義するのに苦労するが、私は今ここで、行為とは何かを君に説明しよう。
これを知ることで君はあらゆる罪から解放される。
なすべき行為の真相、なすべからざる行為の真相、
非行為の真相、これらをしっかりと学ばなくてはならぬ。行為の諸相は、実に不可思議で理解しがたいから。
行為の中に非行為を見、非行為の中に行為を見る人は賢者である。
そうした人は、たとえどんな行為をしていようとも、相対世界を超越した覚者である。
あらゆる行為をする際、その計画や結果に何の欲望も執着も持たずに行ない、
そのカルマを完全なる叡智の炎で焼き尽くした人を、知者たちはパンディタ(賢者)と呼ぶ。
行為の結果にまったく執着せず、常に楽しくすべてに満足している人は、
あらゆる行為をしながらも、実は非行為の状態でいるのと同じなのである。
心身を完全に統御し、あらゆる所有欲を捨て去った人は、
行為をするために体は動かしているものの、悪しきカルマの報いを受けることはまったくない。
自然に授けられたもので満足し、あれこれを比べて悩みうらやむことなく、
成功にも失敗にも心動かされぬ人は、どんな行為にも束縛されることはない。
執着心がなく、自由な魂を持ち、心がしっかりと完全なる叡智に根ざし、
己の行為の結果を至高者への供養にささげるならば、その人のカルマはすべて溶け、消失してしまうであろう。
このページは非常に素晴らしいですね。これはみなさん、壁にでも貼って毎日読んだらいいね(笑)。カルマ・ヨーガの真髄。日々みなさんがどのように行為したらいいのかと。
はいまず、三つ目の、
「行為の中に非行為を見、非行為の中に行為を見る人は賢者である」。
これは非常に、禅問答みたいな話ですが、つまり――ここに書いてある通りなんだけどね(笑)――われわれは、こないだもやったように、何らかの行為をしなければ、活動をしなければ生きていけないわけですが、いろんな日々活動している中で、その中に「非行為」を見ると。
非行為――行為を離れたというか、行為のない状態の中に行為を見る。これは賢者だと。
その具体的方法が、ここから下に書かれていることです。
それはまず、
「あらゆる行為をする際、その計画や結果に何の欲望も執着も持たずに行ない、そのカルマを完全なる叡智の炎で焼き尽くした人」。
じゃあちょっと具体的に考えていこうね、この辺はね。
まず、あらゆる行為をする際に計画をしない。
そして、欲望を持たない。
そして、結果に対しても執着をしない。
ただここで計画をしないって言っているのは――ちょっとこの辺は表現しづらいけど、ヨーガや仏教の教えを学ぶ場合、二重三重の物事の見方をしないと失敗します。この辺はだから、言葉にしづらいところなんだけど。言葉にしづらいけど、私はこれは言葉にできると思う。何か変なこと言ってるけど(笑)、つまり今まで誰も言葉にしてないんです。でもカイラスが将来言葉にするかもしれない(笑)。それは分かんないけど。とにかく二重三重の理解が必要なんです。
つまり、例えばここで書いてある、計画をするなっていった場合、ちょっと無智な人は、あ、計画しなくていいのかと。ちょっとおれ事業やってるけど、一年の計画なしと(笑)。あるいは過去を振り返らずって書いてあるから、過去何がどれだけ売れたかどうかは関係ないと。よしアミダで何を仕入れるか決めるぞと(笑)。 まあ、これは素晴らしいかもしれないよ(笑)。素晴らしいかもしれないけど、それをやれっていってるんじゃないんだね。
例えば、営業の仕事に就きましたと。今日はこれだけ売り上げを上げなきゃいけないと。で、頭で考えれば、あそことあそことあそこに行けばいいなって分かるんだけど、いや一切考えないと。適当に歩いてくと(笑)。これをやれっていってるんじゃないんだね(笑)。別に、この現象界における計画はしてもいいんです。そうじゃなくて、もうちょっと違う次元のことを言っていて。
つまりわれわれの感情、心の問題なんです。まあだから、言い方を変えれば、頭はフルに使えと。でも心は一切計画するな――ということなんだね。
例えば、われわれがこの世で何かやらなければならない場合、それを達成させるために頭脳あるいは肉体もそうだけど、いろんなものを総動員するのはもちろん構わない。しかし心は一切影響されるなと。
でもわれわれは、心が影響されてしまう。これがミラレパとか、よくチベットの聖者とかも言っている、
「未来への恐怖と不安を捨てなさい」
と。あるいは、
「過去への後悔を捨てなさい」
ということなんだね。
だから現実的な問題として何か計画するのは構わない。しかし心の中で、ああ、こうなったらいいなと。いや、私はこうこうこういう風にして、そしたら私に利益があるだろうと。そう考えてはいけない。
まあ、この辺も微妙な問題でね、これはいろんなことにみんなが当てはめたらいいね。
例えば今日勉強会に行ったら、今日もおいしいおやつが出るかもしれないなと。そしたらそれはとても楽しいことだなと。そういう計画をしたとしますよ(笑)。で、来て何もなかったら、しゅんとするかもしれない(笑)。
だから、われわれの人生っていうのは、全部そうなんです。何か常に小さな計画、大きな計画もそうだけど、いろんなことに対して心の中の計画や、あるいは期待や、あと恐怖っていうのもあるね。
恐怖って、いらぬ恐怖。「今日会社行ったら、昨日ああいう失敗をしたから、もうみんなにいろいろ言われそうだと。ああ、どうしよう、どうしよう、どうしよう」と。これも駄目だと。
一切を神に任せ、一切計画をしないと。そして、行為するときは行為そのものに没入し、そしてそこから生じる結果にも何の執着もしない。
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