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◎自己の心の変革

20080917 心の訓練④

◎自己の心の変革

 今日は「心の訓練に関する七つの要点」がテーマですね。

 はい、もう一回簡単に言うと、これは心の訓練というね、一つの修行のテーマがあるわけですが、これはいかにわれわれの心を、実際に日々の修行とか、日々の生活の中で教えどおりに変えていくかっていうことだね。

 で、それはある意味、これはヨーガにしろ仏教にしろ、修行の中で一番大事なことともいえます。

 まあ、というよりも、修行全体がもちろんそこに集約しなきゃいけないわけですけどね。

 ただ、その心をいかに訓練するかっていうことに焦点を合わせた修行が、この心の訓練っていう教えなんですね。

 つまり、われわれは形だけいろんなヨーガなり、あるいは仏教の修行をしていても、全然、例えば以前と変わらず怒りっぽいとか、以前と変わらず嫉妬深いとか、それじゃ全く意味がないわけだね、修行やっている意味が。

 で、実際は例えば、ムドラーやったらしっかり気が上がって、小さいことがどうでもよくなるとか、あるいは呼吸法やって心が安定してきてあまり怒らなくなるとかってことはあるんだけど、それは非常に補助的な話で。結局、その中心点として何をやろうかとしてるかっていうと、やっぱり自分の変革なわけだね。

 で、それをストレートに、日々の生活の中で自分を変えていこうと。じゃあどうやって変えるんですかと。それが、この心の訓練の教えなんですね。

 で、これはとても捉えどころがないんだけど、例えばここのヨーガ教室でいうと、よくみんなに勧める『入菩提行論』ね。『菩薩の生き方』っていう本が出ていますが、あの教えなんかまさに心の訓練の教えですね。あれは非常に具体的に、いろんな例とか考え方が書いてある。例えばああいうのをしっかり読んで、日々の生活の中で、普段は例えばここで怒っちゃうとか、ここでちょっと相手のことを嫉妬してしまうとか、いろんな場面があると思うけども、それを例えば『入菩提行論』だったら『入菩提行論』、あるいはこの『七つの要点』だったら『七つの要点』の教えに照らし合わせて、自分を形作っていくんだね。

 だから、非常に教えって入り組んでるんだけど、もうちょっと簡単にいうと、わたしもよく勉強会とかで言っている「念正智」っていう教えね。念正智っていう教えとほぼイコールといってもいい。

◎念正智

 この念正智ってどういうことかっていうと、みなさんこういうこと聞くと難しいと思うかも知れないけど、言ってることは簡単なんです。だからそのポイントを掴んで欲しいんだけど――インプットとアウトプットの教えなんだね。

 インプットとアウトプットの教えってどういうことかっていうと、われわれは普段、ずーっと昔からいろんなインプットをしてるんです。いろんなインプットをして、自分の中にいろんな情報が入ってる。それは例えば、「こういうときは、わたしにとって苦しみである」とか、「こういうことをやられたら、わたしは怒るんだ」とか、いろんなインプットがあるんです。インプットっていうのは、例えばテレビを見たりとか、あるいは友人との会話とか、あるいは実際の自分のいろんな経験。

 で、はっきり言って間違ったインプットばっかりしてるんです。間違ったインプットばっかりしてて、で、われわれが何か出来事と遭遇したときっていうのは、必ずアウトプットするんです。

 つまり、われわれがありのままに世の中を見たら、何も本当は感情って動かないはずなんです。でも、感情が何で動くのかっていうと、必ずこっち側にあるものを出してるわけでしょ。こっち側にあるものを出して当てはめているだけなんだね。それは意味分かるよね。 われわれが悟ってしまったら、ありのままにものを見ます。でもわれわれはありのままに見れないんだね。で、どうしてるのかっていうと、まあはっきりいうとレッテルです。レッテルによってバッとこう、それを当てはめるんだね。で、それに対する対処っていうのは、もう決まったものになってしまう。例えば、「こういうふうにやられたら、わたしは怒らなきゃいけないんだ」と、とかね。「こういうふうにやられたら、わたしはこの人を蔑む」とかね、あるいは執着するとか、いろいろそのこっちにある、その定型的なアウトプットをするようにできてるんだね。

 で、普通の人は、これをもちろん自然にやっているわけです。そんな、そういう作業が行なわれてるってことさえ気づけない。自然に、日々生きながらいろんなことをインプットして、いろんなことをアウトプットしてる。

 で、心の訓練っていうのはこれを、意識的に変えてしまおうとするんだね。だからまず最初はインプットが必要です。インプットは、例えばこういう教えを学ぶこと。あるいは日々のいろんな実践ですね。

 で、実践イコール同時にアウトプットなんだけど、つまり、例えば例を挙げるならば、誰かから悪口を言われたとき。「悪口を言われるということは、わたしにとって苦しみである」と。で、「そのようなことを言う人は、怒っていいんだ」と。で、「目には目をで、相手のこともひどいことを言ってやらなきゃ気が済まない」っていうようなデータがあるんだね。だから悪口言われると、自動的にそのようなのが働いて、悪口を言い返すっていう習性がある。で、この習性は、例えばだけど、かなり多いんです。ちょっと数にすると、例えば九十パーセントぐらいはそれでできている。でも、われわれは教えを学んでるから、十パーセントぐらいは違うデータが入ってる。例えば慈悲の教えで、「悪口を誰が言ってこようが、その人を愛しなさい」とか、「許しなさい」とか。あるいはカルマの教えで言ったら、「悪口を言われるのは、わたしの方に因があるんだ」と。「わたしが過去とか過去世で、人を傷つけたから、今言われてるだけなんだ」と。「だから相手を怒っちゃいけないんだ。逆に感謝しなさい」とかいう教えも入ってるよね。でもそれは少ないんです、はっきり言って。われわれがずーっと入れてきた間違った考えに比べたら、まだちょっとしか入ってない。だから無理矢理、意識的に出すしかないんだね。 自然に出したら、自然に出るものっていうのは多数決みたいなもんだから、自分の中にある、かなり多いデータしか出ないんです。だからこれは、自然に生きてちゃ駄目なんです。もう、無理矢理、意識的に出すんだね。普通はここでウッと怒りそうになるんだけど、グッとこう我慢して、こっちを出すんです。いいアウトプットをするんだね。ウッと怒りそうになるけども、「いや、これはわたしのカルマだ」と。「感謝します」と。「わたしのカルマを落としてくれて、ありがとうございます」と。もしくは、「わたしはあなたを愛してます」と。「わたしにどんな悪口を言ってこようが、あなたの幸福を願っています」というようなアウトプットをするんです。例えばね。これは一つの例だけどね。

 で、それをしたときの、例えば、ちょっとした心の喜びとか、ちょっとした心の純粋な嬉しさみたいなのがあります。で、それがいい経験としてインプットされるんだね。そうするとこの「あ、人に悪口を言われたときは怒るんじゃなくて、逆に相手に感謝したり、愛さなきゃいけないんだ」っていう情報がちょっと大きくなります。経験によって。それは素晴らしいことなんだと。で、これを日々何度も何度もいろんな場面で繰り返す。それによって、自分の中の正しいデータっていうのがだんだんだんだんこう増えていくんだね。

 で、もちろん、しまいにはですよ、自然にそのような正しい生き方ができるようになる。これはもう、この心の訓練が達成されたときだね。

 ただまあ項目がいっぱいあるので、ひたすらわれわれはいろんな正しい教えを学んで、それを実際に日々の出来事の中で使うということを繰り返さなきゃいけない。これが、簡単にいうと心の訓練の教えですね。ただ実際はいろんな項目があって複雑です。

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