yoga school kailas

◎懺悔と念正智

(Y)人に対して怒ってしまったり、ひどいことを言ってしまった後に、ハッと気づいて、素直に謝れればいいんですけど、なかなかそれができない場合、自分の心の中でイメージだけでも懺悔したりすることは、意味があるんでしょうか。

 いいことだよ。

(Y)いいんですか?

 うん。それは素晴らしい修行だね。それは念正智の一つ。うん。
 だから前から言っているけども、懺悔の素晴らしさっていうのは、絨毯に醤油をこぼしたときのようなもので……絨毯に醤油をこぼしましたと。私もよくねえ、最近はあんまりこぼさないけど(笑)、前はよくこぼしていたわけだけど。……あ、今、絨毯ないや、うち(笑)。そういえば。なんでこぼさないのかなあって思ってたら、うちは今、絨毯持ってなかった(笑)。

(一同笑)

 前まではよくこぼしていて、こうシミになるわけですよ。で、それをすぐ拭けばいいんです。すぐ拭くと取れるんです。でも一日おくとガビガビになります。ちょっとこう大変になる。ニ、三日おくともうかなり取れない。一ヶ月もおいたら、もう無理。もう削り取るしかない。
 悪業も実は同じなんです。すぐ懺悔すれば、あんまり心に染み込まずにパッと取れます。おけばおくほど、取りにくくなります。よって、懺悔っていうのは、瞬間にした方がいい。「あっ!」て気付いた瞬間に、申し訳ありませんでしたと。まあ自分のやり方で、これはまずかったと、二度と致しませんと、神よ、仏陀よ、祝福をお与え下さいとか、そうやって自分の心を掃除する必要がある。それをやる必要がある。

(Y)そんなことばっかりじゃないですか。

 そう、そんなことばっかりだよ。だからそんなことばっかりだから、もう、懺悔をやり続けるしかない。で、普通はね、それをやらないから、これは前にも言ったけども、悪の上に悪が積み重なるんだ、ほっとくから。だって、ちょっと、あっ、これやっちゃった、まあいいか、って置いておくと、その習性によってまたやっちゃうんです。そしてだんだん、あんまりねえ、罪悪感がなくなってきます。
 例えば、まあYさんがね、最初にうちに来たときに、私が覚えているのは、私は本当に怒りっぽいと。すぐに人に対してムカムカしてしまうって言っていたのを覚えているんだけど、それはもう習性としてあるんです。でも、なんか半年位して、Yさんがね、
『あの、ヨーガやってもあんまり変わんないんです』
とか言って、
『でもあんまり怒んなくなったんじゃない?』
って言ったら、
『あっほんとだ、怒んなくなった』
って。
『半年前、私、怒りっぽいって言ってましたね』
って(笑)。
 それはヨーガとかいろんな教えの実践の習性によって、その怒らないというのが確定されてきた。しかし、例えば今もしね、Yさんの中に怒りがバーッて出たら、やばいって思うと思うんですよ。やばいって思うけども、それをほっといたら、あんまりやばいって思わなくなるんです。それが普通になってくる。そうすると、さらに大きな悪業をまた積みやすくなる。これが悪に悪を積み重ねるパターンだね。よって、どこかで早く切らなくてはならない。これはやばいんだぞと、駄目なんだぞと。
 だから瞬間瞬間、懺悔が必要なんです。だから念正智だね。自分の心をチェックし続ける。さあ、私の心は何かおかしくなっていないかとか。怒りが出てないかな、執着が出てないかなと。無智が出てないかなと。ああ、やばいやばいと。
 だから相当に集中力が必要だね。あと真剣さが必要だね。修行に対して真剣じゃない人は、元々そんなこともできないから。例えば、
『あっ、俺、今何か変なことを考えたけど、まあいいか』
と(笑)、ね。
『俺、なんか執着出てるなあ、まあ執着もいいか』
ってなっちゃうから(笑)。
『あ、怒りが出たけど、相手が悪いんだから』
とかってね。
 まあ、だからそうじゃなくて、自分の心をきれいにしないと俺は駄目なんだと。それが私の人生なんだと、そういう確固とした、まあ、人生観が必要だね。
 まあ結局、ぶっちゃけていえば、心がきれいだったら幸せなんです、簡単に言うと。心が汚ければ不幸なんです。簡単にいうと、修行の真髄はそれだけです(笑)。完全に心が透明になれば、真理を悟るんです。でもそれには、実際は日々のいろんな徳を積んだり、あるいは懺悔をしたり、あるいは瞑想したり、いろんなことが必要なんだね。

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