yoga school kailas

◎徳とは


クンダリニー・ヨーガのプロセス

2006.9.6  於 湘南台教室

◎徳とは

 全体的な話をまずしましょう。
 まずちょっとかぶる部分もあるのですが、クンダリニーの源は、簡単に言うと、徳です。徳っていうのは、よく「あの人は徳があるね」とかちょっとあいまいな使い方をしますが、物理的なエネルギーだと考えてください。徳イコール良いカルマと言っても良いです。ほぼ同じ意味と思って良いです。
 良いカルマを積むことによって徳が積まれますよと。徳イコール、もっと簡単に言うと、我々を幸せにするエネルギーと考えて下さい。
 何度も言うけれどもそれは物理的なエネルギー。この幸せにするエネルギーっていうのは、つまりあらゆる形で我々を幸せにすることができます。つまりお金持ちになることもできるし、あるいはいろいろな快楽を味わうこともできるし、もちろん解脱することもできる。とにかくいろんな意味を含んだエネルギーです。
 ただそれはもちろん・・・・・・例えていうと、お金でいうとね――お金には代えられないけれども――例えばみなさんが一日10円稼いだとして、「今日、10円で『うまい棒』を買おう」と買ったとするよ。次の日も10円。「今日も買おう」と。あるいはもうちょっと高くなって1000円もらったとする。「ああ、じゃあ今日は1000円でカツ丼食うよ」と。次の日も1000円で「じゃあ何かうまいもんを食おう」と。あるいは1万円もらいましたと。1万円もらって「ああ、じゃあ今日は高級レストランにでも食べに行こうかな」とか。
 つまり何が言いたいかというと、ちょっと徳を積んで、「よーし、じゃあ楽しむぞ」ってやってたら、徳っていうのは全然溜まらないわけ。たとえば、小さな喜びを得るには小さな徳でいい。でももうちょっと大きな喜びを得たかったら、徳を溜めなきゃいけない。解脱とか悟りを得たかったら相当溜めなきゃいけない。
 だから徳っていうのはお金とちょっと似てるっていうか。例えばこれくらいの徳で得られるものが決まってますよと。これくらいの徳があればここまでは得られます、というものだね、徳っていうのは。

◎性的な喜び――低レベルな快感

 そしてこの徳が――これは何度も言っているけれども――最も雑な形で我々の身体に現れたのが、性的なエネルギーだね。まあ男性でいうと、精子。これが人間の――男性の場合だけどね――徳が雑な形で現れたものなんです。男性の精子っていうのは徳の塊なんです。
 男性の話がわかりやすいから言うけれども、男性における性的な快感っていうのは、精子が道を通って移動する時に快感を感じるって言われてるんだね。これはとてもおかしな話で、なぜ移動するだけで?――例えば血液が移動しても快感は感じない。リンパ液とかが移動しても快感を感じないのに、精液が移動すると快感を感じるんです。つまり、精液が幸せの塊だから。快楽を我々に与えてくれる塊だから、それによって我々は快感を感じるんです。しかしそれは非常に雑なんです。つまり最も、なんていうか、低レベルな形で快感を味わっちゃっているのが性的な喜びなんです。もしその人が性的喜びを我慢すれば、他の幸福に使えます。だから例えばスポーツにしろそうだけど、あるいはなにか事を成し遂げる時っていうのは禁欲した方がいい。つまりそんなものに漏らさないで蓄えた方がいろいろな物事を成し遂げる力が付くんです。徳だから。
 はい、ここで、いろいろなくだらないことに徳をすり減らさずに、しっかりと溜めるっていうプロセスがまず必要になってきます。このプロセスがないとそもそもクンダリニー自体が成立しない。

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