◎布薩者
◎布薩者
他に何か質問はありますか?
(M)布薩者の意味がちょっと今ひとつ分からないんですけど・・・・・・
布薩者というのは、これね、厳しい意味としては、さっき言った八つの戒ね、これを完璧に守る人。もう一つのやわらかい意味としては、月に何回かは守る人。
これのことを布薩というんです。ウポーサタというんだけど。この八つの戒を守ることをウポーサタというんだね。これをやっている人を布薩者というんです。
さっきのところ、布薩は大事なのでもう一回復習しようね。もう一回言いますよ。
まず殺生をやめましょう。つまり蚊やゴキブリも殺してはいけません。
次に盗みをするな。これは当たり前だね。
で、性交を断ち、っていうのは、できれば一切の性的なことはやめてください。それが無理ならば、もちろん浮気とか不倫はやめてください。そして週に一回ぐらいは、一切そういうのから離れてください。
次に嘘をつかないようにしましょう。
で、酒をやめましょう。もし無理ならば、週に一回は絶対に飲まない日を作ってください。タバコも同じです。
それから、できれば一日一食にしましょう。無理なら二食でもいいです。でも週に一回ぐらいは一食の日を作ったほうがいいね。もちろん全く食べないでもいいけども。
はい、それから、できれば床とかに寝てください。無理ならば週に一回ぐらいは床に寝てください。あるいは、ふわふわの羽毛布団に寝てた人が、せんべい布団にするとかね(笑)。ちょっと布団のランクを落としてください(笑)。
それから、歌や踊りを楽しんだり、きれいな装飾品で身を飾るのをやめてくださいと。どうしてもやめられない人は、週に一回はやめてください。例えば、週に一回っていうか、たとえばHさんとかそうかもしれないけど、たまに行くっていう人いるよね、もともと。月一回行っちゃうんですよと。それだったら三ヶ月に二回にするとか、月一回をね。若干ずつ減らしていく(笑)。
わたしは前にあるテクニックをやってたんだけど、今でもやるときあるけど、たとえばどうしてもやめられないことってあるじゃないですか。それがやりたい欲求が心に生じたときに、誰かがいるときはじゃんけんでもいいんだけど、心の中であみだくじを作るんです。で、仏陀に聞くんです(笑)。ちょっとこれ超えられませんと。でも、欲望が起きるたびに百パーセントそれをやることだけはやめたいと思いますと。何回かに一回は我慢しますと。で、そのたびにあみだとかやるんだね。それで駄目になったら我慢すると(笑)。これはわたしがやったことだけど(笑)。それは五十パーセントかもしれない、あるいは三回に一回かもしれないけど、それだけでもやめるっていうやり方があるね。あるいはそうじゃなくて、決めて、今月は絶対にやめようとか。あるいは半年に一回はそういうのを絶対にやらない月を作るとか。例えば今月は絶対に宝塚に誘われても行かないとかね(笑)。
◎供養の修行
(H)先生、すっごく減りましたよ!
別に攻めてるわけじゃないよ(笑)。例として出してるわけで(笑)。
(H)「供養するんだ」って。
そうだね。それはいいことだと思うよ(笑)。供養っていうのが一番いいね。供養してやめるときに、これは心のテクニックなんだけど、ちょっとこういうことを言うと打算的に聞こえるかもしれないけども、仏陀と取引をするんです。
――これは、しなくてもいいよ。わたし個人のことでいうと、最近はしない、取引を。前はよくしてました。だから段階によってはしてもいいと思う。どういうことかっていうと、やめられないことがあるとするよ。
「ああ、宝塚に誘われた。超行きたい」
と。
「しかし、これを供養します」
と。
「その代わり、悟らせて下さい」
とお願いするんです。
これはすごい効果があります。それをやめるっていう効果もあるし、それから得る修行の効果ってすごいです。
でも最近わたしは、それさえもやめるようにした。
「供養します! でも別にその見返りは要りません」
と。
「好きなようにしてください」
と。こういうふうにしているけど、でも見返りをお願いするのも悪くはないです。それはテクニックとしてすごく使えます。
つまり、最初のころはエゴがすごく嫌がるから、このエゴに対してなだめているんだね。「悟りっていう見返りがあるから我慢しろよ」と自分のエゴに言い聞かせるような感じなんだね。それで実際に効果があります。そういうやり方もある。
今言ったのは、Hさんを例にしているだけであって、Hさんに言っているわけじゃないよ。みんなに対してアドヴァイスしてるんだけど。みんながどうしてもやめられないものとか、ちょっと乗り越えられない悪とか――まあ、悪までいかなくても、本当はやらない方がいいんだけどっていうやつね。これをそういうやり方で乗り越えることもできる。
◎無常だから変われる
とにかくさっきから言っているように、ちょっとずつでもいいから乗り越えるべきだね。ほんのちょっとでもいいから、勝つんだね。これを繰り返していれば、最終的には絶対に勝ちます。どんなものにも勝てます。もう絶対乗り越えられないようなものでも勝ちます、絶対に。それにはちょっとずつの勝利が必要なんだね。ちょっとずつちょっとずつブレーキをかけていくんです。そうするといつの間にか終わっています。これが修行の一つのコツだね。
だから常にそういう肯定的な意識を持たなきゃいけない。これは仏教でもよくいわれることで、自分は絶対に仏陀になれるという確信を持たなきゃいけないんだね。これはヨーガでもよくいうんだけど。過去において、多くの――お釈迦様なんていい例だけども、お釈迦様でさえも、ものすごい昔にはどうしようもないただの人間、あるいは地獄に堕ちていたこともあるんだと。しかしものすごい小さな努力から始めた積み重ねによって、仏陀になったんだと。だからわたしも同じなんだって考えるわけだね。今わたしはどうしようもない魂なんだが、今から瞬間瞬間の積み重ねによって、果ては仏陀にだってなれるんだと。
つまりすべては無常だというのは、いつも言うけども、別に良くも悪くもないんです。無常だから喜びも消えます。無常だから、今素晴らしい人が堕落することもあります。しかし無常だから、今の悪い状態から仏陀にだってなれるんです。もちろん完成してしまえば無常を超えてしまうからね。だからこの無常っていう教えを、逆手にとった――無常だからわたしは変われるんだっていう肯定的発想ね。これを常に持つべきだね。
やっぱり修行してない人とか、あと始めたばかりの人って、やっぱり否定的な言葉が多い。わたしもよく聞くけども、「先生、わたし駄目なんです。こうこうこうだから、ちょっとそれは乗り越えられません」と。あるいは、「いや、わたしはこんな状態だから、絶対にもう無理です」と。わたしがそういうときによく言うのは、
「君は予言者か」
と(笑)。
「何で分かるんだ」
と。
瞬間瞬間努力もしようとしないで、何でできないと分かるんだと。その人は完全に現世からの修習によって、自分に完全にリミッターをかけちゃっているんだね。「わたしはこうだ!」ってなっちゃっている。だからそれをはずさなきゃいけない。わたしは今は駄目だけども、無常という一つの世界の仕組みがあって、しかもこの素晴らしい宝のような教えにめぐり合っていて、人間の自由な体も得ていると。これだけの要素がそろっているんだから、やる気さえあればどんなところまでも行けるんだと――このような確信が必要なんだね。これが修行の一つの原則です。
これは何でもそうだよ。修行じゃなくても、何だってそうなんだね。何だって、自分が今できないことを将来には必ずできるようになる。このような確信があれば、どのような道だって成功する。修行においては特に、ぶっちゃけていえば、全ての魂にチャンスがある。チャンスがあるというよりも、全ての魂が最終的には仏陀にならなきゃいけない。だからそれを信じられるかどうかだね。
-
前の記事
◎貪・瞋・邪見について -
次の記事
◎悪友の意味