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◎大乗仏教の展開

◎大乗仏教の展開

 はい、では最初に、歴史的なというか、流れ的な話からいくと、この勉強会では『心の訓練に関する七つの要点』というものを中心に学ぶんですが、これはチベットのチェカワっていう名前の聖者が作ったものです。

 心の訓練っていう修行は、実はとらえどころがなくて、しかも師匠から弟子に口頭で伝えられてきたものなので、あまりまとまった教えはなかったんだね。でもこのチェカワという人が、分かりやすくこの七つの要点としてまとめたといわれています。

 今日はその前に歴史的なことから言うけども、まず仏教というのは、もちろん開祖としてお釈迦様という方が、二千五百年前にインドに登場されました。細かく言うときりがないので大雑把に言うけども、お釈迦様の死後しばらく経って、仏教は二つの流れに分かれるわけだね。一つは保守派ですね。原理主義というか。つまり、お釈迦様の教えをできるだけそのまま受け継ぎましょうと。原理主義派ですね。これは小乗仏教というふうに大乗の人はいうんだけど、小乗というとちょっとさげすんだ感じになってしまうので、今では上座部仏教といったりするけど、できるだけお釈迦様のものといわれる教えをいじらないで受け継いでいこうという派だね。

 で、もう一つの流れは、大乗仏教の流れ。この大乗仏教っていうのは、つまりお釈迦様が説いたエッセンスから重要な部分を取り出して、で、そこを時代に応じて拡大させていったといってもいいかもしれない。

 その重要な部分とはいったい何なのかというと、大雑把にいうと、空の教え、それから慈悲の教えなんです。

 つまり、一切は実体がない。実は自分というのは存在しない――この空の教えと、それから、自分と他者は変わりがないと。ただ衆生のために生きなきゃいけないという慈悲の教えね。これはさっき言ったこととつながるわけだけどね。エゴの破壊と、完全に他者を受け入れるというかな。他者を認めるというか。その慈悲の教え。この二つをエッセンスとして取り出した。で、ここから大乗仏教というのは展開していくわけですね。

◎ナーガールジュナ

 この大乗仏教の偉大なるマスターというか、初期の師として有名な方が、二人いらっしゃいます。一人はナーガールジュナ。日本や中国では龍樹といわれますけどね。ナーガールジュナという偉大な聖者がいらっしゃいました。もう一人はアサンガです。この二人の系統があるんだね。ナーガールジュナは後に中観派といわれる大乗仏教の流れをつくりだし、アサンガの系統は唯識派といわれています。みんな聞いたことあるかもしれませんが。

 ちょっと簡単にだけ言うと、ナーガールジュナという方は、いろんな伝説がある人なんだけど、伝説によると最初泥棒だったって言われる(笑)。どういう泥棒かっていうと、最初はね、いいとこのお坊ちゃんだったんだけど、すごい天才で、ある師匠について穏身の術――つまり簡単にいうと透明人間になる術を――まあ、インドっていろいろあるからね(笑)。インドのある師匠について、透明人間になる超能力を身につけた。それで何をしたかっていうと、お城に忍び込んでいろいろ悪さをした。一緒に透明人間の術を身につけた仲間がいて、三人で夜な夜なお城に忍び込んで、王様に仕えてる美しい女性たちにいろいろ悪さをしたりね、あるいは泥棒したりしてた。

 で、さすがに王様もおかしいと気づいた。何かいるぞと(笑)。何か化け物がいるらしいと。目に見えないけど、何かいると。で、女性が被害に遭ってると。そこで王様は家来に命じて、何か来たらしいというときに、空間をバーッと刀で切らせた。それによってナーガールジュナの友達たちはみんな死んじゃったんだね。でもナーガールジュナは頭がいいから、王様の近くに隠れたんです。で、その当時の考えとして、王様の半径何メートルか以内に寄るのは失礼だっていうのがあったから、もちろん王様の近くには誰もこなかった。王様の近くで刀を振り回したりはしないから、ナーガールジュナは王様の近くに隠れてた。

 でも非常に怖くて、どきどきしてて、そこで一つの誓いを立てたんだね。誓いというか、すごく反省して、「ああ、やっぱり悪いことをするもんじゃないな」と。「おれも今日ここで死んでしまうかもしれない」と。「しかしもし仮に生き残ることができたら、出家してお坊さんになろう」と。

 で、カルマ的に助かって、そのときの誓い通りに出家して、お坊さんになったといわれています。

 これもちょっと伝説的な話なんだけど、みなさん知ってる竜宮城ってあるよね。浦島太郎の竜宮城ね。あれは実は、実際はナーガといって――龍っていう言葉って、中国で使われた言葉なんだけど、本当はね、ナーガっていうんです。ナーガっていうのはインドの言葉なんだけど、もともと蛇のことなんだね。蛇。だからもともとは、巨大な神様みたいな蛇もナーガって言うんです。普通のちょろちょろしている蛇も、ナーガっていいます。全部ナーガなんだね。

 仏教の世界観では、天界の一つにナーガの世界――つまり蛇神様の世界だね――があって、この蛇の神っていうのは、さまざまな経典を守っているといわれてる。で、このナーガの世界の神たちが――これは伝説だけどね――「さあ、そろそろ地球の人間たちにも、大乗の教えを広めなければいけない」と思った。そこで誰をその使者として使おうかと考えて、で、このナーガールジュナに目をつけたといわれるんだね。ナーガールジュナに目をつけて、ナーガールジュナを竜宮城に呼んで、経典を与えて、人間界に帰したっていう伝説があります。

 まあ、それが本当かどうかは分からないけど、このナーガールジュナってね、実はナーガ・アルジュナなんだね。名前の構成としてはね。ナーガ・アルジュナ。それがくっついてナーガールジュナ。つまりアルジュナっていう名前だったんだろうね。アルジュナってマハーバーラタの主人公の名前でもあるけど、インドって惜しげもなく聖者とか神の名前をつけるんだね(笑)。普通の雑貨屋のおじいさんとかが、「名前なんですか?」って聞くと、「クリシュナです」とか(笑)。そういうところがあって。で、このナーガールジュナもいいとこのお坊ちゃんだったから、アルジュナっていう偉大な聖者の名前をつけられたんだろうね。で、この人がナーガの世界から経典をもらってきたので、そこでナーガ・アルジュナ――ナーガールジュナと呼ばれた、というふうにいわれています。

◎アサンガ

 はい、そして、もう一人のアサンガという方は――これも何回かわたしも話しているので、もう聞いたことあると思うけど――マイトレーヤ菩薩を自分の師匠として悟りを開いた方ですね。

 ここで出している『聖者の生涯』という本にも載っていますが、簡単にいうとね、マイトレーヤ――つまり弥勒菩薩を自分の師匠と決めて、ある山に登って、一生懸命瞑想して、弥勒菩薩を見神というか、弥勒菩薩に会いたいと。直接教えを授けられたいという思いで、一心に瞑想するんだね。

 何か方向性としてはラーマクリシュナみたいだね。ラーマクリシュナも「カーリー女神!」っていって、一心に瞑想し続けるわけだけど。このアサンガも、「弥勒菩薩!」っていって、ひたすら瞑想し続ける。

 で、数年間瞑想しても、全く効果が得られない。全く弥勒菩薩の「み」の字も出てこないと。そこでいったんあきらめて帰ろうとするわけだね。いったんあきらめて帰ろうとしていると、ある男がいて、で、この男は何をやっていたかというと、巨大な鉄の棒を研いでいる。で、アサンガが「何やってるんですか?」って聞いたら、その男が言うには、「実はさっき食事してたら歯に物が挟まってしまった」と。「楊枝が欲しいんだけど、楊枝がない」と。「よって、この巨大な棒を削って、楊枝にしようとしているんだ」と。

 それを見たアサンガは非常にショックを受けて――つまり、確かに、この巨大な鉄パイプみたいなのを削っていれば、いつかは楊枝ぐらいにはなるだろうが、それは百万年先かもしれない。しかしこの男は、文句を言わずにやり続けている。しかし、この男が百万年努力して得るものは、歯のきれいさであると(笑)。それに比べてわたしは、マイトレーヤと会って、完全な悟りを得て、衆生のために働きたいという偉大な目的を持っているのに、高々数年であきらめようとしていると。わたしは何て馬鹿だったんだ――と思って、また帰って修行を続けた。

 で、さらに数年が経って、で、また意気消沈してしまった。「やっぱり駄目か」と。「おれには素質が無いんだ……」と思って帰ろうとした。そうしたらまた帰り道にある男がいて、今度はその男は、鳥の羽を使って岩を撫でていたんだね。またアサンガが、「何やってるんですか?」って聞いたら、その男は、「実は、うちの家がこの山の裏にあるんだけど、この山のせいで日が当たらなくて困ってる」と(笑)。「だからこの山を削ろうとしているんだ」と。

 また同じようにアサンガは――こいつは何てやつだと。こんな鳥の羽で岩山を削っていたら、確かに百万年ぐらい経ったら山が削れることもあるかもしれないけど、それによって得られるものは、日差しだと(笑)。高々それだけのためにこの男は、ひたすらな努力をしていると。わたしは衆生のために解脱しようと思ったわけだから、わたしがそんな数年であきらめてはいけない――と思って、また帰っていった。で、またひたすら修行して、合計十二年ぐらいひたすら瞑想した。

 そうしたら十二年ぐらい経ったころに、一匹の両足の腐った犬を見つけた。その犬は、周りの他の犬にいじめられていた。アサンガはそれが非常にかわいそうになって、そのいじめている犬たちを追っ払って、その足が腐っていて蛆虫がわいていたので、それを治療してあげようとした。しかしあまりにも傷口がぐちゃぐちゃでデリケートだったので、蛆虫を取ろうとしても、犬が嫌がって駄目なんだね。だからアサンガは、やわらかい舌でその傷口を舐めてあげて、その蛆虫を取ってあげようとした。

 そう思って舌を、犬の傷口につけた瞬間ね、ぱーっと光と共にマイトレーヤが現われた。そこでアサンガはすごく感激して、マイトレーヤに抱きついて、すごく悲しげに言うわけだね。

「あなたは、こんなにもわたしが心から十二年間も求めていたのに、なぜ今まで現われてくださらなかったのですか」と。

 それに対してマイトレーヤが答えたのが――「何を言ってるんだ」と。「わたしはずっとここにいた。ずっとお前を見守っていた」と。「しかしお前の心がけがれすぎていて、わたしを認識できなかっただけだ」と。

 「十二年の厳しい修行によって、お前の心の目がすこし清められて、お前は腐った犬としてわたしを見ることができた」と。「その足の腐った犬に対する強い哀れみがお前に湧いたおかげで、最後のお前のけがれも清められて、お前はわたしを見ることができたんだ」と。

 「この話が嘘だと思うなら、わたしを肩に乗せて街に行ってみなさい」と――肩に乗せてっていうのが面白いけどね(笑)。

 アサンガはマイトレーヤを肩に乗せて、街に繰り出していった。で、アサンガは街の人に言うわけだね。「みなさん、ここにいる方が見えますか?」――街の人はみんな、「何言ってるんだ」と。「何もいないよ」と。「お前、頭おかしいんじゃないか」って言うわけだけど、一人だけ心のきれいなおばあさんがいて、そのおばあさんがアサンガを見て、「あんた、何でそんな汚い犬を乗っけてるんだ」と(笑)。つまりそのおばあさんは、犬が見えるまではきれいだった。

 つまりこの話っていうのは、これも非常に唯識的な話なんだけど、つまりすべては心なんです。つまり、絶対的な客観はない。すべては心の現われだから、誰が見ても同じっていうものは存在しないんだね。一切は、ただの心の投影に過ぎない。よって、マイトレーヤと呼ばれる存在がそこにいたとしても、それを認識できるだけの心の状態がないと、認識ができない。ある段階のものにとっては犬にしか見えない。ある段階のものにとっては、全く見えないかもしれない。こういう伝説があるわけだね。

◎秘密裏に受け継がれた教え

 そのアサンガはマイトレーヤ菩薩から偉大なる大乗の教えを受けて、偉大な師になったといわれています。

 ナーガールジュナはナーガの世界から経典をもらってきたっていう話をさっきしたけども、菩薩でいうとマンジュシュリーね。これは日本でいうと文殊菩薩です。この文殊菩薩から教えを受けたといわれています。

 この偉大な二大系統があるんだね。マンジュシュリーからナーガールジュナが教えを受けた系統と、それからマイトレーヤからアサンガが教えを受けた系統。で、この下にいろんな有名な聖者様たちがいます。

 あのシャーンティデーヴァとかは、このナーガールジュナの系統ですね。こういう感じで連なっているんですが、さらにそこから数百年経ったころ、アティーシャという人が現われます。このアティーシャという方が、この二つの系統――つまりナーガールジュナ系の教えと、それからアサンガ系の教え。で、もっといえば、原始仏教的な教えも。――つまり仏教の全体系をしっかりまとめて、体系化した人といわれています。

 ただ実際はこのアティーシャだけではなくて、この当時の偉大な聖者にはそういう人がいっぱいいたと思うんだけど、なぜこのアティーシャがすごくそういうふうにいわれているかというと、特にこのアティーシャはチベットと関係があるんですね。アティーシャはもともとはインド人です。インド人の仏教の聖者だったんだけど、チベットにその少し前から仏教が移入され始めて、ただ仏教って本当に幅広いので、いろんな形で仏教が入ってきてわけ分かんなくなっていた。で、本当に全体系的に、仏教の全体像を教えてくれる人が欲しいと。そこでインドの仏教大学の学長の一人だったこのアティーシャに、チベットから誘いがかかったんですね。で、度重なる要請によって、アティーシャはチベットにいくわけだね。

 で、チベットに行ってみたら、確かに仏教はあるんだけども、めちゃくちゃな感じで実践されていた。段階も何もなくて、いろんな教えがごちゃ混ぜになっていた。そこで、これじゃ駄目だっていうんで、今言った二つの大乗の教え、そして原始仏教的な教え。これを全部ひっくるめた仏教の全体系というのを、アティーシャがまとめたんだね。それがそのままチベットに伝わっていった。

 その後インドでは仏教は滅びてしまって、で、その全体系を伝えているのがチベットしかなくなったので、このアティーシャといわれる方がその仏教の教えをすべてまとめた偉大な師といわれてる。

 チベット仏教というのはすばらしい仏教なわけだけども、チベット仏教ってよく密教的な部分ばかりがクローズアップされがちなんだけど、チベット仏教の最大の特徴は、総合仏教というところです。総合仏教ってチベット仏教しかないんです。

 例えば最近流行っているテーラヴァーダとかの教えでは、先ほど言った原理主義的なものしかない。もちろんそれが善い悪いじゃないんだけど、原理的なものを中心にやっている。例えば日本や中国の仏教は、大乗仏教が中心。しかも大乗仏教の中の、ある一部だけが受け継がれた。あるいは大体南方系っていうのは上座部系、原始仏教系が多いね。で、そういう感じで、その国ごとに特徴としている仏教が違うんだけど、チベット仏教は全体を網羅しているんです。

 だからもしチベット仏教の教えを正式に受け始めたら、まず原始仏教的な教えから学ぶんだね。基礎的な原始仏教的な教えから学んで、で、大乗の教えを一つずつ学んでいって、最終的に密教に入るっていう感じになるんだね。だからその総合仏教的なところが、チベット仏教の一番の特徴かもしれない。で、その流れを一番初めに作ったのが、このアティーシャという方ですね。

 はい、そして今日のテーマである「心の訓練」の流れをチベットにもたらした元となっているのも、このアティーシャです。このアティーシャの師匠にセルリンパという人がいて、このセルリンパという人も伝説が多い人なんだけど、アティーシャはこのセルリンパからこの心の訓練の教えを授けられ、でもこの当時はさっき言ったように、秘密だったらしい。秘密裏のうちに授けられた。

 アティーシャは、さっきから言っているようにインドの聖者で、チベットに来てチベットでも多くの弟子を持ったんだけど、その中で一番弟子としてドムトゥンパという人がいたんだね。このドムトゥンパという人に、秘密の「心の訓練」の教えを授けた。さらにこのドムトゥンパという人が、ポトワという人に教えを授けた。で、このポトワっていう人が、二人の弟子に教えを授けたんです。一人がシャラワ、それからランリ・タンパっていう人、この二人の弟子にこの秘密の教えを受け継いだんだね。

 このランリ・タンパが作ったのが、今日も読んだ『心を訓練する八つの詩』ですね。ランリ・タンパがポトワから伝えられた心の訓練の教えを、自分なりに実践しやすいようにまとめたのが、この『心を訓練する八つの詩』なんですね。

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