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◎一切の苦しみから解放された状態

◎一切の苦しみから解放された状態

 はい。今日はじゃあ、このあいだの続き、「ディヤーナ・ヨーガ」ですね。ディヤーナ・ヨーガっていうのはこの間も言いましたが、‘ディヤーナ’っていうのは瞑想のことで、つまり瞑想のヨーガ。そもそもヨーガって瞑想なので――ただこの前まではバクティ・ヨーガとかカルマ・ヨーガ的な、日常における心の持ち方とか、その辺を中心に解説してきたので、このディヤーナ・ヨーガの章から、われわれが普通にイメージするところのヨーガね、修行としてのヨーガの世界に入ってきます。
 はい。今日はところで旧正月ですよね。だからチベットとかもそうだろうけど、月齢の正月ですね。めでたいですね(笑)。
 東洋のね、伝統的な月の暦の正月に、このようにね、バガヴァッド・ギーターの勉強会ができると(笑)。これは素晴らしいことですね。

【本文】
『一切の苦しみから解放された状態を、ヨーガと呼ぶことを知っておくがよい。
 そしてこのヨーガは、熱意と、不撓不屈の精神をもって実践されなければならぬ。』

 はい。『一切の苦しみから解放された状態を、ヨーガと呼ぶことを知っておくがよい。』――これはかっこいいですね(笑)。
 これはつまり、この言葉っていうのは、そうですね、目的の確認であると同時に、自分のチェックと言ってもいいね。
 つまり――ああ、私はいろいろ苦しいことあるんですよと。で、私はヨーガやってるんです――それはもちろん途中段階としてはいいんだけど、「ああ私はヨーガやってる」っていう満足をして、でも精神的にも肉体的にもいろいろ苦しいんですっていうことがもしあるとしたら、それは少なくともヨーガは達成されていないと。つまり、諦めとかあるいは取り違いとかあると駄目なんだね。
 世の中のさ、いろんなものっていうのは妥協がいろいろあるよね。例えばこれはこれくらいの幸せを与えてくれるが、これくらいのデメリットも伴いますよと。例えば結婚にもメリットとデメリットがあるし、あるいは会社の社長になったとしてもメリット・デメリットがある。でもヨーガっていうのは、一切の苦しみから解放された状態なんだよと。それは完全な、オールクリヤーな状態なんだよと。それはまず目標として知っておきなさいと。で、目標として知ると同時に自分のチェック――つまり自分の中にまだ、何らかのときにね、苦しみが生じるような状態だったら――まあ当たり前だけども、まだヨーガの完成には至ってませんよと。あるいは日々苦しみが多いんだったら、それはもうヨーガのまだ全然入り口ぐらいにしかいませんよと。
 もちろんここで言う『苦しみから解放された』っていうのは、みんな分かると思うけど、一般的にいう「苦しい現象が起きない」っていうことじゃないよ。一般的にいう苦しいことが起きようが起きまいが、苦しみがないってことです。だから内的な意味だね。外的に――つまりいろんなお祓いとかしてもらって、「ああ、人生であまり悪いことが起きなくなりました。」とかそういう意味ではなくて(笑)。
 この世はね、無常だから、客観的にはいろんな目に遭う。例えばお釈迦様だって弟子に殺されかかったこともあるし、どんな人でも、この世に身をおいている以上、いろんなことが起きる。でもヨーガをしっかりと完成した人っていうのは、一切の苦しみがそこにおいて生じませんよと。だからそれは最初の自分の目的であると同時に、そうならなきゃならないというチェックだね。要素として知っておいた方がいいね。

◎熱意の重要性

 はい、そしてそれは、『熱意と、不撓不屈の精神をもって実践されなければならぬ』と。つまり熱意――ラーマクリシュナもね、神を悟るにはまず熱意が必要だって言ってますが――これはもう前にも何回か言ってるけど、昨今のね、最近の精神世界もしくは仏教の解釈の中で、熱意とか欲求を否定する向きもあるんだね。つまり、例えば仏教で言うと、「いや、悟りたいという欲求も捨てなければいけませんよ」って言う人もいるし、それからあまり努力とか「こうしたい」っていう思いはない方がいいんだみたいに言う人もいるんだけど、これはもう完全に間違いであって、お釈迦様ももちろんそうだしその後のね、仏教の聖者もヨーガの聖者もみんな、燃えるような熱意が大前提なんだね。
 それはもう「自分の人生の何を引き換えにしても私はヨーガの悟り、あるいは仏教の悟りを得たいんだ」っていう強烈な熱意っていうのがまず必要なんです。それはもう極端なっていうか、過激なふうに言えば、もう生死も越えた熱意だね(笑)。
 もう生死を引き換えにしても構いませんと。それはもう話を挙げればきりがないね。どんな聖者だってだいだいそういう、死と――それはもう今生でね、ヨーガとか仏教の修行を完成した聖者っていうのは、もう死とぎりぎりの熱意を持っているね。
 こういう話をするとちょっと過激だけども、例えばさ、「あるヨギの自叙伝」で出てくる印象的な話があるよね。ババジっていう大聖者がいて、そのババジのことを探し当てた――もうババジのことずっと探してて、弟子になりたくて。で、探し当てた人がいて――まあ探し当てるっていうのも凄い話だけどね(笑)。その時点で凄いんだけど(笑)、探し当てたんだけど、で、ババジに弟子入りを懇願するんだけどババジは断るわけだね。君を受け入れるわけにはいかないと。で、そういう問答が続いた後に、「今の君の状態では無理だ」と。「本当に弟子入りしたいんだったら、こっから飛び降りなさい」って言って。その崖から飛び降りろというわけだね。で、その弟子はまったく躊躇せずに飛び降りたっていうんです。で、飛び降りて本当に身体がバラバラになって死んでしまった。で、そこにババジが行って治してあげて、晴れて弟子入りしたっていう話があって(笑)。
 あるいはラーマクリシュナもそうだし、例えばチベットのナーローパとかミラレパとかみんなそうだけども、例えばミラレパとナーローパとラーマクリシュナが共通してるのは――みんなね、自殺を最後に思い至るんです。つまり、あまりの熱意によって修行したんだけども、もう全精力を傾けてボロボロになってもまだ悟れないと。で、「これだったら死んだ方がましだ」って思って死のうとしたら悟ったっていう話があって。あるいは死のうとしたら師匠に受け入れられたとか。
 つまりそれだけの熱意がやはり必要なんだね。で、われわれの心っていうのはいつも言うように、心が思った方向に人生は展開していきます。で、われわれは普段いろんなことを考えている。「これもしたいな、これもしたいな。ああなりたいな、こうなりたいな。」――で、これの集積が今のわれわれの人生なんです。もちろんそれはカルマっていうのもあるよ。だからカルマっていうのは物凄く複雑にいろんなのが絡んでいるわけだけども、われわれのこの‘思い’もカルマなんです。どのように思えるかっていうのもカルマだし、その思ったことによって――だからいつも言うように、身・口・意の中の‘意’のカルマだね。心のカルマ。思ったことによってこの世の中っていうのはできあがっていくんです。だから凄く単純なことを言えば、百パーセント肯定的に「おれは金持ちになる」って考えられる人がいたら絶対金持ちになります(笑)。よく現代、現世的にもさ、ポジティブ・シンキングとかよくいうけども、肯定的に考えればすべてはいきますよと。それはそうなんです。
 でもその人が一日一時間とか肯定的に考えてても、その他の時間は何かまた違うことを考えると。あるいは否定的なことを考えてたら、もちろんうまくいかない。だからそれは全部の、二十四時間のわれわれの思念の総和だね。それがわれわれの人生を作り出していると。
 ということは、「ああ、ヨーガの高い境地を得たいな」って思うけども、日々ね、違うこといっぱい考えると。例えば「ああ、でもこういうお金持ちの人生もいいな」――あるいはもっと細かいこといったら、「これ美味しそうだな」とか、「あの子きれいだな」とか日々いろんなこと考えていて、その中の一つとして、「ヨーガを達成したいな」と思ってたら、それはなかなか――何ていうかな、パワーがない(笑)。オーダーっていうか、心のオーダーが弱い。凄くね。
 だから本当はさっき挙げた聖者みたいにね、もう年がら年中――ラーマクリシュナなんて一番いい例だけどね、「もう神を愛して神と一つになれるまでは私は生きててもしょうがない」って感じで、飲まず食わずでずーっと祈り続ける。で、もう人々から狂人扱いされるわけだけど、そんなの関係ない。もう一瞬たりとも自分の心が神と離れていることが耐えられない。それぐらいの強い熱意だね。それがあれば当然速やかにその境地に至るだろうけども――だからもちろんこれはみなさんに、そうなれって強制してるわけではない。ただ、みなさんがもしヨーガ修行達成したいと思うんだったら、百パーセントとは言わないまでも、ある程度の強い熱意を人生において持った方がいい。
 というのは、ここにも書かれているとおり、ヨーガ修行の達成っていうのは誰にとっても大きなメリットです。当たり前だけどね。つまり『一切の苦しみから解放された状態』ですよと。
 もしそれが、そうだな、一万円で買えるんだったらみんな買うよきっと(笑)。「はい、一切の苦しみから解放された状態どうでしょうか」と(笑)。「一万円ですよ」と。たぶん全員買うよそれ(笑)。
 でもこの境地っていうのはお金では買えない。ね。お金で買えないし、しかも捉えどころがない。例えばこの本とこの本とこの本を読んだらそうなりますよっていうんじゃない(笑)。自分のいろんなカルマがあって、それをいろいろ乗り越えてって達成するものだから、本当に何ていうかな、ゴールの見えないものすごい旅に出なきゃいけないようなもんだね。でもそんだけやったとしても価値があるんだって考えるんだね。それはもう長くなるから細かくは言わないけども、われわれがそういったヨーガとか修行に巡り会ったこと自体がものすごいチャンスだし、そういう意味でいったらいろんなものを犠牲にしてでもヨーガ修行の達成に熱意を懸けられるっていうのは素晴らしいことだね。もちろんそれをどれだけ自分の人生の中でそういう思いを持っていくかっていうのはそれぞれの自由だけども。

◎不撓不屈

 はい、そして不撓――熱意とね、不撓不屈。不撓不屈っていうのは決してあきらめないと。屈しないと。努力し続けるってことだね。
 つまり修行には――まあ何でもそうだけど、修行には当然挫折はつきものだし、あるいは途中でいろんな苦しみが生じてくるのは当たり前だと。だから最初からね、その不撓不屈、決してあきらめないっていう精神を養っておかなきゃいけないね。
 いろんなタイプの人がいるから――例えば勢いはいいんだけどぶつかるともう駄目と。そういうタイプがいる(笑)。これはちょっと観念的になっちゃうけど、私の印象だと星座で言うと牡羊座(笑)。そういう人が多いような気がするね(笑)。勢いは非常にいいんだけど(笑)。
 もちろん占星術っていうのはだいたい生まれたときのカルマなんで、その人が修行に入ればどんどんカルマは変わっていくんだけど、一般論としてはそういうふうに感じるね(笑)。
 あるいはそれぞれの性格があるから、「こういう部分では全然私は耐えられます」と。でも「こういう部分になるともう駄目」と。「もう百ゼロでそっから先には行けない」っていうのはあるよね。そういうの一つ一つ潰してって、もうどんなことがあっても――例え私がね、イメージする最悪のことが自分に降りかかってきたとしても、それもカルマだからそんなことも乗り越えて悟りを達するんだっていう――つまり人生の中でね、優先順位として何を一番におくかだね。悟りなのか、もしくは生きていくこと自体なのか、あるいは自分の名誉・不名誉なのか、あるいはこの世におけるある程度の幸せをキープしたいのか。いろいろあると思うんだけども、一番にね、もし本当の意味でヨーガを達成したいんだったら、さっきから言ってるこの境地――『一切の苦しみから解放された状態』を得ること、これを第一と考え、その他のものは全部二次的なもんだと。つまり、この第一のものを達成するために他のものが犠牲にならなきゃいけないようなカルマっていうかな、条件が生じたらそれは喜んで捨てましょうと。それくらいの気持ちを最初に持つ必要があるね。
 だから修行っていうのは本当は一番最初に――例えば仏教とかでも最初にいろんな発願とかさせるわけだけど、最初に「誓い」っていったらちょっと堅いかもしれないけど、発願っていうかな。どんなことがあっても私は達成するぞっていう強い思いを持つと本当はいいんだね。

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