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◎ラッタパーラ

◎ラッタパーラ

 つまり、また別の言い方をすれば、この世に私のものは何もないんだと考えた方がいいね。さっき所有欲を持つなってあったけども。これは現実的に考えてもそうなんですよ。よく言われるけど、われわれは裸で生まれてきて、無一文で去っていくと(笑)。つまり、一切もともと所有してないんです。裸で生まれてきて、で、死ぬときにも何も持って行けない。それどころか――みなさん、よく考えてみてください。リアルに考えたら、所有って何だと。
 例えばですよ、大金持ちがいるかもしれない。でも例えば、明日株が大暴落して貧乏になるかもしれない。つまり、明日どうなるか分からないようなものって「所有」っていえるの?――と(笑)。それは、一時的にカルマによってここにあるっていうだけなんです。でもわれわれは、なぜか所有意識を持つんだね。でも本来、所有ってないんです。
 ――ちょっと話がずれるけど、『ラッタパーラ経』っていう経典があって。これはお釈迦様の弟子のラッタパーラっていう人がいて、この人は大金持ちの息子で、お釈迦様に出会って「やはり私には悟りの道しかない」って言って、すべてを捨てて出家して解脱したんだね。解脱した後に――お釈迦様の教団では、決まりがあって、解脱するまでは親元とか故郷に帰ってはいけないと。しかし解脱してしまったら、もうその人は、例えば情によってね、悪い影響を受けて煩悩の世界に帰るってことはないだろうから、親元とかに行ってもいいよと。そこで教えを説いたりしてもいいよっていう決まりがあって。ラッタパーラも一つの悟りを得たので、故郷の近くに来て座ってたと。そしたらそのラッタパーラをよく知った王様がラッタパーラを見つけて、寄ってきたわけだね。ラッタパーラにいろいろ質問をしたわけです。
 その王様が考えるにはね、「君、出家というのは普通は、例えば財産がなくなったとか、すごく体が病気になって将来がよく見えないとか、あるいは体が年老いてこの世で活躍できないとか。そうなった人がするもんだろうと。しかし君はそんなに若くて、美男子で、能力もあって、大金持ちの息子なのに、何で世を捨てたんだ」と。
 それに対してラッタパーラは、「いや、私は別に財産がないとか、あるいはいろんな現世的なデメリットをこの世に感じて出家したわけではありません」と。「私はお釈迦様に出会って、この世の実相に気づいたんです。」それは何かというと、まず――その一つが今言ったことなんだね――「この世に所有というものはないと気づいた」と。
 この世に所有というものはない。つまり、私は死んだらすべてを手放さなければいけない。死ぬ前までも、いろんなカルマの動きによって、自分の意志とは関係なく私の前から去っていくと。――というか、やってくるのも関係ないんだけどね。われわれは自分の意志で生きているように見てるけども、実際はカルマに応じて、いろんなものが自分のところにやってきては去っていく。結局私たちっていうのは、所有しているように見えるけども、実際何一つ所有してないと。

◎仏教もヨーガも根本は同じ

 まあ、その他にもいくつかあったんだね。あとは、「この世には誰も守ってくれる人はいない」と。これはどういうことかっていうと、例えばある人が病床に就いて、非常に苦しんでいると。この時に、もちろん情を持って周りの人たちが、ああかわいそうだと。いろいろ看護はしてくれるだろうが、そのカルマを代わってくれる人は誰もいない。つまり不可能なんだね。自分のカルマっていうのは、自分で何とかしない限りは、誰もそれを肩代わりしてくれたりとか、あるいは助けてくれるということはあり得ない。これが第二の悟りだね。
 で、第三の悟りっていうか、気づきっていうのは、「欲望はきりがない」と。彼はお金持ちだから逆に分かったんだろうね。ある満足を得ると、より次の満足を得たがると。つまりこの世において限定的な満足というのが存在するとしたら、この世も悪くはない。例えば、この状態になったらすべてみんな平安の境地に達しますよっていう――例えばお金が年収――例えばよくさ――みんなは野球とか好きな人も嫌いな人もいるかもしれないけど、私は昔、野球選手になりたくて――よくシーズンオフの季節になると、年俸の話題とか出てくるね。すごくいろんな野球選手とかが、いやこんな年俸では私の評価は駄目だ、とかいろいろ言うんだけど、彼らが不満を言っている年俸って、五千万とか(笑)。七千万だったのが五千万に落ちるとは許せない、とか言ってて。われわれからしたら、「それすごいじゃん」っていうのを得ている人にとっては、逆にその一千万のアップダウンがものすごい問題に見えてきてしまうっていうか。よりその倍を求めるとかね。もう欲望にはきりがない。
 例えば誰も彼もが一千万年収を得たら幸せになるっていう、絶対的な法則があるんだったらいいよ。それはないんだね(笑)。ある段階に行ったら、また次の欲望が出てくる。それはもちろんお金とは限らないけどね。
 だからわれわれの求めているものが、間違っているんだね、もともとね。これは前もいったけど、われわれがこの世で求めているものが正しかったら、終るはずなんです、どこかで。欲求っていうのはね。でも終らないんだね。これにもラッタパーラは気づいたと。それで私はこの世を捨てて、それら今言ったことを超えてね、絶対の悟りを求めるために出家したんですよっていう経典がある。だから、いつも言ってるけど、仏教、ヨーガ、その根本に流れているものは、同じことですね。

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