yoga school kailas

◎なすべきこと

【本文】
『ヨーガを会得したいと願う賢者にとっては、結果を求めずに行為することが大切である。
 しかしすでにヨーガを会得した人にとっては、寂静でいることの方が大切である。』

 はい。ここは一見ちょっと難しいような言葉だけど、内容的にはぜんぜん難しくないんだけど、説明が難しいね、ここはね。
 つまりさっきの放棄とか放棄じゃないという話がありましたが、本来われわれはこの輪廻の世界にいる必要はない。だから本来はわれわれは何も行動せず、寂静の境地にいられればそれは理想なわけだね。つまり世間を離れ、山にでも籠ってすべての行為を離れ、心を一点に集中し、サマーディに入り神の世界に行くと。これは理想だと。
 しかし、具体的方法論としてどうするんですかと。山へ行けばいいのですかと。そうじゃないんだね。それを成し遂げたいと思うならば、結果を求めずに行為しろってことなんだね(笑)。つまり本当に寂静の境地に入りたかったら、形だけ世を捨ててもしょうがないんだね。自分に生じてくるさまざまな状況っていうかな、それを受け入れて結果を求めずにその中で修行するっていうかな。これが大事なんだよと。で、もしその人が本当に達成したとしたらそれはもう為すべきことはなくなるわけだけど。もちろんその人が人々を救いたいっていうのなら別だけどね。
 ――お釈迦様の仏典を読んでいると、だいだい弟子の決まり文句があって。弟子が解脱したときの決まり文句ね。『もはや私に為すべきことはない』っていうのがあるんだね(笑)。
 つまりもう完全にカルマを浄化しきった場合、もう為すべきことはなくなるんです。その人は、もしその人が望むならばこの世でただ何もせずに生きて、で、最後は死んでニルヴァーナに入ると。あるいは自殺する場合もある。実際お釈迦様の弟子で自殺した人もいるわけだけど、つまり解脱して自殺してニルヴァーナへ入っちゃうと。こういう場合もある。
 でもそうじゃなくて菩薩の道とかをいく場合は、自分的に何もする必要はないんだが、衆生のために、もしくはより自分の悟りを深めるために菩薩行に励むわけですね。

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