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解説「王のための四十のドーハー」第二回(6)

【本文】

真の至福をあきらめ、感覚的刺激の喜びを求めて
あなたは他の道をとる
あなたの口の中にある、至福の甘露を飲め
すぐに飲まねば、それらは消え失せる

 はい、これもね、まあ、重層的な意味があるんだけど、「あなたの口の中にある、至福の甘露を飲め。すぐに飲まねば、それらは消え失せる」っていうのは、これは一つの説では、蜂、ミツバチの例えといわれています。これはどういうことかっていうと、ミツバチっていうのは、おいしい花の蜜の匂いを嗅いで、そこに集まり、で、花の蜜を口にくわえる。口にくわえるけど、飲み込まない。つまりそれはただ手で持ってるみたいなもので、口でくわえてるだけ。で、巣に帰って、蜜を貯蔵するんだね。で、これはもちろん、その動作には意味があるわけだけど、ただこれは一つの例えなので――これ、どういう例えかっていうと、つまり、無智なミツバチ――せっかくこの口のところにおいしい蜜をくわえてる。あとちょっと飲み込めば、「うまい!」っていうのに気付くはずなんだけど、それを知らないんです。この蜜がおいしくて、ちょっと飲み込めばとても素晴らしい味がするっていうことを知らない。ただ習性によって黙々と、動物的に蜜を運ぶ仕事に従事してるにすぎない。
 まあ、またちょっと別の言い方をすれば、それにとらわれてるんだね。蜜を運ぶっていう作業に、習性にとらわれている。ここに最高の至福があるっていうことに気付かない。
 で、これはなんの例えかっていうと、まあ分かると思うけど――これはね、重層的な例えがあります。まず一般的な、一番基本的な例えとしては、われわれのね、心の中には、素晴らしい至福の甘露がある。これも、ここでいう甘露っていうのは何を表わしてるかも重層的な意味があるんだけど、とにかくわれわれの心の本質には、素晴らしい至福が眠っている。しかしわれわれは、動物のように習性にとらわれてる。あるいは、さっきも言ったけど、観念とか概念にとらわれてる。どういうことかっていうと、「これはこうすれば楽しいんだ」「これがこうなったら苦しいんだ」――このような概念でガチガチになってるんです。そうじゃなくて、まさに、蜜を口にくわえてるミツバチがそれを飲むだけで至福に満たされますよって言ってるように、われわれが、この心にあるこの至福の源に気付くだけで、つまり外側のものの一切のとらわれから解放され、内側に気付くだけで至福に満たされるのに、つまり最も近くにあるものに気付かず、自分で勝手に定めた「こうなったら幸せだ」「こうなったら不幸だ」っていうことを追いかけることに奔走してる状態、これが今のわれわれの状態なんだね。
 だから一番基本的な例えとしては、それがあります。つまり例えば、異性にもてたら幸せだ、もてないことは不幸である、人から期待されたり良く思われたりすることは幸せである、人からけなされたり、あるいは「あいつは駄目だ」と思われたりするのはわたしにとって不幸である、とかね。いろんな限定付けを行なって、それを追いかける、あるいはそうならないように、そこにばっかりとらわれてる。そうじゃない、それをすべて捨ててみなさいと。捨てたところに現われる、あなたの心の本質的な至福がありますと。それをつかめ、っていうのが、まあ、一番基本的なところですね。
 「すぐに飲まねば、それらは消え失せる」っていう表現は、これはまた別の言い方をすると、これもよく出てる表現として、「今この瞬間に集中しろ」っていうことです。ね。これはよく表現としては出るんだけど、実現は難しい。今この瞬間です。で、「すぐに消え失せる」って言ってるのはつまり、ちょっとでも集中を外すとわれわれの意識は過去に向く。つまりもうこの流動的な、この瞬間瞬間なんです、われわれが集中すべきところっていうのは。われわれがとらわれるときっていうのは、絶対過去か未来でしょ。つまり過去のいろんな経験があって、それに基づいて「こうなりたい」って思ってる。あるいはそれに基づいて未来を妄想する。で、この今この瞬間に集中したら、逆説的に言うと、一切のとらわれは消えるはずなんです。今この目の前に現われてるこの瞬間だけに例えば集中する。そうすると、なんのしがらみもないです。なんの煩悩もない。なんの怒りも執着もない。ただこの瞬間だけがあるっていう状態になります。でも、ちょっと気を抜くとすぐに過去に引きずられます。もしくは未来に妄想が行きます。だからこれはなかなか、言うのとやるのは大違いっていうか、難しいんだけど。でもこれは一つの真理ではあるね。
 「すぐに飲まねば、それらは消え失せる」。だから決して引きずっちゃいけない。ただ、実際にはこれを、ただ集中だけでやるのは難しい。ガードが必要です。ガードというのは、ちょっと心がずれても変なところに行かないガード。そのガードが、さっきから言ってる、慈悲であるとか神への愛であるとか、そういった二元的教えなんです。この二元的教えで、ガチガチにまずガードを固めるんです。ガードで固められた中で、今この瞬間に集中するんです。でもなかなか最初はできないので、ちょっとずれます。ずれてもガードがあるから慈悲が出るだけです。ね(笑)。で、またバッて戻せばいい。またグッと集中する。もちろんあまりにも外れ過ぎると、また煩悩の世界に行っちゃうけど。だからちょっと今言ってるのは抽象的な話だけど、ガチガチにまず二元的ガードを固め、慈悲や神への愛で心を満たし、で、その中心に集中する。これをひたすら練習して日々繰り返す。これはまた素晴らしい実践だね。

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