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菩薩の道(7)至高の方便--遠行


菩薩の道(7)至高の方便--遠行

7.至高の方便の修行--遠行

 智慧と方便(手段)。智慧とは絶対的なというか、論理を超えた無分別の智慧の境地ですね。そして方便とは、智慧の項目でも少し書きましたが、この二元の世界における相対的な修行です。普通、布施、持戒、忍辱、精進、禅定の五項目が方便であり、そしてそこから二元を超えた智慧にいたるといわれます。

 そして智慧の項目で書いたように、大乗の菩提心を培いつつ修行し、この智慧に至った者には、単なる智慧だけではなく、多いなる慈悲心や、菩薩の智慧が生じることになります。

 それにより菩薩は、本格的に衆生救済の仕事に励むことになります。

 ところで、智慧の状態というのは、二元を超えた状態ですから、そこに没入したままでは、衆生を救うという行為を行なうことができません。

 よって再び、方便の世界に出て行かなければならないのです。

 布施・持戒・忍辱・精進・禅定の段階も、方便でした。しかしそれらはまだ、智慧を得る前の方便の修行でした。しかしここからは、智慧を得た後に、救済のために二元の世界に降りて来るという意味での方便の修行なのです。智慧を用いた、救済のための方便の修行です。

 ところで、日本では「嘘も方便」などといいますが、ここでいう方便とはそういう意味ではありません。二元の世界における智慧、そして力を指します。それは菩薩が救済のために使う様々な智慧と力を指します。
 よく、自分の煩悩を肯定するために、「方便」という言葉を悪用する修行者がいるようですが、そんな低レベルの話ではないのです。

 たとえばこの段階において菩薩は、無数の化身を発生させるといわれます。無数の化身を発生させ、様々な世界に行き、様々な衆生を救済するのです。そういった、大神通の世界に入ってくるのです。

 そしてこの菩薩の智慧は、無辺に行き渡ります。これは何を意味するのでしょうか?
 これについて私が考えるところがあるのですが、細かく書くと長くなりすぎるので、要点だけ少し書いてみます。
 我々の智慧には、二つ意味があると思います。
 一つは、二元を超えた絶対性の覚醒。
 もう一つは、経験の昇華です。しかしこの後者において、我々の経験は個々限定されています。
 しかし我々が他の衆生に対しても、「自分と他人」という区別をなくし、他者を自分と同等に見て、慈悲を発し、救済の修行を行なったならば、彼らすべての衆生の経験を智慧として昇華し、身につけることができるのです。よって無辺の智慧を得るのです。

 そしてこの段階の菩薩につけられた名前が、「遠行」といいます。これは、この菩薩の智慧と功徳が、衆生のために、この世界の隅々まで、遠くにまで行き渡るということです。
 そして同時に、この菩薩は三界において様々な救済を行いながらも、その心は三界に縛られることなく遠く離れているために、その観点からも「遠行」というのです。
 
 さて、だんだん難しくなってきましたね。今回の内容はいろいろ深い意味合いが含まれていますが、あまり言葉を重ね過ぎても仕方がないので、あえて簡単に書きました。

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