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心とマーヤー(3)

 したがって、セイレーン・マーヤーの影響下では、人は絶えず誤った方向に導かれます。
 人は皆、幸福を望み、全智を望み、永遠の生を望みます。このことから、人間はサッチダーナンダであり、永遠に智慧のある幸福な存在であることが証明できます。
 しかし、人は自分の幸福な本性の全てを失い、それを再び得ようともがきますが、間違った進路を選んでいます。人は、それを世界の中で見つけようとするのです。
 このように、マーヤーは、人の心の盗み取り、それを創造の網の中に隠してしまったのです。

 マーヤーは、その本性において不可思議なる存在です。彼女は悪いものでありますが、あなたに「彼女は良いものである」と思わせます。彼女は強大な敵なのですが、あなたに「彼女は唯一の友である」と思わせます。彼女は”死”であるので、本当に恐ろしく見えますが、あなたの前に非常に魅力的な姿で現われます。
 ここで、疑問が生じます。どうすれば私たちは、このセイレーンから救われるのでしょうか?
 ここに一つの方法があります――それは識別です。

「この世界は私の家ではない。私は結婚をしていて家庭を持っていると思っているかもしれないが、いつか子どもは死に、それは私に、ここは私のあるべき所ではないということを思い出させるだろう。このようにマーヤーの本性が真実でないことを理解したならば、私は真理を眼前に保たなければならない。私は識別力を高めなければならない。私は目の前にある世界を分析しなければならない。そうすれば、それはどこにも見出せないことがわかるだろう。――天国(スワルガ)と呼ばれる場所へ行っても、そしてこの世界でも、私は幸福を見いだすことはできないのだ。このどちらにおいても、永遠の生は存在せず、そして永遠の生はもちろんのこと、幸福でさえをも見いだすことができる場所はないのだ。」

 このように熟考して、人は彼の智慧の中に安住するのです。

 彼がこの状態に至ったとき、人は、この世界全体を監獄として見るようになります。ゆえに、この世界は「家」とはならないのです。家とは、永続性、快適さという概念を有しています。家の中ほど快適な場所はありません。家はまた、自由という概念も有しています。家の外では、あなたは自由ではありません。しかし家の中では、奴隷でさえも自由なのです。
 このように、家とは三つの概念を有しています。永続性、快適さ、そして自由――このどれをも見出すことができないがゆえに、この世界は、家にはなりえないのです。
 しかし、この世界の家には僅かの永続性があるように見えるため、あなたはそれに愛着します。あなたは永続性を過度に愛するがゆえに、ほんのわずかな永続性が見い出される場所に、自由と快適さを見い出し、それに愛著を抱くのです。

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