神(仏陀)への帰依。
全ての衆生への慈悲。
自己(エゴ)の放棄。
この三つは一体であり、分けられない。
衆生への慈悲と、自己の放棄こそが、神への帰依となるから。
神への帰依と、自己の放棄によって、真の慈悲が生まれるから。
神への帰依と、衆生への慈悲によって、エゴは消え去るから。
--しかしこの根本となるのは、神への帰依であると思う。
常に神に心を合わせ、神に対して誠実に、最高の信愛を持ち、全てを神の愛と観て生きる。
その純粋な生き方の先に、強い放棄の精神と、神の意思としての慈悲の実践が生じるでしょう。