サラハの「人々のためのドーハー」(2)
空(そら)の性質は本来、明晰でクリアーであるが
ずっと見つめ続けていると、視界が不明瞭になっていく。
そのようにして空(そら)の性質が変わったように見えるとき、
愚か者は、その誤りの原因が自分の中にあるということを知らない。
慢心という誤りによって、彼には真理が見えない。
そして悪魔のように、彼はすべてを中傷する。
全宇宙は、同じような考えを持つ愚か者たちで騒然としている。
そして誰も自分自身の真の本性を知ることはない。
彼らは、心の真の土台に気がつかない。
生来なるものの上に、彼らは、認識者・認識すること・認識の対象という、三つの偽りを押し付ける。
思考が生じ、そして消失していくところ、
お前はそこにとどまらねばならぬ。おお、私の息子たちよ。
このように、真の土台から外れて物事を思考する者のために
グルの指示が、すべてを明らかにする。
サラハは言う。おお、無智なる者たちよ。正しく知れ。
存在の多様性も、思考の一つのかたちに過ぎないのだ。
人の真の本性は、他者によって明らかにすることはできない。
しかしそれは、彼のグルの指示によって、明らかにされる。
そこには、微塵の邪悪さも存在しない。
法と非法は、二つとも浄化され、焼き尽くされる。
彼の心が清められたとき、
グルのすばらしい特質が、彼の心に入っていく。
サラハはこの明智について歌う。
タントラやマントラには、尊重を払わない。
人々はカルマに束縛される。そしてカルマから解放されることによって、心は解放される。
そしてこの心の解放によって、彼らは確実に、最高のニルヴァーナを得る。
心は宇宙の種子である。
輪廻もニルヴァーナも、そこから飛び出てくる。
この如意宝珠のような心に、敬意を払え。
それは望んだものをすべて現わすのだから。
-
前の記事
死を思う -
次の記事
サラハの「人々のためのドーハー」(3)