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解説「菩薩の生き方」第五回(6)

◎囚人から菩薩へ

 三つ目の詩以降に関しても、ぜひよく吟味して読んでほしいと思います。

 つまり我々は、生存の牢獄――これは今私たちが生きている人生も含めた、輪廻のことですが――これに縛りつけられた、哀れなものたちなんです。言い方をかえれば、悪魔の王の手によって拘留されている、哀れな囚人なんです。そしてそれは、あのお釈迦様だって、あるいは他の偉大な聖者方だって、ずっと以前は、そうだったんです。哀れな囚人だったんです。しかし彼らに、菩提心――すべての魂のために悟りを得ようという決意――が生じるや否や、「哀れな囚人」だった彼らは、「ブッダの子」と呼ばれるようになり、人間や神々においてあがめられる者に変身したんだと。そこまでのすごい効力が、菩提心にはあるということですね。

 はい。これは本文の三行目のところの解説ね。「生存の牢獄に縛り付けられた哀れな人でも、彼に菩提心が生ずるや否や、直ちに『ブッダの子』と呼ばれ、人間と神々の世界においてあがめられるものとなった」と。
 はい、ここで重要なのは、まあ、今の解説に書いてあったとおりですが、われわれはまず、生存の牢獄、つまり輪廻と呼ばれる牢獄に縛り付けられてる哀れな囚人のようなものである、という前提があって、で、「その人に菩提心が生ずるや否や」。ね。ここで大事なのは、生ずるや否や、直ちに、っていうところです。だんだんじゃないんだよ。菩提心が生じて、だんだんだんだん菩薩になりました、じゃない。菩提心が生じた瞬間に、もうその人はブッダの子なんです。あるいは菩薩なんです。逆に言うと、だから、その菩提心が生じるっていうこと自体が実は、皆さんが考えてる以上にすごいことだと思ってください。
 つまりこれは、ちょっとでもいいんですよ。ちょっとでも、「あ、そうだ」と。
 前から言ってるようにさ、これね、ほんとにね、皆さんは縁があるからピンと来ないかもしれないけど、わかんない人はほんとわかんないから。皆さんがちょっとでも――だからもう皆さん逃げられないですよ。逃げられないですよっていうか(笑)、「おれは菩薩じゃない」とか言っても(笑)、ちょっとでも「そうだ」と、「みんなのために少しでも力になれるなら、修行を進めよう」――まあ、もちろん、「ブッダになろう」まで行ければいいけども、「できるだけ修行を進めよう」と。「そのために修行したいんだ」っていう思いがちょっとでも湧いたら、もう菩薩です。それはちょっと変な言い方すれば、もうそれで言い訳がきかない。あ、もう菩薩じゃんってなるんだね。でも逆に言うと、その思いに至れたっていうのはすごいことなんです。それは、その背景には、あるいはその陰には、大いなる魂の遍歴があるはずです。
 これはこの間も言ったけどね。もういろんなかたちで苦しんできて、いろんな修行してきて、その果てに出てくる意識なんだね。うん。みんなのために修行しよう、なんていうのはね。だからそれは自信を持ってかまわない。そして、そう思った瞬間に、皆さんは囚人から菩薩に変わるんだと。

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