要約「シクシャー・サムッチャヤ」(8)「戒のパーラミター、正法の守護」
第二章 戒のパーラミター、正法の守護
◎衆生の守護と、師への恭敬
「衆生の幸福のために、戒を守り、正智を守護しなければならぬ。もしそうしなければ、衆生に利益を与えることはできない。
よって、素晴らしき師を捨てず、常に経典を学んで、戒を守り、正智の守護をなすべし。」
ボーディサットヴァ・プラーティモークシャには、こう説かれている。
「他者を守る者は、自己を守る者である。
よって菩薩は、自らの命と引き換えにしても、他者を守らなければならない。
たとえ命を捨てることになっても、決して悪をなしてはならぬ。」
菩薩は、衆生を守るために苦しみに遭遇しても、疲れることなく、嫌悪することもなく、決して苦しむ衆生を見捨てることがない。
いわんや、素晴らしき師や法友を見捨てないのは当然のことである。
ガンダヴューハ・スートラ(華厳経)には、こう説かれている。
「菩薩は、素晴らしき師にその身を任せることで、悪趣に落ちることはなくなる。
素晴らしき師の導きによって、菩薩の戒にそむくことはなくなる。
素晴らしき師の導きによって、現世から解放される。
素晴らしき師に親しみ近づくことによって、真理から心が離れることがなくなる。素晴らしき師によって、菩薩の一切の稀有なる行を授けられるが故に。
素晴らしき師によって正覚道に導かれることによって、カルマの障害を取り除き、生死を越えて、清浄の境地に至る。
それゆえに、素晴らしき師に親しみ近づき帰依する者は、次のように考えるべし。
心は大地の如くあれ。一切の重荷を背負っても疲労なき大地のように。
心はダイヤモンドの如くあれ。決して壊すことのできない、ダイヤモンドのような志を持て。
心はしもべの如くあれ。師から与えられたもろもろの使命を嫌がることなく全力で行なうしもべのように。
心は巨大な車の如くあれ。重荷を運んで遠くに達し、決して動揺することがない巨大な車のように。
心は良馬の如くあれ。暴悪ならざる良馬のように。
心は渡し船のようであれ。衆生のために、輪廻とニルヴァーナの往復を、飽きることなく行なえ。
心は孝行息子のようであれ。母なるすべての衆生のために尽くす孝行息子のようであれ。
また、自己は病人であると考え、素晴らしき師は医者の王であると考え、師の教えは良薬であると考え、修行の実践は病を癒すことであると考えるべし。」
また、ヴァーチャノーパーシカーヴィモークシャには、こう説かれている。
「菩薩は、素晴らしき師の指示に従うことで、すべてのブッダ世尊を供養することになるのだと考えるべし。
菩薩は、素晴らしき師の言葉に決してそむくことなかれ。そうすれば、全智に近づくことができる。
素晴らしき師の言葉に疑念を持つことなかれ。
素晴らしき師に近づいて、念正智をし続けることで、もろもろの利益を得る。」
また、ボーディサットヴァ・プラーティモークシャには、こう説かれている。
「菩薩は善なる法を熱望して、世間の財宝を捨てるべし。
身をもって師に帰依し、恭敬すべし。
師をきわめて尊重すべし。
繋縛を断ずるために、法を求めるべし。
生老病死・愁い・悲嘆・苦しみ・憂い・悩みを断ずるために、法を求めるべし。
発菩提心は宝の如し。すべての衆生の苦しみを取り除くからである。このような法を求めるべし。
発菩提心は薬の如し。すべての衆生を安楽にするからである。このような法を求めるべし。」
ウグラダッタ・パリプリッチャー(最上賦与所問経)には、こう説かれている。
「菩薩から教わった、たった一つの教えの詩句であっても、それをよく受持し、読誦し、他者のために説くべし。
そして菩薩の布施・戒・忍辱・精進・禅定・智慧の行に励むべし。
また、師の説かれる法を尊重すべし。
師を讃嘆すべし。
たとえ一カルパの間、師に親しみ近づき、帰依し、常に誠実で正直であり、一切の財産を師に供養しようとも、師の尊重においてはいまだ足りないと知るべし。」
どのようにして、法を尊重すべきか。
プラジュニャーパーラミター・アシュタサハスリカー(八千頌般若経)には、こう説かれている。
「素晴らしき師に対して、尊重と愛の心を起こすべし。
かつてマハ-サットヴァ・サダープラルディタ菩薩は、次のように考えた。
『私はダルモードガタ菩薩を供養するために、自らの身体を売り払って、その代金で供物を買おう。
私は永い間、愛欲の原因と条件によって生死の身を受け、もろもろの世界を、数え切れない間、輪廻流転してきた。しかし未だかつて、法のために、および衆生を利するために、この身体を使うことはなかった。』
こう考えてサダープラルディタ菩薩は、
『誰かこの身体を買いませんか!? 誰かこの身体を買いませんか!?』
と、声高に叫んだ。
そのとき悪魔がそれを見て、サダープラルディタの言葉を誰も聞こえないようにし、サダープラルディタが自らの身を売って供物を買うことができないようにした。
そうとは知らないサダープラルディタは、いくら叫んでも誰も自分の身を買ってくれないので、悲嘆し、泣いた。
そのとき、天界の王シャクラが、修行者の身に姿を変えてサダープラルディタの前にあらわれ、
『汝、なにゆえにそのように悲嘆し、泣き、苦しみ、悩んでいるのか」
と聞いた。サダープラルディタは答えた。
『私は今、善なる法の決意によって、師への供養をなすために、自らの身体を売ろうとしましたが、誰も買ってくれる者がいないのです。』
そこでその修行者は、言いました。
『私は人間の体など欲しくはないが、私の父が、儀式のために人間の血や骨を欲しがっている。私にあなたの身体を売ってくれますか?』
そこでサダープラルディタは、勇躍心・善分別心・極歓喜心を発して、
『私のこの身体を、あなたの好きなようにしてください』
と言うと、自ら刀をとって、自分の腕に刺して血を流し、腕の肉を切り取り、そして骨を破壊した。
そのとき、ある長者の娘が、高き楼閣から、この出来事を見ていた。娘はやってきて、サダープラルディタに聞いた。
『あなたはなにゆえにこのように自己の身を苦しめているのですか?』
事情を聞いた娘は、再びサダープラルディタに聞いた。
『そのようにしてダルモードガタ菩薩に供養して、何か功徳になるのですか?』
それに答えてサダープラルディタは言った。
『娘よ。私はダルモードガタ菩薩に供養をして、彼から智慧の完成の教えを聞くのです。こうして私は智慧の完成の教えを得て、衆生を守護したいのです。』
これを聞いた娘は、こう言った。
『私は、金・銀・マニ宝珠・ラピスラズリなどの宝石を持っています。それをあなたに差し上げますから、それをもってダルモードガタ菩薩に供養してください。』
こうして娘はサダープラルディタに金銀財宝を与え、自分もまた五百人の親族を引き連れて、サダープラルディタとともに、ダルモードガタ菩薩のもとへと向かった。
しかしちょうどダルモードガタ菩薩は、七年間の素晴らしいサマーディに入るところだった。
そこでサダープラルディタは、七年間の間、愛欲の思念を起こさず、人を害する思念を起こさず、さまざまな五感の喜びに愛著することもなく、ただただ、ダルモードガタ菩薩はいつサマーディから出てこられるだろうかと、ただそれだけを心に念じて、待った。
するとあるとき、あと七日の後に、ダルモードガタ菩薩がサマーディから出てくるだろう、という声が、天に響いた。
これを聞いたサダープラルディタは、極めて大きな歓喜・至福・悦を生じ、ダルモードガタ菩薩のために、地を掃いて清掃した。
そして水で清掃しようとしたが、どこにも水が見当たらなかった。悪魔がサダープラルディタの邪魔をするために、水を隠していたからである。
これを知ったサダープラルディタは、こう考えた。
『この地方は、塵が多い。このままでは、サマーディから出てきたダルモードガタ菩薩のお身体が汚れてしまう。よって私は、わが身を刺して血を流し、水気の足しにしよう。
私は今、法のためにこの身を切り刻んだとしても、全く惜しくはない。私は遥かなる昔から、愛欲のカルマのゆえに、無限に輪廻において生死流転を繰り返してきた。しかしかつて一度も、法のためにわが身命を捨てることはなかった。』
このように念じて、サダープラルディタは、刀でわが身を刺して血を出し、大地に注いだ。それを見て、長者の娘も、その親族たちも、同様にした。」
チャトゥルダルマカ・スートラ(四法経)にも、こう説かれている。
「菩薩は、その身が壊れようとも、あるいは生命を失うことになろうとも、決して素晴らしき師を捨ててはならない。」