魔の仕業で修行が進むということ
私の夢はたいていは良い夢なのだが、たまに悪夢というか嫌な夢を見るときもある。
そんな時、その夢を解析し--一見悪夢でも、実際は良い意味の夢だということもあるのだが--そうではなくて自己の心の汚れや、悪いカルマが見せた悪夢だった場合、しっかりとそれを反省する。
このようなときに、それを肯定する思考を使ってはならない。よく精神世界や成功哲学で【肯定的思考】ということを勧めるが、その意味を取り違えてはいけない。肯定的思考とは、自分の悪い部分をごまかし肯定することではない。たとえばこの場合だったら、【いや、この夢は良い夢だったんだ】と自分に思い込ませてはいけないということだ。正確に観察し、それが自分の悪い部分の現われだとわかったならば、【まずい! しかし、努力によって改善されるだろう】と考えるべきだ。
そして私の場合、【心のあらわれ】ということと、そして修行の力というものに対して、大きな信がある。だからたとえばこのような悪夢を見、それが自分の汚れの現われであると気づいたとき、【まずい!】と思う。そしてその夢があらわしている部分の浄化のために、懸命に修行する。あるいは日常において、その部分を気をつけて生きるようにする。あるいははっきりとポイントがわからない場合は、とにかく修行への集中を増し、日常においても気を引き締める。【ああ、私は傲慢ではなかったか。気を抜いてはいなかったか。もっと真剣に、真理に基づいて生きよう】と。
そうするとね、結局、この【悪夢】は、本当に悪夢だったんだろうか、ということになるんだ(笑)。その悪夢のおかげで、結果的に気が引き締まり、修行への集中が増し、修行ステージが上がっていくわけだから。これは悪夢というより、修行を進めてくれたすばらしい夢だったということになる。
これは夢だけの話ではない。たとえば悪魔の邪魔かと思えるような悪い現象が起きたとき。あるいは日常において、自己の心の汚れから来る失敗をしたとき。たとえばつい誰かにひどいことを言ってしまったとか、憎しみにより行動してしまったとか、怠けてしまったとか、エゴで人を苦しめてしまったとか、いろいろあるだろう。
そんなときに、上記と同じような思考と行動を取れれば、それは果たして悪いことだったのだろうか、ということになるんだ。その失敗や、悪い現象のおかげで、気が引き締まり、修行時間が増え、実際に心が成熟していくとしたらね。
だからすべては心の持ち方一つだね。よく、不運に悲しんで落ち込み、否定的になっている人。その人を不運にしているのは、その出来事そのものではない。そこでさらに自分を否定的に持っていくような思考パターンが、その人自身を不幸にしているんだ。
そしてそうではなく、常に謙虚に、向上心を持って生きる。
ここで謙虚さと卑屈さの違いが出てくる。
謙虚な人は、何か失敗や悪現象があったとき、【ああ、まずい! がんばろう!】と考える。
卑屈な人は、【どうせ俺はだめなんだ。俺は駄目なやつだ】と考える。
この卑屈の背景には、前にも書いたように、プライドがあるからこうなるんだね。
つまり【俺は駄目だ】と思う心の背景には、【俺はすごい】というのがあるんだ(笑)。本当は俺はすごいと思っているから、何か悪い現象が起きたとき、卑屈になってしまうんだ。
だから、そんなのはどうでもいいんだ。そういう狭い了見は捨てて、自分はまだまだ浄化すべきところがたくさんある、未熟な修行不足の魂であると思おう。そして、だからこそわずかな隙も見逃さず、自分を磨き、向上させていこうと考えるんだ。
そして話を戻すけど、そのような謙虚で前向きの姿勢を持つ者にとって、悪夢も、悪い現象も、失敗も、すべては逆に自分を成長させてくれるきっかけとなる。
つまりその人にとっては、悪魔さえも、修行を進めてくれる友に変わるんだ。なかなか厳しい友だけどね(笑)。
-
前の記事
3.忍耐の完成--光を発する -
次の記事
4.精進の完成--智慧の光