クンサン・ラマの教え 第一部 第一章「自由と縁を得ることの難しさ」(8)
2.ダルマを修行するための条件についての考察
これには、個人としての五つの条件と、外的な五つの条件がある。
個人としての五つの条件
ナーガールジュナは、次のようにまとめている。
人間に生まれること、
中心地に生まれること、
すべての能力が備わっていること、
ダルマに反することのない生活、
ダルマを信じていること
人間としての生を受けなければ、ダルマに出合うことさえできない。それゆえ、人間の身体は、基礎としての条件を得ているということである。
ダルマという言葉を聞くこともない僻地に生まれたとしたら、ダルマに出合うことはできないであろう。しかしダルマのある中心地に生まれたとしたら、それは場所としての条件を得ているということである。
感覚器官に障害があれば、ダルマを修行する障害となるだろう。もしそのような障害がなければ、感覚器官としての条件を得ているということである。
常に悪いおこないをして生活しているならば、ダルマに反することになる。善きおこないを望んでいるのであれば、それは意志としての条件を得ているということである。
仏陀の教えを信じていなければ、ダルマに対して良い印象を持つこともない。ダルマに心を向けることができるということは、あなた方がちょうど今そうであるように、信仰としての条件を得ているということである。
これらの五つの条件が、個人としての五つの条件と呼ばれる。
真実のダルマを修行するためには、人間であることが必要である。もしあなたが人間の生命という基盤を持たず、例えば動物であったとしたら、人間が知る中で最も美しく素晴らしい動物であったとしても、もし誰かに「オーム・マニ・パドメー・フームと唱えれば仏陀になれる」と教えられてもその言葉や意味を全く理解することもできず、一言も発することもできない。
動物は、寒さで死にかけているとしても、草の上に寝ることしかできない。一方人間は、寒さで弱っていたら、洞窟や木の下に逃げ込み、火を起こして顔や手を暖めるすべを知っている。動物はそんな簡単なこともできない。ダルマを修行することなどは思いつきもしないであろう。
神々は、物理的な身体条件などが非常に優れているため、かえって真理を求めて修行したいという求道心が生じにくくなり、ダルマを実践することができない。
「中心地」という言葉は、地理的な中心地とダルマの中心地とを区別する必要がある。
地理的な意味では、南の大陸であるジャンブ州の中心であるインド・ブッダガヤーのヴァジュラーサナが中心であると一般的にいわれる。多くの仏陀方がそこで悟りを得た。宇宙が崩壊している虚空期の間でさえ、ヴァジュラーサナはとどまり続ける。その中心には菩提樹が成長している。このヴァジュラーサナの周りのインドのすべての町などが、地理的な意味での中心地と考えられる。
ダルマという意味では、中心地とは、ダルマつまり勝者仏陀の教えが存在している場所すべてを指す。
仏陀釈迦牟尼の時代には、雪の国チベットは、わずかな人しか住んでおらず、ダルマがまだ広まっていない土地であった。その後、人口が少しずつ増え、仏陀の化身として何人かの王が支配した。ダルマが最初にチベットに広がったのは、ハトトリ・ニェツェンが支配した時代であり、その時代には、「百の祈願と礼拝の経典」とツァツァの型などが宮殿の屋根に降臨した。
それから五世代後、ダルマの王・ソンツェン・ガンポが、崇高なる慈悲深きお方、アヴァローキテーシュワラの化身としてあらわれた。彼は翻訳官であるトンミ・サンボータをインドに派遣し、言葉と文献を研究させた。トンミ・サンボータはチベットに帰国すると、チベット語の文字を作り、アヴァローキテーシュワラの21の経典と、『ニェンボ・サンワ』などの様々な経典をチベット語に翻訳した。王自身も様々な姿に化身し、ガルトンツェン大臣とともに、奇跡的な手段を用いて国を守護した。王は中国とネパールからそれぞれ妃を娶った。ネパールから来た妃は仏陀の身口意を象徴する無数の物をもたらした。王はラサのトゥルナン寺などの重要な寺院を建立した。
それから五世代後のティソン・デツェン王は、108人の修行者をチベットに招聘した。その中には、ウッディヤーナのグル、三界で並ぶ者なき大聖パドマサンバヴァも含まれていた。
仏陀のお姿の象徴を保持するために、ティソン・デツェン王は、サムイェー寺などの寺院を建立した。仏陀の言葉すなわち真実のダルマを守るために、偉大なるヴァイローチャナを含む108人の翻訳官に翻訳の技法を学ばせ、聖地インドに現存していた主要なスートラ、タントラ、その他の聖典を翻訳させた。そして仏陀の心を守るために、「試みの七人」から始まる修行者たちを出家させてサンガを作った。
その時代から現在まで、仏陀の教えは太陽のように輝き、もちろん隆盛を誇った時期も衰退した時期もあったが、勝者の教えは、伝授という側面でも成就という側面でも失われたことはなかった。
五感や精神に障害のある人は、修行をするのが難しくなる。勝者の教えを読んだり聞いたり考えたり理解したりすることが難しくなるからだ。
「ダルマに反する生活様式」とは、狭義には、狩猟や売春などを生業とする集団に生まれ、若いころから悪しきおこないに手を染めなければならないような場合のことである。実際には、ダルマに反する考えや言葉やおこないをなす者たちすべてが含まれる。そのような生活様式の中に生まれなくても、その後の人生で、悪しき生活様式に染まってしまうこともある。ゆえに、真実のダルマに反するおこないを絶対にしないことが、本質的に重要である。
仏陀の教えではなく、神霊や龍、外道などの教義を信じているのであれば、そのようなものをどれほど信じても、輪廻の苦しみや三悪趣から救われることはない。
しかし勝者仏陀の教えを正しく信じていれば、真実のダルマに適した器となることは疑いがない。
これらが、最も重要な個人としての五つの条件である。