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◎世間の法を超える

◎世間の法を超える

【本文】
 世界を知る王よ。世の中の八種の法、すなわち得ることと失うこと、苦しみと楽、名誉と不名誉、称賛と非難とに自己の心を向けず、それらに超然となるべきです。
 

 はい、この「世の中の八種の法」というのは、よく出てくる概念なので、覚えておいてください。
 ここをもっとわかりやすくいうとね、

①何かを得て喜ぶこと
②何かを失って悲しむこと
③苦しみを嫌がること
④楽を求めること
⑤名誉を喜ぶこと
⑥不名誉を嫌がること
⑦称賛を喜ぶこと
⑧非難を嫌がること

 この八つ。つまりこれは、わかると思うけど、項目としては四つのカテゴリーの、二つの面。それらに超然となりなさいと。
 もちろんこれは代表的な八つであって、実際はもっと無数にありますよね。つまりこの世俗におけるあらゆる成功と失敗、メリットとデメリット、これらに一切心を動かされるなということだね。
 それは難しいことではあるけれど、そういうことを考え、目標にするだけでもかなり変わって来ます。皆さんもぜひ今日から、この八つの法に心を奪われないように、心がけてみてください。それによってこの世俗の苦楽を超えた、真の安らぎに近づいていくでしょう。

◎罪を犯すべきではない

【本文】
 あなたはたとえブラーフマナ、修行僧、デーヴァ、守護者、親、妻、従者のためであっても、罪をなすべきではありません。地獄における報いに加わる者は誰一人としておりません。

 悪業を犯した者が誰も彼も、直ちに剣で切られるように切られるのではありませんが、死のときがくると、悪業の報いが現われます。

 はい、これも読んだとおりですね。
 たとえば情によって、好きな人のために罪を犯すっていうことが、現代の事件とかでもあると思いますが、一時的な、今生だけの関係に惑わされて、情によって誰かのために罪を犯してしまったとしても、その罪の報いを受けるのはあくまでも自分自身だということですね。
 そしてその報いは、もちろん刑罰を受けるとかで今生のうちに悪しき果報を経験することもあるかもしれないけど、仮に今生のうちに報いを受けなかったとしても、カルマの法則が存在する以上、必ずその報いは受けなければならない。そして死のときにそれを受けるというのは、つまり今生積んできた善と悪のカルマの結果によって、来世が決まってしまうということですね。
 これは基本的なカルマの法則ですね。カルマの果報は、自分自身だけが受ける。そしてその果報は、今生で現われなかったとしても、死のときにその生きてきたときのカルマによって来世が決定されるんだと。だから本当に慎重に、善をなし、悪をなさず、正しく生きなければならないということですね。これはもう基本の話ですね。

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