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「解説『スートラ・サムッチャ』」第14回(9)

◎菩提心を広める

 はい。そして最後が、「善男子、善女子が、すべての十方世界の一切の衆生に菩提心を起こすように誘導するならば、広大な功徳が生じるであろう」と。
 はい、今度はこれはまた別パターンとして、菩提心、あるいは菩薩行のポイントが書かれてます。菩薩行のポイントっていうのは、つまり菩提心――あの、ちょっともう一回定義しますよ。菩提心というのは、みんなが――みんなっていうのはすべての生き物が――本来の幸せな境地から離れ、この苦しみの迷いの世界で苦しんでるのが耐えられないと。だから、なんとかして救ってあげたいと。しかし、わたしには今、そんな力がないと。力もなけりゃ、智慧もない。だってわたし自身が今、無智の中にいると。わたし自身も無智の中にいるし、で、力もない。だから救うことなんてできないと。よって、「よし、じゃあ修行しよう!」と。ね。つまりみんなを救えるだけの力と智慧を身につけようと。
 いつも言ってるけどヴィヴェーカナンダがインドの武者修行に出るときにね――ま、そのころはもちろんラーマクリシュナは亡くなってて、ラーマクリシュナの奥さんであるサーラダーデーヴィーに別れを告げに行くわけですね。「母よ」と。「わたしは修行の旅に出ます」と。で、そのときに、「わたしが触れるだけで、みんなを解脱させるぐらいになるまで修行してきます。そうなるまでは戻らない覚悟です」って言って出て行くんだね。これはね、まさに菩提心なんです。まあヴィヴェーカーナンダも非常に仏陀のこと好きだったんだけども。
 つまり菩提心っていうのは、もう一回言うけども、別にただの優しい心じゃないよ。「ああ、みんなを愛してるんです」――これ、菩提心じゃないですよ(笑)。菩提心っていうのは、この強い決意がなきゃ駄目なんだね。つまり、「みんなを現実に救うために、わたしがまず頑張ってそれだけの智慧と力を身につけよう」と。こういう気持ちね。で、この菩提心をもちろん自分も育てなきゃいけないわけですけども、みんなにも菩提心の素晴らしさ、慈悲の素晴らしさを広めたいと。あるいは広めなきゃいけないと。これが大乗仏教の菩薩道の考え方なんですね。
 はい。だからこの最後の「如来の真実」の章はちょっとこう、概念的にはわけが分からない、如来の実相についてバーッと書かれてるわけですが、最後の方でちょっとまとめ的になってるよね。それをもう一回言うと、ポイントの一は、われわれの人智を超えた如来という存在に対して、われわれは強い信を持ち、あるいは愛を持ち、われわれの概念を超えたかたちで、その如来の実相というものに心を向けなきゃいけないっていうのが一つね。
 で、もう一つのポイントは、今度は如来ではなくて衆生、つまりわれわれと同じように悩み多き多くの生き物に対して、「さあ、みんな幸せになって欲しい」と。で、その幸せになる鍵は、菩提心を持つことなんだと。菩提心を持つっていうのは、つまり自分はもちろん菩提心を持たなきゃいけないんですけども、例えば多くのわたしと縁のある人たちがいるとしたら、この人たちが今苦しんでるんだけど、彼らが一番幸せになる方法はなんなのかって考えた場合、彼ら自身が菩提心を持つこと、これが最高なんだね。よって、菩提心を広めたいと。
 菩提心を持った者は、心に苦悩がなくなる。菩提心を持った者は、祝福を受ける。菩提心を持った者は、なんていうかな、エゴの――つまり菩提心っていうのはエゴと真逆だから、エゴから生じるさまざまな幻や苦悩に苛まれることがなくなると。よって――だから慈悲のレベルが高いわけだね、菩提心っていうのはね。普通例えば、「ああ、結婚したい、結婚したい」「ああ、お金持ちになりたい!」って苦しんでいる人がいたら、「ああ、じゃ、手助けしてあげたいな」「ああ、いい彼女見つかったらいいな」「ああ、なんとか彼が成功して、お金持ちになったらいいな」――これはまあこれでいいんですよ。でも、これはまだ低い慈悲なんだね。低い慈悲っていうのは、相手のこと考えてるっていう意味ではいいんだけども、でも、本当の相手の利益が分かってない。そこで彼が結婚したからって幸せになるとは限らないよね。また執着が増えて苦しみが増すだけかもしれない。あるいはお金持ちになったからといって、それでまた煩悩が増えて、今度は失いたくないっていう苦しみに苛まれるだけかもしれない。
 ただまあ、いつも言うようにさ、一番最低なのは、「ああ、結婚したいな!」「金持ちになりたいな!」という人に対して、「おまえなんか、幸せになるな!」――これは駄目ですよ(笑)。 これは邪悪な心だから。これから見たら、レベルは低いけども、「ああ、あなた早くお金持ちになるといいね。手助けしたいよ」――これはまあ、第一段階としてはオッケー。でも、もっともっとこちらが成熟してくると、何が幸せなのかっていうのが分かってくるから、ちょっと相手に対するアプローチが違ってくる。
 中盤の段階では、今度は相手の解脱を願うようになります。「いや、あなた、そんなお金とか女とかいろいろ言ってるけども、そこに幸せはないよ」と。「あなたはこの輪廻を脱してニルヴァーナに入ること、あるいはヨーガ的に言うならば真我の境地に達することこそが幸せなんだから、あなた、修行しなさい」と。こういう発想になるんですね。
 で、一番最高なのは、「いや、それよりも菩提心である」と。「本当に人が幸せになるのは、自分の幸せを捨て、他人の幸せを考えたとき、そのために頑張ろうって思ったときに本当に幸せになる」と。その発想っていうかな、その種子をみんなに植え付けたいと思う。なぜかというと、それが一番幸せだから。これが菩薩道になってくるわけですね。
 だから最後に完結のポイントとして、みんなに菩提心を広めなさいと。これがこの経典の締めの部分ですね。

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